風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

決めつけ

今日、長い間借りていた部屋とお別れした。

 

離婚するために、別居の事実を作らねばと思って借りた部屋。

私にとって、一人の時間を保障してくれた。たくさん泣いた部屋。

そこで眠ると疲れが取れたものだった。

 

もう、ここに頼らなくても心が回復するようになるんだなと思うと

自分の成長を感じて嬉しくなる。

引き払うまでの心の葛藤はすさまじくて、何度も何度も後悔した。

鬱状態にもなった。

それでも前に進みたくて、無理やり自分を引っ張っていったようなものだった。

 

今は、とても清々しい。

新居をどのように改造しようかと、わくわくしているところだ。

一目で気に入った新居。思い描いていた壁の色と静かな環境、小さなおうち。

私の願いが叶えらえていた。

 

私たちは「こうあらねば」というものに固執する。

決めつけて生きている。

40代にもなれば、結婚や子育てについて、自分なりの主張ができあがってしまう人が多い。そして、自分の考えを疑いもせず、正しいと思い込んで、他人に伝えてしまうことがある。

 

決めつけだらけの人生を歩む人にとって

私のような生き方は信じられないと思う。

 

 この本を立ち読みして、「これは面白い」と思った。

 

ネットでの出会いを否定する人には信じられないかもしれないが

私は今やSNSから国際結婚もありだと思ってるし、ネットで結婚するカップルだっているだろう。昔、お見合い写真だけで結婚した人と何の違いがあるというかと思う。写真だけで移民の花嫁になった人だっている。

 

育児にしても、教育にしても、結婚や恋愛にしても

「一見正しそうなこと」があって、その「正しそうなこと」を言っていれば、自分は間違っていないと思う人は多い。

 

「こうなるに違いない」「こうあるべきだ」「こうならなければおかしい」と思っていると、素敵な生き方が見つからない。

また、新興宗教にハマった人みたいに、おかしな笑みを浮かべながら「正論」だけを繰り返す人になりかねない。

 

私は昔から、あらゆることを疑ってきた。

勉強って何なの?学校って何?先輩後輩っておかしくない?

たくさんの疑問を抱えて大人になった。

だから、子どもにゲームやパソコンの波がやってきても、特に「おかしい」とも「制限がいる」とも思わなかった。いずれこれらが世界の中心になると思ったのだ。

不登校や離婚を、面白おかしく揶揄する人や、「そうならないこと」に心血を注ぐ人の気持ちもわからなかった。

 

私のことを「真面目」と評する人がいたけれど、不真面目に見える生き方をしている人たちが、めちゃくちゃ常識人で、集団から外れることを良しとせず、今問題のスポーツ界のような言動をするんだよね。

 

時代の先端を見て、観察して、楽しめばいいと私は思う。

 

自分のやり方や考え方に固執するのはいいけれど、それを押し付けられるのはたまらない。

 

それでも、私の周りには、超が付くほどまじめな人たちが集まってくる。

ネットやゲームを否定してるし、子どもの不登校も他人事だから許せても、自分ちのことになると許せないとか。

だからって、友達ではないかというと、そうではなくて。

普通に常識人の人が周りにいてくれるから、私は自由でいられるのかもしれないなと思ったりする。

 

決めつけない世界を私は生きていく。

私の表現する道ってそれだけなのかもしれない。

 

子どもにはこうしたほうがいい、こうするのが当たり前、男と女はこういうもの、パートナーとはこうあるべき、そういう様々なものをぶち破って生きていこうと思う。

 

 

今日、これが一番素敵なニュースだった。

希望という言葉がぴったり。

自分が落ち着くところを見つけていくのが人生なんだね(*^^)v