風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

内輪は怖い

昔から、内輪ってやつが苦手です。

家族が苦手、というのもたぶん同じ。

 

外に開いてない感じ。

全力で「内輪のメンバーだけの利益を考えてる」感じ。

どうして集団になると人は判断力を低下させてしまうのか。

大学院でも行って研究すればよかったと思うぐらい。

 

興味関心のある人にしか伝わっていない話かもしれないが

べてるの家」と「東京シューレ」で問題が発生している。

どちらも、その界隈では世界的に有名な場所である。

弱者に寄り添って多くの人を救ってきた場所であると

私は思っているし、その側面は否定できない。

 

けれど、いざ問題が発生した時の対処については

その辺の、セクハラパワハラをもみ消す企業と変わらないもののようだ。

 

私が思うに、個人が始めた団体があれよあれよという間に大きくなったことが原因だと思う。

始めた個人の目に見える範囲内でやってる分には良かったのだろうが。

 

組織を作るということに対して

日本人は無防備すぎる。

家族でさえ、まともな組織として運営できないというのに。

 

人は、3人集まるとややこしくなる。

よっぽどお互いの距離感をうまくやらないと問題が発生する。

うまくいってるってのは

誰かが我慢しているか、誰かが支配力を持ってるか、誰かが悟っているか

のいずれかではないだろうか。

うまくいかないのがデフォルトで、うまくいかない時にどうするのかについてお互いにルールを決めて守ることができれば、3人以上の団体になってもうまくいく。

 

日本人は、それを「やさしさ」「おもいやり」で対処しようとする。

「いいことをやってるから」見逃されると思っている。

というより、内輪であれば許されるはず、という甘い目論見があるのかもしれない。

 

価値観が違う複数の人間と一緒にいる、ということに

日本人があまりにも慣れていないのでなないだろうか。

同化するか、同化できない相手は排除して「レベルが違う」「あなたの居場所はここではない」とか言い訳するのがオチで、耐えられないんだろうと思う。

 

軋轢を起こしながら、いい組織にしていくことができない。

 

軋轢を避ける為ならなんでもやる。

 

だから、内輪が嫌いなんだ、わたしは。

 

スピな人たちが必ず固まっていくのを私は見てきた。

そして内輪揉めするか、まともな人を排除してカルト化していく。

カルト化していく宗教は、間違いなく、まともな人が入れなくなっていく経過をたどる。

色んな人が「やめます」「ここじゃないと思う」と去っていくことに対して、自分を省みず、去っていく人を「かわいそうな人」扱いするのもお約束だ。

 

そこにお金が絡むとマルチになるんだがwww

 

私は、不登校界隈を長期間見てきた。

東京シューレにも関心を持って、資料を取り寄せたこともある。

だけど、私自身、どうにもこうにも、「元教師が立ち上げたフリースクール」が苦手で関与できなかった。

元教師が、自分の理想とする学校を作って、そこに不登校児を招き入れただけだと思った。不登校児を大切にしているように見せかけて、実は、自分の価値観で運営する学校を作っているだけだからだ。

そのような「不登校児を受け入れてるフリースクール」が全国にいっぱいある。

 

公立の学校であれば、問題は山積みだけど、教師の質はバラバラで、価値観もぴんきりだ。ひとつの思想に固まるのは、私立にありがちだけど、それでもそこを選んで受験するという選択肢の一つではある。

しかし、不登校児を受け入れるフリースクールは選択肢が少なすぎる上に、主催、運営する個人の色が強く出過ぎているところが本当に多い。

その個人に合う合わないかで子どもたちが教育を受けられるかどうかが決まってしまうんじゃないかと思えるほどだ。

 

そもそも、日本には「自由」という考え方がまったく根付いていない。

何がフリースクールだ。運営する人自身が、学校教育の申し子でしかない。

フリーと言いつつ、偽学校を作ってるだけじゃないかと私は思っていた。

 

農業をさせたらいいと言うところがある、なんだかスピがかった人が来て、絵や音楽を披露するところもある。

それより美術館に連れてってあげるほうがずっと勉強になるのに?

オーケストラの演奏を聞かせてあげるほうがいいのに?

 

結局、フリースクールと言いながら、宗教色の強い団体の受け皿になってたり

元教師の「自分の学校を作る夢」の受け皿になったりしている。

 

それを見てきたので、私は東京シューレに問題が発生しても

何らおかしくないと思った。

 

べてるの家も、同様だ。

 

小さな町でひっそりとやってるだけなら問題はなかっただろうに。

 

そこでしか救われない人もいるだろう。

個人の考えに多くの人が賛同してきたんだろう。

だけど、組織になると何かが暴走するんだよ。

 

「人を救ってきた」ことと「組織としておかしくなる」ことは両立する。

そして、組織を守ろうとして、人を救ってきたことを盾にして

組織のおかしさを隠してしまう。

 

自然派の団体でもそういうとこがあった。

 

どんなにいい思想だろうが、人を救ってきたことであろうが

組織としてダメになったら、解体したほうが本当はいいんだと思う。

家族を解体するように。

本当にいいものなら、もう一度始められるはずだ。

小さいところから。

そして、団体として、組織として、何を間違えたのかを

咀嚼しながら新しいものを作ればいいのだ。

 

家族に依存している人のように、その組織に依存している人たちは

内輪の人たちを投げ出させないし、解散できない。

自立させないってそういうことだろうと思う。

 

そこできちんと育ったものなら、解散してもそれぞれでまた、

どこかで種を撒いていける。

そういう信頼を作るのが、私は本当の組織だと思う。

 

わたしは、家族を解散しても、子どもたち一人一人が自分の新しい場所で

誰かにいい影響を与えて生きてくれると信じてる。

そのために育ててきたんだし。

 

囲っておかないと不安でしょうがない。囲われてないと不安でたまらない。

みたいな、そんな団体や組織はいらないんじゃない?

ひとりひとりが自分の頭で考えられること、自立して今すぐにでも外に出て行けること、どんな考え方で反論しても受け止められること、討論できること。

外に開いていること。

 

常連だけがのさばる国って本当に息苦しいから。

 

さて。今日もまた、新しい場所にいく。

仕事を辞めてから、新規発掘のために新しい人や場所と出会い続ける。

新しいところに飛び込むのは本当にパワーがいる。

だからこそ、まだ元気なうちに出掛けるんだ。

 

f:id:pikake-jasumin:20200630222720j:plain