風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

困った時に困っていると言えるか問題

おはようございます。

今日もゆっくり休んでいます。

 

いいお天気になってよかった。

低気圧は気持ちを左右するから。

 

さて。

 

私が困るたびに、あなたはヒネクレテいると言われがちで

それに対してひどく腹を立てることが多かったように思います。

 

で、自分なりに、どうしてそういうことばかり言われるのかと

悩んで、色々と探ってみてはいるのですが

やっと「これかな?」と思うものが見つかりました。

 

「困っている時に”あたなは助けなくていい人だ”と思われたこと」ですね。

 

何度も言いますが、学校で評価されるポイントは筆記テストであり

その筆記テストでいい点数を取れば、教師は「問題なし」と思うものです。

たとえ、いじめられてようが、しんどい日常があろうがです。

そしてその視点を、子ども達も持ってしまうことです。

 

当たり前ですが、学力は単なるひとつの能力であり

運動能力や芸術の能力と変わりません。

しかし、なぜか、テストでいい点が取れる人、というだけで

色眼鏡で見られてしまう。

 

あれもできるでしょう、これもできるでしょう、人を助けられるでしょう、って。

 

だから、私は何も言えなくなりました。

困っていることを言葉にすることができなくなりました。

それがたとえ自意識過剰と言われようが、その時に「黙って耐えること」を選んだのです。

そうしなければ、何もかもが壊れてしまう気がしました。

 

だから、学力を基準にして、学力が高い人間に何もかもを押し付けて逃げてしまう子どもたちを恨んだし、言えない自分にも恨みが溜まりました。

 

「できないから叱られた」「できないと言われて自信がなくなった」

は、とてもストレートです。

できないのに無理をして「できるふり」をしなくていいだけ、素直になれます。

素直な人は好かれます。

自信を持てばいいだけです。

 

たしかに、学力も高くて人格も素晴らしくて、なぜか美人で体力もある、というスーパーマンな人がいることも事実です。

そういう人は、他人からの評価と自分の評価は一致しているし

期待されてもできるので、別に困らないかもしれませんね。

 

私もそうだったらどんなに良かったかと何度も思いました。

背負いきれない荷物を持たされて途方に暮れているイメージ。

だけど、荷物を降ろすことは許されなくて

だって、誰もやりたいと言ってくれないし、私がやらなければ困る人がいるじゃないかと思い込むことで頑張ってきたんですね。

なので、無責任に「荷物を降ろせ」と言ってくる人に対しても

私は素直に優しさだとは思えませんでした。

 

おかげで鍛えられてできるようになったこともあるし

社会で何とかやっていけるのもそのおかげです。

 

だけど心は少し曲がったのかなあと思います。

 

自分もいっぱいいっぱいなのに、「誰かの世話をするのが当然でしょ、あなたには余裕あるでしょ」と言われてる子どもたちをたまに見かけると

わたしは辛くなります。

同じ子どもなのに。大人がやることを押し付けられてって。私がやらされてきたことと同じだから。

 

教師は、使い勝手のいい子どもを見つけては、教師の仕事を肩代わりさせようとします。無料で教師の仕事のアルバイトです。

それを、他の子どもは「ひいきされてていいな」と思う。思うようにコントロールされる。

 

いい加減、親も周りの大人もそれに気づけよって思いますけどね。

「いい子がキレた」ってそりゃそうなるわな。

 

子どもは誰もが「自分を理解してほしい」と願っています。

それは、学力が高いも低いも関係ない。

勉強ができない人だけが理解されていないのではない。

表面しか見ていないのは、誰もが同じです。

 

勉強ができる、という表面でしか評価されなければ

もうそこで頑張るしか生き残る道がないわけです。

偉そうと言われようがなんだろうが。

 

私は常に、内面と外面が混乱していました。

社会は私に対して、何を求めているのか、どちらで生きていきればいいのか、全くわかりませんでした。

だから、正解を求めました。

どうすれば愛されるのかもわからない(親からも”何もしなくていい子”と思われていたので放置されてた)ので、本で学ぶしかありませんでした。

 

私が、どうしても正解を求めてしまうのは

脳のバグもありますが、自分の中に安心を求める気持ちからです。

 

まあ、今の学校ってのは、成績が良くても悪くても地獄。

先生に気に入られたらそれはそれで悲劇ですよ。

と、私は思っていましたし、学校制度は壊れたほうがいいかなあぐらいは

考えています。

だって、誰一人子どもを救えないんだもん。

 

大人になって、自分で自分を救うことができる人はラッキーです。

私は、その点では運がいいと思っていますし、運がいいからこそ、こうして書いて残しておけるだけの何かを得たんだろう思うので。

 

どんなに虚構であっても、自分が作り上げた世界が壊れるのは怖いものです。

その恐怖は本人にしかわからない。

それを受け止めてくれる人がいなければなおさらです。

 

それは愛しかないだろうと、私は思います。

 

自分の中に愛があると知った時。

 

世界に愛があるのを知るのではなく

自分の中に愛を見つけた時です。

 

宗教というのは、そのためにあるんだな、きっと。

 

誰かに癒されるんじゃないんです。

自分の中に癒しの種を見つけるんです。

 

混乱していた過去の自分を抱きしめた私はやっと

前に進めそうな気がしています。

 

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