風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

生んでよかったと思いたいよね

急に冬になりました。

外に出たくない~

 

チャイ飲んでおうちでまったりしています。

昨日、図書館行って本いっぱい借りたし。

(↑ストレス発散です)

 

さて。

 

学歴社会を憎んで、先生からは評価されなかったけど私には違う能力があるのよ!と叫んでしまう人たちの中って、結局のところ、学歴社会と同じような○✖や上下による評価を好んでしまうことがあります。

なぜなら、憎んでいるほどそこに憧れ、自分もそこで評価されたかったと思ってるからです。

 

まったく違う価値観で人を評価するとなると

「学歴で評価されない」以上に、「評価そのものがあいまいにな」って

学歴で評価されたかったという願望を達成できないんですよね。

 

つまり、自分を何かで「上に」立たせないと満たされない。

「学歴じゃない」と言いながら、別の評価を作って人に序列をつけることでしか

自分をあげられない。

 

それが、芸術であろうが、霊能であろうが、同じなのです。

 

「わたしは優れている」と誰かに認めさせたいという気持ちに

学歴であろうが芸術であろうが変わりはありません。

評価の「もと」が変わるだけあって、それを「人間性」に置き換えてしまうと

これ、えこひいきの社会の始まりでもあるのですよね。

 

日本は、結局のところ、えこひいき社会から脱出できなかったんです。

学歴社会とは見せかけで、そこに憎しみを追加したり、妬みをパワーアップさせたりしただけで、「頭が良くたって人間性がダメだ」と誰かが言えば、その人は落とされるわけです。

 

その「誰か」の言い分が正しいかどうかは誰にもわからない。(テストないですし)

 

そしてその「誰か」が権力者であれば、何も考えずに周りはその権力者に従ってしまう。

 

きっと、そういうことを防ぐために「テストによる評価」ができたはずなんだよね。

 

でも、それで点数を取れなくて悔しい人たちは、やっぱり「えこひいき社会」を求めてしまう。

そうじゃなくて!ってところに気が付かないし、気が付くためには、それなりに本を読んだり、教育を受けて学ばないといけないという矛盾があります。

 

お金持ちは子々孫々に至るまでお金持ちでいられるとか

身分が固定されていくとか

古代から延々と繰り返されてきたことから逃れるために

能力による基準が受け入れられたはずなのに

それがまた、過去に戻ろうとする推進力になってしまうのは

皮肉なことでしかありません。

 

哲学や宗教は、人間に上下をつけて、人が人を道具にしてしまうことに対して

「それは違うで」を言ってくれるもののはずですが

いつの間にか、愛=お金=成功者という図式を創り上げた人たちがいて

神様にも階層があるかのように言うし

ってか、それって人間が生まれてきて階層社会に慣れてる脳で想像する範囲を超えてるんじゃないかと思うんですけど

「神様の言葉がわかる自分」と思ってる人は、自分がいかにこの社会に染まって生きてるかに自覚がないようです。

 

昨今、成功者と言われる若者たちが、人間を使って遊んで痛めつけている事実を知るたびに、これまるで、古代の王族が、奴隷を獣と闘わせるのを見て楽しんだり、奴隷を好き勝手にしてるのとまったく同じだなと思うんですけど

単なる野蛮人ではないですか?

 

中身が空っぽで、お金という「モノ」を集めることだけに特化してるし、自分自身を軽く扱ってるんだなということしかわかりません。

 

政治家は票を集めることしか頭にないし。

 

でっかい村社会で、昔ながらの庄屋が威張ってて、小作人を働かせて年貢取り立てて、気に入ったおなごがいれば自分のものにして・・・これが日本か・・・

表面上は立派に見えても、精神的に↑これが見え隠れしています。

 

田舎だね。世界の中でも取り残された過疎の村感がする。

 

少子化が言われているけど

子どもを生んでしまったことを後悔しそうになります。

ごめんね、大変な時代に自分で生きていかなくちゃいけない年齢になったよねって

思ってしまう時がある。

戦争に息子たちが取られた母親もそう思ったのかなとふと。

 

生まれてよかったと思ってくれるような世界にしたい。

 

そう思わないか?

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小さなまぐボトルを買った。

飲みきれないカフェのコーヒーを入れてホットでいつでも飲めるようにしたり

今日はチャイを作って入れてみたり

とても重宝している。

 

自分のペースで生きていける今が、私はとても気に入っている。

まねーって

12月とは思えない秋っぽい一日でした。

平日なので、公園もがらがらで

気持ちよく散歩をしてきました。

 

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30代を、成育歴で傷ついた人と共に過ごしてきました。

色んな人を見て、自分を見直して

どう生きるのが幸せになるんだろうと考えていました。

 

その私が今いる場所は

大きな会社で、困ったことにも出会わず(私生活は知らないけど)

安定したお給料に守られてきた女性たちが上司になっているところ。

 

いわゆるエリートと言ったらいいのか。

実力も体力も運も縁もあって、老後の体力もありそう。

これまで観てきた世界とのギャップと、その人たちのあまりにも素直な心に

驚きつつ、このギャップこそが、理解を阻害する部分なのかもしれないと思っています。

 

人の苦労を「想像するしかない」「話を聞いて経験した気になるしかない」

というのは、どういうことなんだろうなと。

 

そしてまた、それとは別に。

お金に対する欲を隠さない部分に

逆に純粋さを感じています。

 

少し苦労や辛いことを経験すると

「人生はお金じゃない」とか「欲を持つことが問題だ」みたいな

精神論に傾いてしまうことがあって

変に人間の欲望そのものを否定してしまうことがままあります。

 

その理想論は立派でいいものかもしれないけれど

それを口にしている人たちの顔が幸せそうでなかったり

行動がおかしかったりするのもまた、私は見てきました。

 

私は、今、欲望を抑えずに生きています。

抑えない、という意味すらたぶん、他の人とは違うと思う。

 

今の日本では、お金と性の話をするのはタブーになっています。

私はテレビを見ないのですが、また不倫騒動でやかましいとTwitterで見ました。

私は、性の世界も覗いたし、お金の世界に身を置くようになったんだけど

自分のその欲をきちんと認めて、もがきながらもその欲に忠実に生きている人たちのほうが、抑えた挙句に他人を裁いてしまう人よりずっと好ましく見えます。

 

お金の話も性の話も、照れたり隠したり、恥ずかしがったり、罪悪感に駆られたりせずに、ストレートに語れる人はかっこいい。

自分を愛していないとできないことですから。

 

私の実家は、お金の話をタブーにしていたわりに

めちゃくちゃケチだったし、意地汚かった。

だから私は実家が嫌いでした。

 

お金に向き合ってなかった。

 

性についてはここでは書かないけれど、

それも色々あったのに、隠すように、恥であるかのように

本当は興味あるくせに、語るのを避けて。自分たちだけは美しいみたいに振る舞ってるってところが嫌だった。

 

私は昔、お金と性の話をしないで

人の相談に乗れると思ってたんですよね。

傲慢でしたよね、今思うと。

 

だけど、大学を卒業してすぐカウンセラーとかやっちゃう資格で仕事するタイプのカウンセラーってそうなるんじゃない?

経験も積んでないし。

 

人の悩みのほとんどはお金と性の悩みなのにね。

 

親との葛藤もそう。母親の娘への嫉妬や、父親が息子を疎ましく思う気持ち。

宗教や精神論で解決しようとする人もいるけど

はっきり言って、もっとなまなましい話であって、

感謝で解決できることなんて一握りじゃないかな、と今は思います。

 

自分を満たす、愛するってことは

自分の中にある、お金や性への嫌悪感、もっとも嫌っているものとの対峙が必要で

「いや、そんなこと考えたこともないし」ってことが一番の原因かもしれない。

 

だって自分の心にすら浮上しないほど押し殺したものがあるということだからです。

 

だから、簡単にお金を払って解決してもらえる気がしたり(自分はお金に向き合わなくて済む)、疑似恋愛を教祖としてみたりするんじゃないだろうか。

 

毎日毎日お金の話をする仕事に就いてみて思ったのは

「どうしてこんなものに抵抗があったんだろう」ってことです。

怖いと思ってたなあ。

 

どんなセラピーより、この仕事に就いたことでお金に対する「ブロック(今もこの言葉使ってる人いるの?w)」が取れたみたいですよ。

 

精神世界系の人たちの、お金に対する意地汚さったら、まあ、宗教団体を見ればお察し案件だと思いますけど、

それに比べて、毎日お金の話をしている人のクリーンなこと。

 

欲を感じないです。周りから。

 

精神世界系のロハス系の人たちの中にいた時に感じた

なんとも言えない「お金」に対する執着心が視えない。

 

セックスを汚いもののように語る母親たちから感じる「必死で抑えてる感じ」と「性に対する異常なほどの関心」は、性の世界の人たちからは全く感じないのと同じかと。

 

ちゃんと直視してそれと共に生きている人は、欲がないです。

欲を満たすことを自分でやってるからですよね。

 

お金も性も、男が独占していた。

だから、汚いものと見せかけて、女性はそこから遠ざけられた。

それだけのことです。うぶな女性たちは、それに乗せられて「美しい自分」でいることが、男に好かれる道だと信じてるけど、したたかな女性たちは、「うぶな女性たちをターゲットにして」商売してますよん。

 

知らんけど。

夢叶うといいな

元夫と喧嘩する夢を見て目が覚めた。

二度寝したからあまりよく覚えていないけど

「最後のほうは言いたいことも言えなかったんだな、夢で解消したのかな」と思った。

 

もう一度寝たら、今度は佐々木蔵之介さんが上司になってる図書館で働いている夢を見た。

しかもまた怒ってた(笑)

疲れてるんだなと思ったwww

 

先日占いを受けたら

「珍しい渡り鳥タイプ」と言われた。

それは自覚していた。

ひとつの場所に長く居続けることができない。

けど、誰もがそういう部分を持っているものだとぼんやり思っていたのだが

その人曰く80パーセントの人は、動くのを好まないという。

どおりで気持ちが伝わらない人生だと思ったのだけど

動くのが嫌いな人たちが求める心理学や占いの言葉と

私のように動いてなんぼという人間が求めるものは全く異なるはずで

そりゃ色々合わないわけです。

 

ずっと同じ場所で勉強したり働いたりすることを望む人の

人間関係スキルと

私のように、多くの人と会っていく人間の対人スキルはたぶん違う。

わたしは、昔で言うお局様にならないのが当たり前の人生だから

お局様を理解できないし、理解しようとも思わないし、従う気にもならないっていうのはまあ当然のことでしたよね。

 

だから、「同じ居場所でぬくぬくと温かい人間関係を結んで穏やかに生きたい人」は、自分を少し我慢させてでも、相手と協調できる自分を創り上げていくだろうし

わたしは、多くの種類の人と出会って、誰とでも話ができるような自分を創り上げていったということで

それはもう、若い頃の願望とは全く別な人生だったけれど

ひとつひとつが大きな自分の夢に向かったプロセスだったことが

今ならわかります。

 

公務員から派遣から専業主婦から営業までやって思うのは

「自分と同種の人間だけ」と親しくなろうとする人がいるし、それ以外の人を見抜いて排除しようとする能力がある人がいる、ということでした。

「その世界でだけ」通用するマニュアルを自分に課していて

その常識の範囲内でしか世界を見ることができない。

だから、その世界で生きているうちはいいし

たぶん多くの人たちがそれで満足している。

だけど、もしそこから、自然災害や何かトラブルではみ出してしまった時

もともとの世界の人たちには助けることが難しいんです。

 

だから、「あっちにはこういう世界があるよ、こっちにはこういう価値観があるよ」と

教える道しるべになる人も必要なわけで

それがたぶん、わたしのような生き方をする人間の役割なのではないかと

思います。

 

日本のように集団isベストという考え方が主流になっていると

うっかり集団からはみ出したり、うまくいかなかった時のしんどさが半端ない。

家族もそうですし、学校もそうです。

だけど、世界はもっと広い。

 

自分の家族の延長に世界があるわけじゃない。

 

断絶した家族の中にいると、それは見えない。

 

昔は、海に乗り出して冒険してきた人が、広い世界を知って伝えたように

あちこちを渡り歩いてきた私は、それを伝えていくのかなという予感があります。

 

大学生の卒業旅行

わたしはひとりで東北を旅しました。

あの頃からちっとも変わってない。

見たことのない世界を見てみたい。

 

そして、見てきたもの、体験してきたものを使って

勇気を分け与えられたら幸いです。

 

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幸せの意味

この三連休の半分は仕事の準備でした( ´∀` )

せっかくテストも終わったのに~

慣れるまでは仕方がないですよね。

 

さて。

 

「依存をやめれば幸せになれる」とか「依存をしなければ大好きな人とカップルになれる」などの「幸せを目標にさせる」方法が色々と話されています。

ずっとずっとその言説に違和感がありました。

 

依存しない人になれたら、別に誰かと一緒に居たいと思わないんじゃあ・・・ってね。

 

最終的に「好きな人と一緒になる」を目指すのは

それは結局依存じゃんって。

 

昨日、ある言葉を目にしました。

「毎日好きと言われてないと不安になる人」という言葉です。

 

これも、私にはう~ん、ちょっと違う・・・んですよ。

 

だって、人の心は変わるんです。

どんなに自分自身が依存をしない人になろうが、共に暮らす人の気持ちが変わらないことなんて絶対にありません。

日々、人の心は変化します。

そしてどんなに、毎日好きだと口に出したとしても

明日には町の中でびびっときた女性に出会って口説いているかもしれない。

それすら誰にも予測できないわけです。

 

じゃあ、どうして「毎日相手の気持ちを信じなければ安心できない」が「良くないこと」とされるんでしょうか。

それって当たり前じゃないですか?

少なくとも、「相手が絶対に裏切らない」と信じている人が、裏切られた時の気持ちを考えると、「毎日相手の気持ちを確認する」ほうがずっと安全ですよね。

 

結局「相手を無邪気に信じちゃう」人も「毎日相手の気持ちを確認しちゃう」人も

相手に依存していることは間違いないわけです。

 

では、何が幸せだというのでしょうか。

 

それは、「相手がどんなに心変わりしようが、自分の価値は変わらないことを知っていて、相手の変化を受け入れられる」ことだと思います。

 

相手と結ばれることが幸せなんじゃないんですよ!

 

それはそれ。一時の幸せです。

もし、それが最終的な幸せだと思っているなら

あなたは普通な人だし、依存心があるってことです。

 

別に、相手の気持ちを確かめなきゃいられない人と何も変わらない。

 

「この人は私と一生一緒にいてくれると約束した」だけですものね。

 

10年後に同じ気持ちかどうかなんてなんの確信もないです。

 

いちいち相手に確かめないとそれを不安と思うか、10年後の心変わりで激怒するかの違いでしかありません。

 

「人の心は日々変化する」ことに対して、自分の心が柳のように揺れながらも元に戻れるかどうか、が幸せのカギだと思います。

それは、自分の心が揺れることも許すこと。

「結婚と言う約束をした」としても、自分の気持ちが揺れた時に否定しないことです。

 

大人はよく言うじゃないですか。

「学校へ行くってお前、約束したのにどうして朝になっていかないって言うんだ!」みたいなこと。

人の気持ちはずっと同じではないんです。

大人は「同じ気持ちでいなきゃいけない」と頑なに思い込んでいる。

その「同じ気持ち」に依存しているんです。

 

変化する心を認められるかどうか、は心の柔軟性だと思います。

 

制度に適応するような「変わらない心」「忠誠心」ばかり重んじていては

生身の人間を理解できません。

 

心は引っ付いたり離れたりします。

大きく離れることもあります。

それを知っている人は、不安になって確かめたくなるだけです。

おおいに普通のことであり、人間らしいことです。

ただそれだと、相手との関係性にひびが入りやすい(その不安をわかってくれる人ならいいけどね)です。

 

「わたしは、パートナーの気持ちが私にあることを知ってるんで、近づいてきた女は全部潰しま~す」って言う人のほうがずっと人として危険だと私は思うんですけど(笑)

 

パートナーが一生自分から離れない気持ちになっている「はず」という決めつけですよ。人の気持ちが変化するということを「知ってて不安になる人」よりずっと怖い。

 

「私が素晴らしいから私から離れるはずがない」「この地域は素晴らしいから去っていく人は異常」「この学校は素晴らしいから来ない子どもがおかしい」

・・・

依存しないって言ってる人の心の中ってそういう感じ(≧◇≦)

 

めっちゃ怖い。

 

だから、私にとっては、いわゆるメンヘラと言われている人たちのほうがまともじゃないのかということになります。

 

個人の幸せを本気で考えるとしたら。

それは、自分自身も含めての、人の心の揺らぎを認めることです。

つまり、制度に合わせることのおかしさを知ってることです。

揺らぎを内包した制度にしない限り、人は幸せを感じにくいということです。

 

結婚していても幸せを感じたいのなら

結婚という制度の中にいる自分と

心がその制度から逸脱することがある自分(相手)を

どちらも認めて暮らしていくこと。

そのためには、自分自身を信じ切ることが必要で

ある意味怖いし、強さも必要です。

 

そして揺らぎを認められる人は

制度のおかしさにも気づきやすいですし

「これでは人は幸せになりにくいよ」と思えるはずです。

制度に合わせられる人間になることを目標にする人は

メンヘラだとかコミュ障とか色々名前を付けるけど

制度に合わせようとするお前のほうがおかしいんじゃね?ってことにそろそろ気づかないとね。

 

いや、制度全てがダメなわけじゃないですよ。

人の心の揺らぎを想定しない、想定することを禁じている制度があるってことです。

無邪気にこの社会を信じ切ってしまう人の言うことは

売れるしまともに見えるけど

え?それほんと?と疑う気持ちを忘れないでほしいです。

 

「集団の幸せのために我慢できる自分になる」のが幸せなのか「集団は集団、わたしはわたし」と思えるようになるのが幸せなのか、です。

 

考えてみてくださいね(#^^#)

 

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月が出ていた

山の上に三日月が出ていた。

 

YOASOBIの「夜を駆ける」と「ハルジオン」を聴きながら車を走らせている。

 

家に帰る間に消防車と事故現場を見た。

 

夜は外に限る。夜景は私を和ませる。なぜだろう。

 

居場所がなくて彷徨った夜の光景が

いつの間にか、自分を落ち着かせるものになっていた。

 

何かを失くした時

ぽっかりと心に穴が開いたような日は

ネオンが流れ去るのを楽しむのがいい。

 

今日は三日月が山の上に見えた。

何かを伝えてきているような気がして

何度も何度も運転の合間に空に目をやった。

 

私の勘違いかもしれなかった。

それでも月は私を見ていた。

 

 

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男女でくっつくことをゴールにしないで

久しぶりにはっきりとした夢を見ました。

誰かの家で大盛のご飯をごちそうになってました。

他人の家でもてなされるなんてこと、久しくないな~。

 

私自身、SNSで余計なものを見ないように

心がざわつくものはフォローを外しているので快適なのですが

たまに「あ、また来た」みたいなのを目にしてしまいます。

 

そのひとつが「結婚できない女性は○○だ」系のやつ。

スピ系が大好きな話題です。

 

何がおかしいって。

占いに来るのは「悩んでいる人」だけなんですよ。

その人たちを分析したところで、「悩んでいないケド人格が明らかにおかしい人」がそこに入っていないのです。意味がないですよね。

 

結婚していたからわかることですが

結婚という制度に適応できる人=自分を曲げることができる人、でもあるわけです。

それが「人として正しいこと」という前提で生きていると

そりゃ「結婚できない人は問題があるだろう」になりますよ。

 

それは「学校に行かない子どもに問題がある」というのと同じです。

 

しかし、私の職場を見渡しても、結婚していない40代までの女性がわんさかいますが

みな、とても気持ちがいい人たちで、とても「結婚できない問題を抱えた人」には見えません。

 

それよりも、「結婚しているおかしな女性」を目にすることのほうが多いです。

 

結婚して相手や家族や親族に「我慢して合わせること」が当たり前になってしまうことで、どうも思考がおかしくなっていくんじゃないかなあと思うほどです。

男は、社会的に「結婚するのがまともな男だ」というのがもっと強いわけで

まともでない男が結婚するから「離婚しても養育費払わない」だとか「DV夫として有名になる」だとか「浮気当然」だとか(笑)

 

そもそも、「結婚できる人はまともな人だ」という前提が狂ってることは明白です。

 

そんな結婚をゴールにすることが果たして「正しい」のか?

結婚できないと悩んでいる女性を「あなたの性格が歪んでいる」「あなたの○○を治さないと」という風にしか言えない相談者ってどうなの?

 

そして、最近の男性が「結婚という制度に適応できる男なのかどうか」を検証することもないわけですから、まったくおかしな話です。

 

「つがいになりたい」「こどもがほしい」という気持ちがその人の中に芽生えて消えなかったとしても。

それが叶わないのは別に「何かが歪んでいるので正さなければならない」という話にはならないはずです。

 

相談に来る人が偏っていることに気が付かない人っていますよね。

結婚してしまえば、とりあえず「結婚」で悩まないわけだから

相談には来ないわけですよ。

だけど、別のことで苦労している、あるいは、悩むことはあって

「結婚するために通った占い師」のところには行かない。

だから見えないんでしょうね、そういうのが。

 

誰かと一緒に暮らすことに向いてる人、向いてない人がいて

それはどちらも同じだけの歪みといいものが存在しているってこと。

でなきゃ、どうして毒親になったりDV夫になったり子どもを殺す人間になったりしますか?みんな結婚した人の話ですよ。

 

何かを正解にしてしまわないと気が済まないことのほうが「ゆがみ」だと思うなあ。

 

生きることに正解なんてない。ということに辿り着かせるのが、相談者の役目ではなくて?

嫉妬問題

今日の暑さは異常。

それでも仕事は楽しいかもしれない毎日です。

 

今回の職場はカッコいい男前の女性が多くてですね。

さらっとしてるのが気持ちいいです。

仕事って本来これぐらいの距離感でやるよね、みたいな。

 

さて。

 

私には「嫉妬問題」というのがありまして。

彼氏を捕まえ損ねたことが何度もあります。

 

スピ系や成功哲学系ですと

そこは全部「お前のせい」って話にされちゃいますけど

違う角度で書きますね。

 

男は「おれの全部を理解してくれ」なんですよ。

だけど、女のすべては理解してくれない。

この男の甘えが嫉妬を生むわけです。

 

そのくせ、「息子に嫁を取られた。。つまらん」と言って不倫に走るの不思議(≧◇≦)

 

つまり、特定の関係性を創り上げていく時に

相手の「その他の関係」を持ち込んじゃいけないってことです。

わかりますか?

友達でも恋人でも同じです。

ふたりの世界を楽しんでいる最中に「あ~この間○○さんとめっちゃ楽しく遊んだんだ~」という話をするのはお子様メンタルということ。

 

どんなにそれが事実であっても、二人の世界を壊さない人であっても

その人との愛情や友情とは別だと言い張ったとしても

「二人の世界をつくりあげてる時に話すことではない」わけです。

 

事実として「遊びに行った」という報告は良くても、「楽しかったんだよね、めっちゃいい人でさ~」はNG。

 

この違いがわからない、無邪気な人たちがいて

「え~だってそんなの自由じゃん」って言うんだけど

そうじゃない。

 

どうして今、この時にその話題?ってなります。

 

なんの気兼ねもいらない友人ならかまわないです。

お互いに「誰とどうして楽しかった話」しかしない間柄なら。

 

けどさ、基本的に嫉妬が生まれる関係ってのは

「ふたりで思い出を作っていく関係」なんだよね。

その中に、他人様の話題を持ち込むのは、老夫婦だけでよかろう?

 

それがわからない人が、やれ「ひとりで楽しめるようにならないと」とか「相手を縛っちゃいけない」とか言うわけです。

そこじゃない。そうじゃない。

 

夫婦ふたりで楽しんでいる時に

「娘がこうしてくれてかわいくてさ~」なんて夫が言ったらあかんのです。

ふたりでいる時は相手の話をしなきゃ。

 

わたしは、相手がどんな暮らしをして何を感じててもいいけど

ふたりでいる時に「あの人のここが好きで」なんてことを言ったら終わりだと思ってて

それを言わない人なら、別の女性がいようがかまわないかもしれないです。

 

「今この瞬間に話していいことかどうか」が大事で

それがわかる人とその時間を楽しめたらそれでいいなと思います。

 

けど、昨今の政治家を見ていても思うけど

男ってなんで血縁だけが好きなのかね。

意味不明だよ。

母親ラブとか、娘ラブとか、孫ラブとか。

 

彼女や妻はまったく眼中にないな。

軽く扱っていいと思ってる。

 

老後は、妻に頼るしかないのにねえ。