自分を大丈夫だと思えること
お彼岸らしいですね。
墓参りもしないけど、ご先祖様のことは忘れないのでいいのだと思っています。
人生は、順調でないように見えることだらけです。
けど、どんな時も、それは「いい人生であるためのもの」だと
私は自分で信じています。
自己責任という言葉でもなく
自己肯定感でもなく
ただ信じることのみ、という個人的なものです。
なので、当然、他人の悲しみを「自己責任」と思うこともありませんし
自分を好きになれば波風立たない人生を送れるというなんてことも
思ってないです。
今日もまた、凹むこと一つ二つ。
神様のばか~~~~と叫ぶしかない状況。
今までなら、即「どうしたらいいか」に思いを巡らせて実行しようとしたのですが、それもいいのですが、
ちょっと自分が落ち着いてから考えよ、と思えるようになりました。
凹むのは体調や気圧の原因もあるので
しょうがないよ、間が悪かったんだよと
いい波が来るのを待つのみです。
もし、パートナーでもいたら、自分の気分が悪いのは全部あなたのせいじゃん!て八つ当たりしそうでね。
だから、わたしは今、ひとりが心地よいのです。
誰も悪者にしなくて済むのは、潔くて気持ちがいいです。
いや、八つ当たりも好きだし、八つ当たりできる幸せってあると思うし
そこは素直に羨ましいですけど(笑)
人の数だけ好意の種類があって
その好意を受け取れるかどうかというのは
タイミングと自分の種類との相性です。
だから、好意を受け取れないことに罪悪感を持つ必要もないし
タイミングが悪くて逃したとしても
それは次のタイミングがあるということ。
「わたしはそうじゃないけど」「それを好意とは思えないけど」という自分自身に素直になって、そこから関係性をはぐくめることが理想かなあ。いいなあ、そうなったら~。
それはともかく。
自分の人生は大丈夫。何が起きても大丈夫。
その信頼が次のビックウエーブにつながると思って生きてます。
天気も落ち着きがないので、落ち着かなくていいんじゃないかな。
そういうことにしておきたい!
映画「人間失格」を見て、松本侑子著『恋の蛍』を読んで思ったのは
全然太宰と関係ないけど
恐妻家、いわゆる女性の言うなりになってしまう男性(母親からの愛を求め続けるんだろうか)は、強い女性にとっては御しやすいから、恋に落ちても女性は自分を貫けるってことかと思いましたよ。
変にプライド高くて、女性をこき使う男性と比べても
優しいというよりも、女性に頭が上がらず、甘えたいからこそ、女性からの要求を無視できないところが、女性にはたまらないですよね。
耐える女性を貫かせてくれるし、子ども産ませてくれるし、認知してくれるし、一緒に死んでくれるし。
女性の願望をかなえてくれるという面で、きっと太宰治は理想的であり、だからこそ今も、人気があるのかもしれません。
という勝手な妄想にて、今日のブログは終わります。
台風去って暑くなりました。
ゆっくり過ごしましょう。