優しい人ほど恐ろしい
いっきに秋が深まってきました。
わたしは毒舌ではあるけど
現実で人に対して
悪口や陰口を言わないし言うところもない。
うちのこがあーだこーだも一切言わなかったし。
ひとつ前に書いたことも
読み返してみたらキツイなと思わなくもないけど
誰もが、やさしさの内側に隠して蓋をして
だけど、自分にとって不都合な人物がやってくれば
そういう感じで牙を剥くよねっていう話でしかありません。
役所の窓口で断られる人
福祉関係の人から傷つけられる人
むちゃな要求をする職場の上司
辛い目に遭っても、「でもその人はいい人だよ、普段は」と言われて終わりになったりする。
それで終わりにするのが大人だと言われてる。
日本では、痛い目に遭った人ほど我慢させられ、自己責任で反省させられ
誰にも話しすら聞いてもらえない。
優しい人だと思って話を聞いてもらおうとすれば断られ、まるで話を持ち込んだ自分に非があるような気持ちにさせられることが多々あるということです。
でもそれについて、誰も何も言わない。
私はつい、書いてしまう。
それだけのことです。
誰にでもいい顔をした話を書くのは誰かがやってくれるでしょう。
誰も悪人にしない物語を作るのは、日本人の得意技です。
そうすれば自分は決して攻撃されないと思っている。
アメリカのドラマを見ていると、とても気持ちがいいのは
誰も取り繕わないし、取り繕っていることも露骨に言い合うところです。
「かわいそうだから」みたいな感情が存在していないみたい。
欲に忠実で、恋人同士でも仕事でやりあうし、きつい表現をしても誰も咎めなければ、誰一人それを抑えない。でも、お互いに信頼しあってる。
いちいち「その言葉には棘があります」みたいなことをちくちく言ってくる人は
一切出てこないんだよね。
他人を変えようとするより、自己主張を優先するところ。
それが生きづらい人もいるかもしれないけれど
少なくとも、「言葉の使い方がどうこう・・・」などという意味不明の感想を送ってくる日本よりずっとマシな気がしてます。
自分の主張を述べればいいだけなのに、なんで相手をやり込めようとする?
そうまでして相手の言動を封じたい?
そうしなければ自分の意見も言えないの?
どんな人にもどんな団体にもいい部分なんていくらでも見つかるし、いくらでも自分で宣伝していらっしゃるし、誰にでも伝わってる。
だけど、その中にある闇については、絶対に自分自身で語ろうとしない。
そりゃ不利になるし、嫌なのは理解できるけど。
個人であれば、自己分析ができるのが大人なはずなのだけど
なぜか不都合な部分に目を瞑るのが社会人だ、という論理があるのは
とっても不思議なことですよ。
自分が悪いと思っている部分を愛してあげて、と言ってる人たちは
団体や教祖と崇める人たちの悪い部分を明るみにしてあげることにどうして反対するのかしら。
悪い部分を認めて愛してあげたらいいんじゃないの?
自分で自分を愛していれば、攻撃されることはないって誰かが言ってたけど。
色々と矛盾があるよね。あちこちに。
私は一度霊能者から「SIね」と言われたことがあるし
「地獄へ落ちろ」と聖職者から言われた経験のある有名人もけっこういるらしくて。
今も私は、愛より悪のほうに魅かれてるし、そっか地獄って楽しそうかもしれないと思うし、あの人たちが神様に愛されて天国に行くなら私は別の場所でもいいかなと思ったりするよ。
表がしんどくて、裏で必死で生きようとしている人たちがいる。
とってもラブリーだと思う。
離婚して初めて出会った世界の人たちが、私の視野を広げてくれた。
キレイキレイな場所が排除してきた私の負の部分を
何も言わずに受け入れる人がいるなんて、これまでの人生で考えたこともなかった。
夜の世界を排除したい人たちは、その世界の人たちに救われてる人間を救うことはできないんだよ。表の世界が好む人間を選んでいるから。
スピも自然派も人を選別してる。そのことに少しは気づいてくれるといいなと思ってる。
毒や悪を嫌うなら嫌えばいい。
善には不信感しかないし、別に私はかまわない。自分の人生を全うできればいい。