風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

通じない

話が全く通じない人に出会った。

「やめたい」と何度も言った。

けれど、彼女にはその言葉は脳内で変換され「頑張れ」という答えしか還ってこなかった。

 

息子にこの話をすると「おれ、去年同じこと体験した」と言った。

そうだった。

体育会系の脳みそをもった教師にいじめられたのだ。

息子が「しんどい」ときちんと言葉にしても、勝手に脳内で変換して「頑張れるだろ、どうしてできないんだ」と。

 

人が「しんどい」「無理」「できない」という言葉を発するのは

よっぽどである。

それを「怠けている」「もっと頑張れるはず」と思ってしまうのは、おそらく、その人自身が、自分にそれを言うことを勝手に禁じているからなのではないかと私は思う。

 

わたしは、そもそも、強くない。

限界が来る前に言わなければ、迷惑をかける。

それがわかっているから、勇気を出して断ったり「無理です」「しんどいです」と言うようにしている。

 

だけど、それが通じない人種がいるのだ。

 

私は怒りたくない。

そんなことで、相手を嫌いになりたくない。

怒れば怒っただけ自分もしんどい。

だけど、私の「無理です」という気持ちを「認めてあげないから」と言われたら、怒らなくちゃいけない。

 

人を勇気づけたり、頑張らせたりする言葉は他にもある。

相手の辛さを「なかったこと」にして、何がしたいんだろう。

 

言葉が通じなかった彼女は、傷ついた顔をした。

私はその前から傷ついていたんだけれど、だから怒ったんだけど。

まるで私が悪人のように思えた。

 

私は昔から、幼児が泣いているのを「かわいいねえ」とかわざと泣かしたりする大人が大嫌いで、不快だから泣いているに決まっているのに何やってるんだと思った。

人が「不快である」と表明していることを無視するか、笑いに変えてしまうという才能を私は持たないし、認めることがどうしてもできない。

 

乗り越えられるかどうかは自分で決める。

他人の言葉がどれだけ無責任であるか、私は身をもって体験しているので。

他人の「がんばれ」という言葉には騙されない。

 

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人を傷つけた私はとても疲れてしまい

何もかもが嫌になってしまった。

 

そうだ、こういう時は自分に優しくするのだった。

自分をいつの間にか痛めつけていることに気が付いて

エクレアを買って帰った。

 

「嫌だ」「無理だ」と言うだけでどうして疲れるのだろう。

どうしてストレートにその気持ちが伝わらないのだろう。

 

昨日も書いたように、わたしは「嫌だと言わない人」に見えるのかもしれないけれど。

 

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やたらとカップルが手を繋いでいるスーパーで買い物をして

お盆はゆっくりと家のことをしようと思った。

 

自分がほっとすること、楽しいこと、笑顔になることをしよう。

 

誰よりも自分が自分の味方でいればいい。