知らんけど(笑)
息子に教えてもらった「何でも言うことを聞いてくれるアカネチャン」
地味に好きです。
興味ある人、ググってみてね。
「しらんけ~ど~~~~(^^♪」
PMSにより盛大に落ち込んで、やっと復活です。
ほんま、めんどくさいやつですねwww
今日はポケモンのイベントがあり、スマホとにらめっこしていました。
めちゃくちゃポケモンに詳しい人とお友達になりまして
一度やめていたのですが、これも復活。昔のデータが取り戻せず新規で始めたので、ダッシュです。以前より必死。詳しい人がいると色々聞けるのでいいですね。
廃人にならないようがんばります!
ボランティアも、ゲームも、ボカロも、あるいは読書もコブクロも。
私の中では同じレベルで存在していて、どれも大事。
思想じゃないんだよね、趣味、すべてが趣味。
恋愛も結婚も子育てもたぶん、同じ。
だから、いちいちお涙頂戴にできないし、感動ポルノにもしないし
成長物語でもないっていうのが世間の人たちと違うところです。
どんな趣味でも人間の成長はあるから、別に子育てだけが偉いわけでもない。
結婚生活が続いたからってそれがどうした?みたいな感じです。
自分自身の中にある、この世界と関わる恐れや、この世界に馴染めない自分を責めていることについて、ここ一年ずっと観察してきました。
感情が揺れるたびに、その感情を見続けて、否定しない練習をしました。
余計なものが剥がれていってる中で、今、わかってきたことは
ほんまにわたしって個性的やね~ということと
「自分自身が傷つけられて抗議してきたこと」を「人を非難したらだめ」という意味に取り違えられて、それが辛かったな~ということ。
嫌なことに声をあげるのが、この国では難しい。
「言い方を考えろ」ってすぐ言われるし、言い方が悪いからと、傷すらなかったことにされてしまう。
理不尽なことに怒ることと、無闇に悪口を言うことは違うんだよ。
その区別がわからない人がとても多いし、だから、「とにかく口をつぐむ」「ポジティブなことしか受け付けない」ということになるんだろうと思う。
夫の暴力には黙って従ってるけど、子どもが言うこと聞かないと許せないというのはその典型だと思う。
直接強い人に抗議するよりも、怒りを受け止めてくれる人に「正当な理由で」怒りをぶつけるのが、「批判されないやり方」として認知されてるから、
わたしのように、夫にはやり返すけど子どもには手を出さない、という風にやると「夫を理解してない」「夫に優しくない」「素直じゃない」「愛がない」と言われる。
対等な大人に対して気を遣って、子どもにはやりたい放題ってそっちのほうが愛がないだろ?違う?
ほんと、私にしてみれば、変だお!
その違いがやっと私の中で腑に落ちたので、これ以上、自分を責めることはないし、理不尽なことには罪悪感を持たずにきちんと対処していけるようになりました。
違う考えの人たちを説得する気ももうない(最初からない)し、何を言われようが、わたしはおかしくないと思ってるし、これが「違いを認め合う」ということになるんだなと。無駄に腹を立てても仕方ないし、お互いに理解できないわけだから、そういうものとして付き合うしかない。わたしは、わたしで!
それにしても「悲しみの大元」がわかると、とても楽になる。
なんでみんな、こんな簡単なことがわからないんだろうって怒ってたよね、ずっと。
怒るべき相手に怒らないで、八つ当たりできるところに八つ当たりすることがどうして許されてるんだろうとか、そういうことをする人が、「愛がわかりました」とか何言ってるんだろうとかね。
そこはもう、全然違う世界で生きてきたわけだから。
お疲れ様です!お互いに!っていう感覚です。
ある人が「孤高だけど孤立してないでしょ」と言ってくれて。
それがとても心の支えになってます。
仲間仲間っていうのまじで無理だから。けど。孤立は怖いよね。
だから、セイフティネットをあちこちに作ってる。
自分の好きなものを通して友達を増やしていくのが、これからの目標。
ポケモンフレンドとか(笑)
まちライブラリーのボランティアもそのひとつ。
軽やかに、あちこちに出没して、楽しめたらいいな。
話題はいくらでもあるんだし(≧◇≦)
誰のことも、し~ら~ん~け~ど~www
最強の「栗餡バターぱん」たまらんおいしさ!