父の日
夏至でもあり、父の日でもある今日。
なぜか父のことを思い出していた。
それはつまり、両親とわたしの関係について。
親を親として見ていた頃は
どうしてもわからないことがたくさんあった。
それがやっと、親を一組の夫婦として、結婚したカップルとして理解できた時
ようやく謎が解けた気がした。
どこにでもいる妻の典型として
「私にとって守ってくれる男は夫しかいない」と思い込んでいて
夫から見放されないために何でもやるものなのだ。
たとえ夫が子供を虐待しても見て見ぬふりをするし(私のことではありません)
夫が自分を大切にしてくれないことを子どものせいにして子どもを虐待する。
また、浮気されても我慢する。
結婚とは「相手しかいない」「相手が離れることを許さない」という気持ちを強烈に植え付けるモノなのだと私は思う。
恋愛感情を死ぬまで持ち続けるのは尊いことのように思われているけれど
その実態は、「何があってもパートナーをここから出すものか」という執念に近い感情も混じっているんじゃないかと思う。
周囲に愚痴を撒き散らかしても別れないし
とにかくまあ、色んな意味でやっかいな男と女ではある。
その中で、母親の嫉妬の的になってしまった長女は
いじめられるか、地味に目立たないように女にならないように育てられる。
妹はなぜかライバルにならないんだよね、不思議と。
だから、次女や末っ子は女らしくなれるし甘え上手でも許される。
第一子の娘は、父親の可愛がり方も半端ないからか
一生母親からライバル視されたりする。
そう思うと、母をひとりの女として、許す時が来たのかもしれない。
母には、父しか頼る男がいなかったのだから。
子どもを犠牲にしてでも、自分を守りたかったんだろう。
私には、父も、夫も、息子もいた。羨ましがられてたのかもしれない。
わたしは、父が大好きだった。
父の持っていたレコードは全部聞いた。
父が持っていた本もほとんど読んだ。
妹や弟は不思議とそういうことをしなかったみたいだ。
甘えた記憶は一度もないが、趣味嗜好を取り込んだことは間違いない。
娘だからできたことなのかもしれない。
もつれた感情の糸がこうしてほぐれたのは
娘のことを大切に思って語る幾人かの男性と出会ったからで
私がその、語られる娘像に嫉妬の気持ちを感じたことが始まりだった。
どんなところにも、自分を癒す鍵はあるものだ。
そう。自分を絶対に傷つけてなるものかと、子どもや誰かを犠牲にして自分を正当化して悩んでいるよりも、傷ついて涙を流すからこそ得られることのほうが大きい。
大人になるとなぜか自分を守りたがる。傷つくことを避けて、無難に我慢して、その割にパートナーの悪口は盛大に言いながら、生きている。
いいんだけどね。
父の日に。父が大好きだった自分を見つけた。