プライドは大切
なぜこんなにも紫陽花は雨の日に似合うんだろう。
灰色の空に紫や薄いブルーの花が映えることを
神様は知っていたのだろうか。
英米児童文学を読んで育った私には
憧れの大人の女性がたくさんいた。
経験と知恵があって、オシャレで、凛とした強さがあって。
だから、自分がその年齢になったことが嬉しいし
他人の目がどうこうよりも、自分なりの美しさで生きていきたいという
プライドだけはある。
プライドが高すぎる、と言って誰かを貶めようとする人がたまにいるけれど
プライドがない人に魅力を感じるのだろうかと自分に問いかけると
「それはないな」という答えが返ってきた。
最近のアラフォー以上の男女を見ていて思うのだが
「プライド何処へ行った?」という行動が多くないだろうか。
この年齢になって纏える雰囲気があるというのに
わざわざ若い子に取り入るかのような言動や文章を採用している。
20代の若者は紳士にはなれないが
50代なら十分紳士の風格はあってよいはずだ。
なのに、いまだに女性に絡んだり、甘えてみたり、拗ねてみたり。
ちょっとでも頑張ってカッコつけてみたくないのだろうかと
不思議に思う。
セクハラパワハラだけは一人前にできるようになっているが
紳士のようなふるまいをする訓練も勉強もしていない。
というか、「誰も教えてくれないし~」って、そこも人のせいにしてる。
女性の50代はそれなりに美意識がある人が多いから
釣り合う男性を見つけるのは、これから大変だ(←自分のことだ!w)。
需要と供給が釣り合っていない。
理想が高すぎだのプライド高すぎだの言う前に
理想をもたなくても生きてこれた自分に
疑問を持っていただけると女性も悩まずに済むんだけどな。
死ぬまで頭脳は働き続けることができるし
死ぬまで理想を求めて生きていける。
ずるずると看護師や介護士にセクハラをする、プライドをかなぐり捨てた生き方を見て、「こんな風になりたい」と誰が思うだろうか。
説教臭くて、自慢ばかりのおじいさんじゃなくて
立ってだけで素敵で、会話もしゃれてるおじいさんになりたいと思わないのか。
なぜ今日こんなことを書く気になったかというと
人間ドッグで行った病院でびっくりしたからだ。
看護師さんが話しかけると「はーい」(^O^)/って手を挙げて返事したのだ。
高齢者男性が。
幼稚園児のようにふるまっていたのだ。
別に認知症もなければ、弱っている風でもない普通の男性だった。
年齢を経て退行することがまるで普通な国って
他にあるのだろうか。
英米で、自らを幼児化させることを喜ぶ高齢者っているんだろうか。
女性にもそういう部分があるよね。
人に頼ることがいいこと、かわいいおばあちゃんになることがいいこと、みたいな。
面倒を見てもらいやすくするための戦略だとは思うけど
動けなくなってからでもいいじゃない?
威張ることとプライドがあることは全然違う。
むしろ、プライドがある人は威張らなくても礼儀正しさや年齢にふさわしい振る舞いがある。ダンブルドア先生やポアロみたいになりたくないのかい?
威張る人ほど、女性の前で幼児化する。
意味わかんない(笑)
男も女もプライドを持とう。
かっこいい高齢者を目指さないか?