風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自分のことは自分だけで回収したい

 昨日これが我が家に届きました。

食事をする時もパソコンする時もこれに座ってます。

腹筋と背筋に効きそうな予感。

ストレッチにも使えるので良き!

 

また、ひとつ経験したいことをしてきました。

いや~やってみなくちゃわからないことって

たくさんあります。

 

経験せずに想像で語るのはあまり好きではありません。

やってみてもいないのに、それがいいとか悪いとか

好きだとか嫌いだとか

そんなのわからないと思うんです。

 

こどもが何かを体験してきた時に、まるで自分が経験したかのように

語る親ってけっこう多い。

私の親もそうでしたけど、子どもから事情聴取みたいに事細かく聞いて

それを自分の知り合いにしゃべりますよね。

いっけん、とてもよさげな感じはしますけど。

でも、子どもは自分の体験を搾取されただけなんです。

もしそこで、何か悩んだり辛いことがあったとしても

そういう話は親も聞いてくれないんですよ。

楽しい話しか求めていない、なぜなら、自分がその楽しさを追体験したいからです。

 

つまり、誰かの人生をテレビで見たり小説を読むように消費するだけ。

 

その体験した子どもは、本当に味わった大変さとかしんどさとか、それを親に受け止めてほしいのに、それは無視される。自分たちが楽しくないからです。

せっかくいい話を期待してたのに、いじめの話なんて聞きたくないわって。

 

お金を取ってセッションしておいて

「いいお話をありがとうございました」って言う人いますよね。

結局それも、同じバージョンだと私は思っていて

人の悩みや話を聞く立場の人間が、ただ聞いて感動してるだけってどう考えてもその仕事をしている資格はないと思います。

悩みを聞く、相談を受ける限り、その場で自分は全力で向き合い、言葉を発するのも間合いを考え、自分の中で問いかけ、かなりの精神力が必要なはず。

気楽に「いい話ですね~涙が出ます」なんて言えないはずなんです。

だから、お金取ってるんでしょ?

 

精神的に疲れもしないセッションをして

会員からお金だけいただくところを見つけたら

私はすぐに去ります。

 

私もたくさんの人の話を聞いてきましたけど、一度だって無邪気に感動できなかったし、自分はこれで良かったかどうかと自分に問いかけることしかしなかったです。

あ、無料でやってました。お金取ったことないですよ。

 

人の話を聞くことを仕事にするってのは、そういう責任の下であるべきだと思ってますけど。わかってない人はいっぱいいるみたいです。

 

自分が他人の話で感動したいなら、お金を払って聞かせていただくのが筋。

それを、スピだからって「セッションします」でお金をいただいておきながら

感動を味わおうとするのは全くおかしなことです。

 

人の話を聞いてしんどくならない人なんていないですよ、普通。

 

自分が何かに感動したい、楽しみを得たいのなら

自分が行動して感動したらいいです。

人の話を待つのではなくて。

 

感動するためには、その分、辛いこと、悲しいことも経験しなければなりません。

そうでなければ、感動はそれほどでもないからです。

人の話を求める人は、その辛さと悲しみを味わうことなく、誰かが経験してくれた感動体験だけを得ようとする。

そのずるさに気づいてください。

 

千夜一夜物語の王様じゃないんですからね。わたしたちは。

 

「退屈だから、話を持ってこい!」って。

 

わたしは、自分の中に、たくさんの面白い体験を詰め込んでいくつもりです。

そして、シェアしたい人にだけシェアしていきます。

聞き出すなら、それなりの対価、よろしくです(笑)

 

二十歳の時、私の心の穴には何も入っていなくて、ブラックホールのような闇が広がっていました。けれど、今は、おもちゃ箱のように楽しいがらくたがいっぱい詰まっていて。虹のようにたくさんの光で満たされています。

これからの人生でしんどくなった時には、そのがらくたを見つめて、ちょっと取り出して、また元気になります。

経験は力です。どんなに悲惨な物語であっても。

 

観客にはならない。最後まで。

 

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