風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

聞き流すのが正解

ハローワークで苦手なタイプの人に当たってしまい

凹んだから美味しい昼ご飯を食べることにした。

 

人を不快にさせてる人には自覚がない。

 

私は、悩んでたくさんの人に、私のことを聞いてみた。

繊細な人ほど、どう思われてるか知りたくなるし

自分が人に迷惑をかけてないかどうか気にしてる。

 

どう思われようが、迷惑かけようが全然自覚のない人は

誰の意見も聞くことはないし、耳を貸すこともない。

 

だから、結局、アドバイスをされてしまうのは

いつもいい人で、気を遣うからこそ、人の意見を聞いてしまうのだ。

 

カウンセリングを受ける人は、ある程度自分を理解しようとしているけれど、

世間の多くの、人を凹ませるタイプの人は、自分がカウンセリングが必要な人間であることを自覚すらしない。

 

この矛盾を、世界は解決していない。

 

いじめっこはカウンセリングを受けないのだ。

カウンセリングをする側にまわったりする。

 

本職の臨床心理士たちは、お互いのケースを話し合い、自分たちもスーパーバイザーをつけてクライアントになって訓練されるけど

適当なところで資格を取った人たちは、そんなことすらしていない。

それがたぶん、弊害になってるんだろうなと私は思う。

 

なので、誰の言うことも、聞き流すのが正解なのだ。

 

本気で誰かを守ったり育てたりしたことのない人が

「誰かの傷をほじくり返す権利」などない。

しばらく前までは、そんなことをしようとする人が増えてきてたから心配してたけど、最近では軽い占いにみなが移行していて、ちょっと安堵している。

 

占い程度でいいのだ。

悪い結果は聞き流していいし、誰の言うことを聞くかも自分で選べばいい。

 

私は以前、すべてを受け入れようとしていた。

私の欠点を見つけ出しては言いたがる人たちの餌食になった。

自らそうなろうとした。

自分の中のすべてを悪者にすることが、贖罪だと思っていた。

だから、そういう人たちを呼び寄せては、私が自分で自分を攻撃するように仕向けたのだと思う。

 

それがわかったのは、西加奈子の「i」という小説を読んだからだ。

「あなたは恵まれてるんだから」という言葉で、私は自分の中の寂しさや悲しみを「人に言わない」ことに決めたことや、傷ついていないことにする、という風に自分を作り替えたことを思い出した。

 

本当は何も恵まれていなかったにも関わらず

私のことをそう見ていた人がいて、その人の視線を私は取り込んだ。

家が大きい、両親に恵まれている、長女でおさがりの服を着なくていい、親にひいきされている、勉強ができる・・・

何でもよかったんだろう「あなたは恵まれてるんだから」という呪いの言葉は

私を支配した。

 

今、私は自分を罰する気持ちがない。

かつての10分の一か100分の一にはなったと思う。

だからもう、誰の言葉にも支配されないし、無駄な時間を誰かの支配欲のために使ったりしない。

 

人の中にある罪悪感を餌にする人はたくさんいる。

お金に換えたり、自分の精神的な安心感に換えたりする。

自分を罰する心を持った人を瞬時に見抜いて、近寄って、搾取する。

その巧妙さに、私は何度もやられたし、それは自分の希望でもあったのだろう。

 

自分のうちにある罪悪感を除くことは、そういう人から自分の身を護ることでもあるし、そういう人に対して餌を与えない優しさにもなると思う。

 

他人に自分を明け渡す前に、自分で自分を助けてあげてほしい。

 

わたしはここにいてもいい。文句を言っていい、嘆いていい、悲しんでいい、辛くていい。

笑わなくていい、怒っていい、泣いていい。

 

自分で自分に許してあげよう。

 

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