風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

一対一は幸せか

こんな夜中にこんばんは。

書こうと思ってたのはこっちなのに

帰り道で前の記事が閃いた。


忘れないうちに書こうと思う。


母親との共依存という概念を知った時から
「一対一の関係を幸せだと思うからそうなるんじゃないか」と思ってた。

もし、一対一に縛られてなければ
親子も夫婦も救われるのにと。

この子だけが分かってくれる。
パートナーだけが私の味方。
だから、縛る。依存し、依存させる。
気持ちが離れるのを恐れる。


村八分の最も小さな単位は家族なんだよね。

家族にハブられることの恐怖を
村全体、国全体に広げてる。


もし、スピリチュアルの言うように

私が私の味方であれば


パートナーは必要なくなる。

現に、男性の宗教家(後世に名を残すような)は、妻子を持たないことが多くないか?


悟った後に、パートナーとどう関係を結ぶんだろねって思う。


悩みでもなんでも、1人にぶつけず、分散させるのが生きるコツだと私は教わった。
そして、たしかにそれが一番生きやすい。


だとしたら、

子供を生み育てることと恋愛と性愛全てを
一人の人で賄うなんて不可能じゃないのかと

離婚した今、考えている。


なぜなら、家庭を大切にしたい気持ちと、恋愛したい気持ちは、イコールではないのだから。


どちらかを捨てなければ幸せになれないのはどうしてなのか。

私にはわからない。


子育てのパートナーと、恋愛のパートナーを分けることはそんなに難しいことだろうか。


そしたら、母親が息子を恋人扱いすることもないだろうし、娘にベッタリ依存することもなくなる。


母親の寂しさを父親が受け止められない場合、どんなに父親を責めたところで変わらないからだ。


その弊害は子供に及び、親が毒親になってしまう。


どんなに仲がいいように周りから見えてても、違うかもしれない。


家族原理主義
パートナー最上主義。
これでは行き詰まる気がしてならない。


すべてをパッカンしてみたらいいのに。


あー、また、20年早いことを書いたかもしれないね。


虐待って縛り合いなんよ。

世間の目から見た幸せを壊さないためにみんな必死になる。


一対一が最高だって思わされてるやん。


で、依存するなとか意味不明やん。


矛盾しまくり。


「私の○○」て、言ってしまう時点でアウトやん。


私が夫を作ってるとか
私が子供の行き先を決めるとか

そやって縛りあってる人は何も言われず
自由にさせたりしてる人ほど
なんやかんや自立しろだのなんだの
言われてる。


自立してたら結婚せんで生きてけるよ。


自立してないから結婚相手になれるねん。



婚活の矛盾、早く気づかないかな。


依存したくてたまらない女性は結婚できます。


んなわけで。

いいねのつかない記事終わり。