またまた実験中
よく読まれる記事を書くのか、それとも書きたいものを書くのか。
常に迷う。
昔は、書きたいもの一択だったな。
少し欲が出てきたのかもしれない。
今日書きたいほうを選んでみた。
少し前から、実験を始めた。
あまりに精神的にキツイことが起きた時、どうするか。
ある人から教えてもらった「感情を味わい尽くして、味わっている自分を外から見る」というのをやっている。
初めてそれを使ってみたら、次の日にめちゃくちゃすっきりして起きることができた。
そして、何かが変わった。
それほどの衝撃がなくて、そのあとは、「小さな感情の揺れ」に対して、少しずつやってみた。できてるかどうかもわからなかった。
そしてこの震災である。
二回ほど、凹んだ。思いっきり凹んだ。
その時にやっぱり「感情を見る」を使ってみた。
正確に言えば、思い出させてもらったのだけど。
このワークをやっている最中に、別のアドバイスを受けた。
それは「あなたは過去を見ているからしんどいのよ。ないものねだりをしているのよ。今の手持ちの札を使うしかないのに」と。
ああ、違う!違うの!と思った。
そうやって、今の自分の癖を否定して、「じゃあ、いい方向に考えて行こう」ではダメなのだ。
一度、どっぷりその「感情に浸らないと終わらない」のである。
なぜなら、その感情は、過去のものだから。終わらせていないものだから。
ブロックがどうとかではないのだ。「ちゃんと見てよ!」と叫んでいるのだ。
被災して最初に出たのが「どうして一人になったのだろう」だった。
子どもを守れないかもしれない不安と、どうしていいのかわからない不安もごちゃまぜになって出てきた。ああこれは、被災による「過去の感情の炙り出しだ」と思ったので、抑えなかった。出して、出して、その自分を外から眺めるように試みた。
とにかく罪悪感がわいてくる。それと同時に、寂しさとか、ひとりぼっちとか、それはぞろぞろと、意味のないネガティブがやってきては去って行った。
「お~~~ひどい様子だね~しんどいね~」ってもうひとりの自分が眺めている。
そのうちに収まる。
これが「感情を成仏させてやる」ということだとしみじみ思った。
悲しみをごまかさない。寂しさもごまかさない。
自分は寂しくないんだとか、相手がこういうやつだから私が~とか、そういうのもいらない。「うぉ~~~寂しがってるよ~~~」しかない。
今日は今日で、おじさんたちの間にいた。責められるかと思って、ちょっと突っ張っていたのだが、そういう自分を面白がってみていた。
彼らは自分たちの困り具合をひとしきりしゃべってすっきりしたのか、最後は優しい笑顔で帰って行かれた。私は、ほどんとしゃべらなかった。
会議が始まるまで、私は「責められ感」について考えていて、それは、幼い頃からずっと染みついていた思考の癖でもあった。
いいことをしても責められる(やっかみで)、意見を言うと責められる、居場所を追い出される、そういうことが常に起きている状態であった。
つまり、実家が安心できない場所だったということだ。
追い出されるのかもしれないという恐怖感を、私は外に現しながら生きてきた。
なので、今回の被災で、その感情をとことん味わうことにした。
これがそのきっかけになると思ったからだ。
「またかよ~また責められるのか~」と「思う」こと自体が馬鹿らしくなってきて、しかも自分の中に「そんなことされる理由がないわ!」と怒ってくれる味方まで出てきた。
するとね、不思議なことに応援団がいっぱい出てきて。
息子も、友だちに色々聞いてくれて安心材料になってくれるし、話を聞いてくれる人のほとんどが私の味方だった。
何も、何も、心配することはなかった。
わたしは人間関係で不器用だから、そういう扱いを受けていいんだよって思ってた。
相手が私に無礼を働くのはしょうがないことだと思い込んでいた。
「お前が無礼なんだよ」という声が常に私の中に潜んでいた。
離婚したのもしょうがない(自分がひどい妻だったから)とか、子どもとうまくいかなくても「どうせ私だから」と思っていて、逆にそれを覆そうと何かに必死になっていたと思う。誰でもいい、私を認めてくれる人を探すんだ!って。
必死になって私を応援してくれる人を、ひとり、またひとり、見つけてきたのだが、やっと必死にならなくても自然と助けてくれる人が現れだした。
少しずつ少しずつ守っていたものが剥がれていく。
剥がすのは自分。ひたすら訓練と練習あるのみ。
まあ、感情に揺れてる自分って超かわいいけどね(笑)自画自賛(#^^#)
引き寄せとかワークが巷に溢れていて。私もいっぱいチャレンジしたけれど
どの技法も最終的には「自分を観る」ことになるのではいのかな。
それは、「正しくあろうとして客観的になる」のではなく、批判も正論もなく、ただひたすら「凹んでいる自分をそのまま見る」「凹みそのものを味わう」に尽きるのだと思う。喜んでいる自分も観れるだろうしね。
そんなとこで、今日はおしまいです。
Twitterの「大きなカブ」が抜けなかったほんとの理由が面白すぎて
職場の同僚を笑わせたので、とてもいい一日でした!(自分で調べて~)
おやすみなさい。