媚びない練習
人に媚びて生きていたのは
自分の強さを隠すため
破壊するぐらいのパワーを抑えるため
今の職場では、初期の頃は定休日が決まっていなかったらしい。
ある人が上と話をつけたことで、休みが保障されたという。
その「ある人」は、辞めてしまい、辞めた後は「問題児」のように語られている。
その人がいなければ、休みも取れなかった職場なのに
きちんと話をつけるぐらいの強い人は、ちょっと方向性が違うだけで嫌われていく。
優しくて、誰にでも好かれて、我慢して我慢して働いている人は
強い人を「あの人はおかしかったよね」と排除していく。
わたしも「問題児」として語り草になるかもしれないと
少しだけ恐れた。
けれど、誰のためでもなく、自分のために自分を表現する。
嫌われても仕方ない覚悟をする。
これまでは、媚びることで「どうしてわかってくれないんですか~」という気持ちを抱き続けていた。
どんなに媚びたって、自分の中にある気持ちは変わらないのだ。
相手を罵倒するためじゃない。相手と対等であるために、わたしは媚びを棄てる。
ありのままの自分でいる。
それだけで、私の掌はぴかぴかに光る。
たくさんの金が掌にも甲にも、最近では腕にも現れるようになった。
それが印だ。
言うなりになると思っていた私から反論されることを嫌がる人は多い。
それをずっと自分が悪いと思ってきた。
まあ、最初に油断させた自分が悪い。
人は、ひどいことに慣れていく。
叩かれ続けると、叩かれても文句を言わなくなる。
そして、叩かれて文句を言う人に文句をつけるようになる。
弱者を抑える理論ができあがる。
わたしはそれが嫌なのだと思う。
自分の身を守る姿を見せることが
誰かを守ることにつながると思うから。
犠牲になって喜んでいる姿を晒すことは
犠牲者を増やすことにしかならない。
youtubeで、本場のライオンキングを観た。
鳥肌が立った。
美しすぎて涙が出た。圧倒的な存在感がそこにあった。
いつか観に行く。
久しぶりに希望が芽生えたことが何よりうれしかった。
心が震えるものをもっともっと見つけていきたい。