守られてる
こんなにブログを書かない時期が来るなんて。
ご無沙汰しております。
忘れられたかもしれないと思いつつ、やはり書くことが自分の健康にいいようなので再開です。
人生、色んなことありました。
私がスピリチュアルに足を突っ込む理由はどうしても生きづらさがあるからなんですが、自分にとって心地よいサポートをしてくれる人に巡り合えず、そのうえ、人生を否定されることも多々ありました。
ようやく、自分が生きてきた道を肯定できる出来事があり、サポートもあり、その上でもう一度自分自身を見直す時期が来たようです。
そもそも、大昔に感情を凍結したもので、それが溶ける過程になると、ブログも書けなくなったりします。当時の感情が蘇るので。
で。
金曜日のこと。靴を間違えて履いていったので、仕事中に靴を探しに行ったんです。もう足が痛くてしょうがなくて。
けれど、見つからず、何とか家までたどり着いたものの、どうやら身体中に響いた様子。土日はぐったりしてました。
身体は心に響くので、ちょっとしんどいなあって思いながらスマホをある記事を読んでいました。
依存症の人の記事だったんですが、すごく身に迫ってきたんですよね。
「わたし、一歩間違えたらこっち側だったかも」って。
子育てうまくいかないし、鬱にもなったし、仕事も問題だらけになります。
それでも、生きてる。こうして、ブログを書いてるし、不登校支援もできた。
問題のない人生なんてないと私は思うし、完ぺきに整って幸せな人生に「しなければ可哀想」と思われるのもすごく嫌です、わたしはね。
子どもや元夫と共倒れにならず、なんとか心の安定をはかっていられるのは
何かに守られているからなんじゃないかとふと、思いました。
自分の努力だけではここまでこれなかったと。
必要な時に必要な援助が得られた。
だからね、ここで終わるわけにはいかないのかもしれない。
すべてから目をそらして、そこそこの人生を終えることもできるけど
なぜここまで、自分を痛めるのかもわからないけど
救われたい小さい頃の自分がまだいるんだろうと思います。
今、末っ子との二人暮らし。とてもミニマムな暮らしです。
だからこそ、役割に縛られていない、素のままの自分がむき出しになる。
母親や妻という役割だけやっていれば安泰だった頃には戻れないし
そもそも役割が合わなくて辛かったんだけど
それでもまだ、色々ごまかして生き延びてきたのかも、と思います。
その中で培った様々なものが、私を支えてくれて
あと一息、乗り越える山に登ります。
靴を買いに行くと全員足首を褒めてくれる(笑)
足の細さは私の宝です。
何歳になってもミニスカート必須で!
ほんと、足だけ売れないかしら~。
どんなことがあっても、時々悲しくなっても、生きてきた道に自信持って生きて行こうね!!!