お休みが終わってしまう
おはようございます。
去年の総括をしていなかった気が(笑)
一番はYOASOBIを知って「夜を駆ける」を歌えるようになったことです。
たくさんの人がカバーしているのは
それだけ歌いがいのある楽曲であるということ。
覚えて歌えた時の「やった!」感がこんなにある曲はないかも。
それから、全く新しい仕事に飛び込んだこと。
その結果、自分の世界が変わってきたこと。
過去の自分との統合が始まったこと。
私にとって何がそれほど過酷だったのかが認識できたことで
自分を許し、自分が広がる感覚を得ました。
過去の自分をどんなに振り返ったところで
家にじっとしていたり、誰かの教えを聴くだけでは
何も変わらないし、気づけないし。
勇気を出して、経験したことのない世界に踏み出すことで見えることのほうがずっと多い気がします。
自分を悪者にしていた時(昨年まで)は
まさか、従姉と一緒にいたあの時期が苦しかったなんて
気付きもしなかったのでした。
彼女を傷つけないよう、子どもの小さな頭脳で必死に考えて
それでも相手を怒らせたり傷つけた気がして悩んだ日々。
それは自分のことを置き去りにした日々の始まりでもありました。
もし、従姉が近くにやって来なければもっと素直に拗れていた(笑)はずで
親や社会が責任を持たず、「子ども同士で何とかしてくれる」と期待した結果
私個人が「怒りがたまりまくり」「生きづらさ満載で」「自分の子育てにも影響してしまう」ことになったということ。
だからこそ、子ども同士でやらせる学校や、子ども同士のことには介入しない大人に対しては、今も「それ違うで」と言いたくなるんですよね。
大人が責任を放棄する瞬間が嫌いです。
この年齢になって思うのは
大人といっても年齢を重ねただけの人があまりにも多いということです。
知性も頭脳も精神性も成長させず
子どものまま大人になってるから
「子どもにやらせちゃえ」「子どもってすごい」ってなる。
派遣のリーダーみたいに、他人をコントロールすることだけを覚え
指導することの意味もわからず
やみくもに支配して、現場を回すことしかできない人になってく人も
ここ10年で増えました。
そんな人たちが子育てしたらどうなるよ?
ってか教師もそんな風になってない?
(学生時代のアルバイトのせい?)
そしてまた、「お金は楽して手に入れられる」ということを実行している若者も増えてきて、日常何してるかしらんけど、どうやって自分を成長させてるのか謎ですよね。
技術力も磨かないで、遊んで暮らしている人が増えたら
この国のあらゆるモノ作りは後退するし、サービス自身も育たない。
詐欺の手口や、言葉巧みに人を操る心理学ばかりが育ってる気がしますけど
昔から、「現状を心配する年配者」はどこにでもいて
私もそうなってきたのかなと思わなくもありません(笑)
明日からまた、仕事を着実にこなしていく日々です。
たくさんの人と出会う毎日ですので
自分の言葉が、営業トーク以外の部分で何かが届きますようにと
祈って過ごしていきたいと思います。
誰かの心に灯りを灯すことができれば、私の魂は輝きます。
手段はなんでもいいんです。
元不登校児が営業やっても、その営業で出会う人を勇気づけられることに出会うかもしれない。カウンセリングの勉強をして、カウンセラーにならなくたって
人を癒すことはどこででもできるんですよ。
これはいつも思っていることですが
普通の仕事をしてください。
自分自身が何者であるかを示すために
ブロガーやユーチューバーになって示さなくいてもいんです。
仕事があってのブロガーとして存在したほうがずっと良くないですか?
どんな仕事をしていても誰かを励ましたり勇気づけたりすることはできます。
特別な仕事でなければできないのであれば
自分自身の問題でしょう。
自分が今いる場所で輝くことで、次の世界が開いていきます。
わたしはカフェによく行くのですが、アルバイトであろうそこの店員さんの笑顔に励まされる瞬間が何度もありました。
尊い仕事だと思いましたし、人に与えたその笑顔は、その人の人生にとって素晴らしい贈り物となって還ってくると思いました。
だって、わたしは無意識にその人への感謝の気持ちを送っているから。
知らない人からの感謝をたくさんもらったら、人生良くなると私は思いますがどうですか?
安い仕事を笑顔でやればいいってことじゃなくて。
自分の今いる場所でまず、「なりたい自分」でいてみようということです。
セミナー受けなくたって「なりたい自分」をイメージして一日中過ごして居たら
そこに近づくと思うから。
次に向かう場所もわかるから。
わたしもそうやって今につながってきたから。
誰かにやってもらう人生は卒業しましょう。
では。