私とスピリチュアル的なものとの出会い
私がスピリチュアルというものに興味を持ったのは
おそらく、児童文学だと思います。
伝説や伝承というのは、それ自体がスピリチュアルなものを含みます。
想像上のものだと言い切れない何かを残していると私は考えていました。
きっとどこかにいるのだろう。視えないだけであるのだろう。
佐藤さとるさんの書くコロボックルも、松谷みよ子さんの民話に出てくる鬼やカッパも
洋服ダンスの中に異世界があるナルニア国も、私にとっては単なるお話などではなかったのです。
なので、「わたしは視えないモノと話ができます」という人たちが現れた時
好奇心でいっぱいになりました。
本当だろうか?私の思っていたことは、やっぱり本当なんじゃないだろうかと。
小学生の頃には、マイバースディやムーといった雑誌があり
それもたまに読んでいました。
図書館に行けば置いてあります。
いつかUFO見たいなあ、私にも妖精と会話できたらいいな。
そんな妄想を膨らませるのが好きな女の子でした。
占いも大好きでした。
そんな私が、スピリチュアルな世界に魅力を感じたのは当たり前と言えば当たり前でしたが、違和感を感じたことがありました。
その違和感を言葉にするのに、20年かかったわけですけれども。
昔の占いには「こう生きるべき」という「べき論」は全くありませんでした。
「今日はいいことあるかなあ」「片思いの彼としゃべれるかなあ」というかわいいものでした。おまじないも載っていましたが、いわゆる自然療法を紹介する走りのような記事だったり、空想で楽しむものでした。
それがいつの間にか、心理学的なものや成功哲学のようなものと合体してしまい
無邪気に楽しめなくなりました。
「あなたの毎日はマイナスでいっぱいだからダメなのよ」「神社にお参りしないからこうなのよ」という脅しが入るようになりました。
私にはわからないから何とも言えませんけれども
そんなに簡単に他人の生活や、他人の人生に口を出していいと思う占い師がこれほど増えるなんて想像もしなかったですし
そもそも「視えること」自体が、「信じられなくて当たり前」であったはずで、「信じられないことを信じてくれる人」に対して、主婦をやりながらだとか、副業的に自分の人生をかけてもいない人たちが、言いたいことを言い出す時代が来てしまった。
私は、途中から心理学も独学で本を読んでいましたから
「簡単に心理学の資格を取って、占いと話術に信ぴょう性を持たせて売れたらいいわ」的な発想をしている人にも驚きました。
心の問題を扱うということは、危険な状態の人にも「こっちに来て」と言ってるのと同じなのに、もう意味が分からないと。そして、自分が「占えます」「視えます」と言っておきながら、そういう重篤な心の病の人が来ると、ひどいことを言って追い出したり、そのことをブログに書いていたのを目にしました。
そして「精神疾患の人は来ないで」という一文が加わってきたのです。
え?心理学に欲目出したのはそちらさんですよね?自分が理解できる範囲の人しか来ちゃダメっていう、お気楽な稼業になったんですか?みたいな気持ちでした。
そしてまた、「視える人」というのも、精神疾患と共存するところもあるはずなのに、他人のそれは取り扱えないというのも不思議でした。
そうこうするうちに、あらゆるものが生まれては消えていき、あらゆる人たちが現れては消えていきました。(セラピー自体は残ってるけど、もう流行してないとかね)
人生相談でお金を儲けることができる時代になりました。
「私は占いを学ぶためにこれだけお金をかけたんです」と言ってる人もいるけれど
そんなの、どんな仕事だって同じですし、お金をかけた分だけ回収できる仕事ばかりではないです。
そんなの大人なら普通にわかること。
小さい頃からお金をかけて育てられて、大学院で研究をして、世界のためになってる人の成果も、それを無料で私たちは、ネットを使って簡単に教わっていたりするんですよ。
そもそも、占いやスピ的なことをしている人たちは
「世界を見ていない」ことが多いです。
つまり、自分が育った世界の価値観を引きずったままなんです。
カードの解釈ひとつにしても、占い師の価値観が現れる。
相談者の価値観と合致すれば喜ばれるでしょうが、違えば怒られるかもしれません。
ジェンダーバイアスあり、家族原理主義あり、いじめっ子よりいじめられっ子を責める人あり・・・ええ、そもそも神様という概念は人間が創ったものですから。
自分の頭の中にあるもの以外は出てこない。
スマホのない時代の占い師が、どんなに未来を予言できてもそれを「スマホ」とは言えないということです。
わたしは、視えたことをひっそりと物語の中に隠してある民話や、児童文学が好きです。その中には、悪い魔女が出てきて、主人公の子どもを脅したりするのですが、その呪いは敗れます。
今の日本には悪い魔女がたくさん、無自覚に生まれてしまったのかもしれませんね。
今は、生きる力になるスピリチュアルしか取り入れないことにしています。
「成長させてやる」的な話はいらないです。
何様やねんって思います
親でもないのに、親でも嫌なのにね。
わたしは、お箸の使い方も教わっていませんでした。
自分で矯正しました。
それぐらい、親は何も教えてくれない存在でした。
わたしにとって、妖精や魔法使い、不思議なものたちが友達であり先生であり、生きる知恵を教えてくれました。
今でも、心の中で一緒に育っています。
わたしには泣いてる暇も与えられなかったし、弱気になることもできなかったので、先の見えない毎日を占いで乗り切るのは、生きる知恵のひとつでした。
それを依存だのなんだの言われたくないんだな、これが(笑)
自分を安心させる毛布のような存在が私のスピリチュアルです。
決して呪いであってはならない。
呪いとして私に使用した人たちとは縁を切りました
たった一人でこの世界を生き抜かなければならない人たちの
暖かい毛布でありますように。
スピリチュアルが呪いになりませんように。
良質のものを手にすることができますように。