自由というぬいぐるみ
今朝、小さなスーツケースを持ちながら
自転車に乗ってる男性を見た。
スーツで、長い髪を後ろでまとめていた。
なかなかいい感じだった。
毎日色んなことが起きる。
スーツケースを持って自転車に乗る人を見るくらい
昼間はなぜか、鳥が手にぶつかってきたよ。
友達と中華を食べてもう眠い。
そこそこの学歴で頭のいい人たちは
「自由にすればいい」と言う。
まるでそれを信じているかのように言う。
けれど、私は知っている。
「自由に生きていい」と思っていることが「正しいこと」だからそう思っているだけで
子どもが結婚しないことや引きこもっていることを悩んでしまうくらい
「自由に生きていいなんて思っていない」ことを。
妄想の中の自由は美しい。
体験しない自由は輝いて見える。
夫に守られ、子どもを大学に入れるために努力し、お小遣いを得るためにだけ仕事をしている。家庭からも世間からも逸脱しない「自由」を夢見ている人たちと自分とのかい離を感じると、頭の中が「しん」」とする。
結局、組織から逸脱して自由になった人は
「大人になって自由にしたければ学校ぐらい行っとけ」と言ったりする。
または、結婚という檻の中にいながら「あなたは自由に生きていない」と人に諭す人もいる。
わたしは、本気のアウトサイダーを求めているのかもしれない。
組織の中で組織を壊せるぐらいの。
「おれって変わってるよね」と言いながら他者に認めてもらおうと必死になっている人よりも、本気で権力に立ち向かう人のほうが好きだ。
孤独感が半端ない人に惹かれてしまう。
安心できる場所もなく、安定もせず、だけど必死で踏ん張ってる人が好きだ。
自由というぬいぐるみを可愛がっているだけの人に対して
今もまだ、何を話していいかわからなくなることが多い。
そういう自分のことが嫌いでもない。
欲望だけが私に優しく寄り添ってくれる。夜になる。
あの人も起きているだろうか。
心の不安定を抱えながら、今も。