風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

寂しさの行方

今日も雨でした。

 

とあることから、上半身が痛み出してて

常に筆記用具をもって歩く人なのに

書くことがめんどくさくなって困っています。

 

原因がわかったので、回復すると思うんだけどね。

 

腕が動かないと日常生活に支障出るなあと改めて思います。

やる気が失せる、以上。

 

さて。

 

一人暮らしも2ヶ月を過ぎやっと慣れてきたところ。

寂しさに吠えたくなる日もあるけど、それは別に独り暮らしに限らないと思って耐えます。PMSのことがほとんどだし。

 

結婚していた頃、夫と一言も口を利かない日が続きました。

夫の言動で自分が怒ったり泣いたりすると思っていたけれど

実はそんなこと全然なくて、夫が何もしなくても言わなくても

気持ちが沈む時は沈むんだなあってその時にわかったん。

 

だから今が寂しいからって、それを一人暮らしのせいにはしない。

 

家族と一緒でも寂しい時は寂しい。ちゃんと自分の寂しさを見つめるって大事やと思う。自分がどうありたいか、どう生きたいかを芯から決めることができるのは、一人になったから。誰の期待もないし、思惑もない。

男の人がいちいち修行に出て悟りを開くけど、やっぱりね、本当に一人にならないと見えてこないものがあるんだと思う。

 

たまたま「心の穴」という単語を見かけて

心が動いたから今日はこのタイトルにしたんだけど。

私にも昔、心の穴があったような気がしていました。

私以外の人が全員立派にみえたり、自分には何もできないのかと落ち込んだり。

何をしても満たされなかったり。

 

そもそも「満たされないとダメ」という思い込みもあるんだけどね。

 

あらゆる解決法やメソッドに目を通し、実験もして

私なりに今わかることは

「みんな、好きに生きたらええねん」ってことです(笑)

 

幸せそうに見える人が羨ましくて仕方ないなら

やってみればいい。どんな手を使ってでも。

諦めたかったら諦めたらいい。

 

ただね、自分の求める方向が、世間の「よさげなひとたち」に寄って行ってるとしたら、一度は疑ったほうがいいと思う。

今や、普通に働くよりも、起業したり、お金持ちの人と結婚してキラキラに見えたり、副業で儲けたほうがよさげにみえるでしょ。

それが本当にやりたいならいいけど。

あの人たちは、自己宣伝力でそこまで来てるだけで

仕事する実力とか、人を遣う能力とか、それは見えてないわけ。

広告会社にいた経験があるのかもしれないし、お金積んでコンサルが付いてるのかもしれない。流行に乗るのが「運のいい人」だと思いたければそこに乗っかるしかないわけです。

 

でもそれで、心の穴も寂しさもどうにもなんないよ。

 

誰かのノウハウに乗っかっても、自分の人生とはリンクしない。

自分の人生を考えられるのは自分しかないんだよ。

 

自分を愛すればいいって人は言うけれど

そもそも「愛する」がわかってなくない?

子どもの頃から追い立てられて

これがいい、これは悪いって周囲に決められてそれに従って。

そんな自分を「愛する」ってなに?とか思わないのかな。

 

どんなに「もの」を買っても、美味しいものを食べても

「安心」がなければ、自分を愛せない。

 

何があっても自分が自分の味方になるってけっこう難しいよ。

でも、それをやれば、ちょっと変わる。

 

家事ができない→OK

1日中寝てた→OK

お風呂入ってない→OK

みたいな感じ。

 

小姑みたいな友達がいて、いちいち生活をチェックされてたらこれはできないでしょ。

 

人間、何もできない時も、何かをやってるんだよね。

その「何か」って自分では気づかない。だって当たり前にやってることだから。

けれど、その「何もできないのにやってること」を発見したら、けっこういい感じになるよ!

 

どんなに些細なことでも、くだらないと思うことでも

自分で拾ってあげて。

それが宝物だから。

 

寂しさとかそんなもん、宝物を見つけるためにあるようなもの。

適当に見繕ったもので「満たされ感」になる人生よりも

わたしは寂しさでのたうち回る経験をしてよかったと思う人生を選ぶ。

 

めちゃくちゃ豊かだよ。心の中。魚がいっぱい泳いでるぐらいに(笑)

そしてそれは、誰にも奪われないし、一生自分のものだから。

なんであんなにみんなが羨ましかったんだろうって今は思います。

どんな経験も無駄にならないっていうのは本当でした。疑ってごめんなさい、神様。

 

ある人に片思いをして、悩んだからこそ、出会えた人たちがいる。

そう思うと、「縁がある」というのは、必ずしも「付き合えた人」ではないんだなあと思います。

あの人と会わなければ、悩まなければ、今の自分はない。

お互いに何となく続いてたほうが楽だったんだろうけど、それを敢えて「切る」方向で運命が進んだことに、とても不思議な縁を感じていて

どうしてあそこで、あんなことを言ったのか、相手は勘違いしたのか。

それすらも導きだった気がして

 

うまくいくことだけにフォーカスしていると

いつまでも失恋したことに囚われて前に進めなかったかもしれないですよね。

どうして結婚できなかったんだ、どうして続かなかったんだって。

それは自分のせいだ、何が悪いた、なんだかんだって原因探しに没頭してたら人生時間足りないよ。

 

全部が流れだし、その流れが何に向かっているかは神のみぞ知る。

ってことで!

 

そろそろ晴れてほしいですね。

 

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