だから女性対女性じゃないっていうのに
一番直近の不倫騒動について
この記事が一番わかりやすいし
これまでの不倫についても普通にこれだろというものを読んだ。
そもそも、不倫とは、結婚生活を保つために男性が行うものであり
決して不満が溜まっているからというわけではないのは
経験を積んだ女性ならわかることである。
だから、相手の女性だってそこはおおよそわかることだし
その気まずさの穴埋めのためにお金を支払っていたんだろう。
男は、結婚生活も、素晴らしい性生活も、お金も、名誉も全部を手に入れたいものらしい。
その上で。
わたしは、もうひとつの問題を提示したい。
人は、一人の人間にすべてを頼れないということだ。
どんなにパーフェクトと思って結婚したところで
相手に対する不満や不安は出てくるものであるが
それを相談する時に、異性に相談したほうがいい場合だってある。
ところが、女性だけでなく、男性も
パートナーが自分とは違う異性に相談したり仲良くなることを良しとしない。
もしや浮気でもされたら、と思う。だから、DV男になるわけだけど。
困った時の相談先は、多ければ多いほどいい、というのが私の持論だ。
「わたしだけに相談してほしい」という思いっきり依存する人がいるのもわかるけれど、相手の人生のすべてを解決できるパートナーなど存在しない。
それは、「親友だから」と友達関係を縛り付ける中学生レベルの感覚ではないだろうか。
お互いを尊敬しあい、パートナーとして認め合うとはどういうことなのか。
私は、ずっとそれを見つめている。
「依存」という言葉が独り歩きし始めて
とてもネガティブな意味に捉えられ、ちゃんと勉強もせずにただ「依存」を忌み嫌う人たちも増えている気がするのだけど
そしたら、結婚はネガティブでしかないことに、どうして気づかないのかなあと不思議に思う。
これだけ「依存は嫌だ」と依存されることをとことん嫌がっているのに
結婚という最大の依存をみな、望んでいる。
「私だけの彼氏になって」ということだ。
まあ、自分を助けてくれる父親的存在が一生側に居てくれたらそれは助かるよね。
けど、それは対等なパートナーとなるのかどうか。
わたしにはよくわからない。
だって、女性としての満足も必要だし、生活の基盤も必要だし、心の安定も必要だ。
この3つをすべてひとりの男性だけで埋めようとしたら、それはそれで見つかるのか?という問題にぶち当たる。
誰かが誰かを犠牲にして成り立つ結婚生活になるとすれば
「結婚とは幸せではなく犠牲である」という信念を世界に発信していることであると思う。
男性側が・トロフィーになる妻・刺激的な女性との交際・母親的なカウンセラー的女性
を別々に求めるのが普通であるのなら
女性だってそういうこともあると思うんだけどな。
そこは、性別による差はないと思われる。
不倫をなくすことはできない。
結婚という制度がある限りなくならないと思う。
人は完ぺきではないからだ。
だから、どういうパートナーシップをお互いに築きたいかを話し合えること、そして、時々修正しあえることが大切なのであって「こうあるべき」でがちがちに固めた結婚生活はしんどいだろうなと私は思う。
「夫の不倫を許せない」という女性に対して私が思うのは
どうしてそんなに自分が「夫のすべてを満足させられるはず」と思ってるのかということ。すべてにおいて、夫を配下に置いて、コントロールしたい気持ちが見えてしまうことだ。
裏切る、裏切らないの問題は別にして、の話。
女性だって、もっと夫以外の誰かに頼っていいし、友達を作っていいし、好きにしたらいいのに。それを抑えていることが「裏切らないコト」になってるから、おかしな話になるのかもしれないね。
結婚とは「相手と何でつながるか」の確認を何度もすることなんじゃないかな。
うちは、私が断捨離(モノのだよ!)をしようとすると「俺も断捨離されるのかな」ってぼそっと言ったんだよね。話し合いをせず、勝手にそう思い込むことから距離が生まれるんだなあと思ったことがある。
相手と一緒にいる意味、必要性について、まあ、それも日々変わるのだけど
時々は明らかにして、言葉にしてみることで避けられることもあるかもしれないですね。