風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

依存とか執着とか(わたしの考えだよ!)

クリスマスが終わって静かな街になりました。

 

昨日は、クリスマスマーケットに行ってみたらラッシュの電車のようでした!

最後だったしね~恋人たちも友達同士もいっぱいで、ひとりの私はその間をすいすいと抜けてお店を眺めておりました。

 

さて。

 

私の人生、穏やかな時がないのでありますが

そのため(そのため?w)依存という言葉と共に歩んできました。

依存という言葉が使われ始めた頃からかもしれない。

ここ十年ほど、依存という言葉を知っているだけで、なんとなく人を裁ける的なムード漂っていてちょっとやだなあって思ってます。

 

私的観察によると、父親の呪縛の全くない男はいないし、母親の呪いから逃れている女の子なんて皆無です。

他人のことは誰もが良く見えるもの。

だからって、自分を差し置いて他人の依存を語る趣味は私にはないのです。

あの人もこの人も親を背負ってるなあと思うだけ。

つまり、親に依存してない人もいないし、執着してない人もいない。

 

いわば「依存との付き合い方」だったり「執着の度合い」で人生が楽しいとか楽しくないとかあるわけで。

それ自身がゼロの人なんて生きてないんです。お釈迦様でもあるまいし。

 

でね。

わたしは、不登校支援なるものをやってるわけだけど

これ、完全に趣味だから。

私が「支援やってます」と言うだけで「他人ばっかり目を向けないで」って言う人が必ずいるのね。それって、その人の中に「支援をする人は、他人の不幸にばかり目が行ってて、自分を幸せにしていない」という定義があるだけなの。

 

それはその人の頭の中にある世界で、私の世界ではないんですよね。

 

わたしがそもそも、親の会を立ち上げたりしたのは

ひとりで寂しかったからだし

友達を作るのに、いちいち会を探すのしんどいし、できあがった場所で友達作るより、自分の場に入れたほうが仲良くなれる。

 

待っても誰も何もしてくれないよ?自分で自分を救うしかないやん?

 

そのための、出会いづくりをしてるだけなんだけどな。

 

私の趣味は、人と会うこと、人としゃべること。

子育てで孤立していた私は、外に友達を作ろうとしたけれど

価値観の合う人に出会えなかったわけ。

それで、自分で会を作ってみた。

そしたら、友だちができたんだよね。

 

誰かを救う趣味はない。

私の作ったところに来て、話をしたら、「楽になりました」って言われるだけで

お金ももらわないし、救われない人に失望することもなかったよ。

 

誤解されるのは慣れてるんだけど。

みんなの普通とわたしの普通は違うんだなと思う、しみじみ。

 

書くのが好きだから書いてるし、誰かを勇気づけるつもりもなくて

ただ読み返した時に自分が救われてる(笑)

 

らいぶらりー作りたいのも、大好きな本に囲まれて、そこに大好きな人が来てくれたら最高じゃん?誰を救うの?私だよ!!!

 

「救ってあげてる」人ほど、私のことを「人を救ってる風」に見えるのかもしれないね。

 

がんばれ!

 

職場でも、わたしほど冷たい人はいないんじゃないかな。みんな優しいのよ。

わたしは自分の仕事と他人の仕事をはっきりわけるから、手伝えないことは引き受けないけれど、それでもまあ、うまくまわってるわね。

 

自分の力以上のことは絶対にやらないし、やるって言わないもの。

 

自分が持っている知識と知恵を分けてるだけで、なにひとつ苦労していない。

 

不登校カフェもカギ開けてしゃべってるだけだからなあ。

 

それでも、ありがとうって言ってもらえる瞬間があって、生きてきて良かったと思う。それだけ。

 

人を救いたい気持ちは、母を救えなかった絶望で終わった。

人は人なんだなあって思ったし。わたしはわたしで生きて行こうって思った。

 

自己中だし、わがままだし、人を切るくせに切られると痛くて泣く。身勝手だね。

 

そういう自分と生きていくって決めて、もっともっと楽しみたいと思ってるよ~。

 

まあ、勘違いしたい人はさせておくのがよろしかろうと思うけれども

人を救う趣味はないのでよろしく。

自立しろやって子どもも突き放してるしな(笑)