人に頼れないのは自己責任か
ある場所で、今から書くことを書いたら攻撃されて
誰にも庇ってもらえなかったということをひとこと
書き添えておきましょう。
今の学校社会において、「頭がいい」という価値は何のよきことも生みません。
30年前と違うのは、「頭がいい」を拗らせる人たちが増えたということだけです。
ひとつ。
成績がいいだけで、教師に遣われます。
教師の代わりに同級生たちを見張るよう言われたり
教師の代わりに同級生の面倒を見るように言われます。
成績がいいだけで「生意気な子」というフィルタがかかります。
女の子はなおさらそうです。
成績の良くない(頭がいい悪いにかかわらず)女子が好みの教師はたくさんいます。
ふたつ。
その教師の評価に対して怒った人たちが
なぜか、教師に怒るのではなく、「頭がいいと思われていた人間」に対して
怒りを向けます。
「わたしは、頭が良くなかったけれど、スピリチュアルな能力はあった。だから、頭がいい人にはこんなことはできないんだ」
「ちょっと頭がいいからって偉そうにしないでよね」
などなど。
「子ども時代に成績が良かった」というだけで
完璧な人間性まで求められる、期待される。
普通の子どもらしい生活をすること自体が無理やりになる。
思いやりがないとか、高学歴の人が犯罪に手を染めるとか
そういうのって、別に頭の良し悪しじゃないじゃないんですよね。
倫理観、道徳観、成育歴に何があったか。
そしてそれは、頭脳がどうであれ、思いやりのない人はないということです。
頭が良くないから人間性がいいという因果関係もありません。
成績がいいと、やたら教師が頼りにしてくるんですよ。
自分の身代わりをやらせて仕事を減らしてくる。
だから、同級生も「あいつに頼ろう」となる。
そりゃ、成績が悪い人(点数が取れないだけで頭が悪いわけじゃないと思う)のほうが、頼るの上手くなりますよね。
その観点だけから考えるとね。
頼りにされる=人に頼れなくなる、ってのは間違いなくある。
自己啓発や恋愛本で「頼られ上手になろう」みたいのがあるけれど
はっきりいって、お前ら、人に頼って生きてきただけやんか!と思わず突っ込みたくなります。
ノート貸して、教えて、返事しといて、掃除さぼるわ・・・
そうやって他人の人生の時間を横取りして生きてきたうえに
さらに「頭のいい人は頼れなくてダメよね」・・・ってな。
それもいつか、自分に戻ってくるんだろと思うのですけれど。
今や、野球界でも、ダルビッシュさんなど、頭のいい人たちが冷静に発言されてます。決して「おれら、頭悪いからさあ」と無茶な練習を後輩に強いたりしてないんじゃないでしょうか。
わたしは、記憶力が良いだけで、別に気持ちに余裕もなければ
統率力もなかったし口下手だったので
教師の言うなりになってしまったということが
子ども集団に馴染めない人間になった一因でもあるなあと冷静に思います。
成績が悪いとなんでも許されるんだなあ、いいなあ、と思ったことも一度や二度ではないです。成績がいいのは妬まれるだけだけど、体育ができたり、音楽ができたりするtスターですものね。なんでやねんって。今でこそ、クイズ王などとその才能が評価される(されてるのか?w)時代になりましたが。
女性だし、そこはほんとに、辛かったですよね。
完璧を求められる苦しさ。
できないことまで「できるだろう」と思われるしんどさ。
それを口にできる性格ならよかっただろうけど
私は自分の中に抑圧するしかありませんでした。
結局、先生って、学校にいる間は頭脳のいい人間を重宝するけれど(教師である自分の評価を上げてくれるからね、生徒は道具に過ぎない)
卒業したら「やんちゃな子が好きなんだよな」とか言っちゃうメンタリティ。
学校制度は昔から破たんしています。
なのに、「頭がいい人なんて」と言ってる大人の思考停止っぷりは健在。
人に頼れなくなったのは、あなた自身のせいじゃない。
それを取っ払うのがどれほど怖いか、わたしは知ってる。