お片付け
ベッドのシーツを毎週洗濯する贅沢ができるようになったのは
ここ一年ぐらいだろうか。
休みの日は一日寝ていることも多く
日々の生活だけで精いっぱいであった。
ベッドメイキングができる人は元気なんだろうなと思っていた。
今は、元気がなくても洗濯する。
寝具が気持ちいいと、なんとなく気分がいいからである。
どんなに気持ちが落ち込むことがあっても
お日様の匂いの布団ほど幸せをくれるものはない。
やっと、引っ越してから手を付けていなかったすべてのものを見直すことにした。
これからの自分に必要なものだけ残すこと。
大切に取っておいた子どもたちの思い出の品も、お友達に手渡した。
押し入れにあっても仕方がない。今、遊んでくれる子どもがいるなら使ってもらう。
そのほうがいい。
息子と二人にしては荷物が多いと思っていた。
ひとりで、いつでもどこにでも行けるように、身軽になりたいと思っているので
断捨離するものはけっこうありそうだ。
断捨離する少し前、
わたしは、自分自身のイメージを、長い間、間違ってとらえていたことに気づいた。
自分にしかできないことがあったことに気づいた時、それはまるで、オセロの白と黒が一瞬でひっくり返ったようだった。世界がまるで違って見えた。
「モノを売る」「才能を売る」・・・・・今の日本では、これがすべてだ。
目に見えない力は、売れない。
売れない人間を認めてくれる人なんていない。
以前の私はそう感じて、ひとり寂しくなっていた。
誰かに認めてもらいたい、何かを売りたい、という欲は、何をしてもなくならない。ずっと暗闇の中にいるような気持だった。
・・・まあ、脚は売れるかもしれないw写メして一枚いくらとかw
っていうのは冗談だけど。・・・
たぶんこれからも、私の能力ははっきりと目に見えることはない。
だけど、そういう自分をどうやって「誰かの役に立たせるか」を
考える方向にシフトしてみた。
売れたいんじゃない、役に立ちたいんだって。
そしたら、ずっと心の底で温めていた「やりたいこと」にたどりついた。
驚いた。すごくない?
意識せずに知ってたってことだ。自分のこと。
勝手にやってたこと、勝手にできていたこと、それに自分は価値がないと思っていただけ。そして、誰にもわかってもらえないことに拗ねていただけだった。
今の私にはわかっている。これは誰にでもできることではないって。
私にしかできないことだって。
金持ちにはなれないけど、いい仕事すると思う(#^^#)
片づけをしながら、これからの夢を描いている。
夢ではないな。もうすでに私の中にあるんだから。
誰もが自分にしかできないことに気づいて、生きていけたらいいなと思う。
誰かに評価されることだけが人生じゃないとわかれば
どれだけ楽になるだろう。
誰もがテレビに出たいと願って、YouTubeができて、誰もがテレビに出ている感覚になった。今の政治家もタレントになったかのように振る舞っていて、本来の仕事をやってるのかどうか怪しくなっているけれど。
そんな風に、ムードだけで自分自身の価値を上げたり下げたりしてないだろうか。
自分の素晴らしさを思い出してほしい。今何があっても、誰と仲が悪くても、誰を許せなくてもいいよ。そんなことと、あなたの価値には何の関係もない。
関係ないんだ。
また、明日。