決めつけ
今日、長い間借りていた部屋とお別れした。
離婚するために、別居の事実を作らねばと思って借りた部屋。
私にとって、一人の時間を保障してくれた。たくさん泣いた部屋。
そこで眠ると疲れが取れたものだった。
もう、ここに頼らなくても心が回復するようになるんだなと思うと
自分の成長を感じて嬉しくなる。
引き払うまでの心の葛藤はすさまじくて、何度も何度も後悔した。
鬱状態にもなった。
それでも前に進みたくて、無理やり自分を引っ張っていったようなものだった。
今は、とても清々しい。
新居をどのように改造しようかと、わくわくしているところだ。
一目で気に入った新居。思い描いていた壁の色と静かな環境、小さなおうち。
私の願いが叶えらえていた。
私たちは「こうあらねば」というものに固執する。
決めつけて生きている。
40代にもなれば、結婚や子育てについて、自分なりの主張ができあがってしまう人が多い。そして、自分の考えを疑いもせず、正しいと思い込んで、他人に伝えてしまうことがある。
決めつけだらけの人生を歩む人にとって
私のような生き方は信じられないと思う。
出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと
- 作者: 花田菜々子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/04/17
- メディア: 単行本
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この本を立ち読みして、「これは面白い」と思った。
ネットでの出会いを否定する人には信じられないかもしれないが
私は今やSNSから国際結婚もありだと思ってるし、ネットで結婚するカップルだっているだろう。昔、お見合い写真だけで結婚した人と何の違いがあるというかと思う。写真だけで移民の花嫁になった人だっている。
育児にしても、教育にしても、結婚や恋愛にしても
「一見正しそうなこと」があって、その「正しそうなこと」を言っていれば、自分は間違っていないと思う人は多い。
「こうなるに違いない」「こうあるべきだ」「こうならなければおかしい」と思っていると、素敵な生き方が見つからない。
また、新興宗教にハマった人みたいに、おかしな笑みを浮かべながら「正論」だけを繰り返す人になりかねない。
私は昔から、あらゆることを疑ってきた。
勉強って何なの?学校って何?先輩後輩っておかしくない?
たくさんの疑問を抱えて大人になった。
だから、子どもにゲームやパソコンの波がやってきても、特に「おかしい」とも「制限がいる」とも思わなかった。いずれこれらが世界の中心になると思ったのだ。
不登校や離婚を、面白おかしく揶揄する人や、「そうならないこと」に心血を注ぐ人の気持ちもわからなかった。
私のことを「真面目」と評する人がいたけれど、不真面目に見える生き方をしている人たちが、めちゃくちゃ常識人で、集団から外れることを良しとせず、今問題のスポーツ界のような言動をするんだよね。
時代の先端を見て、観察して、楽しめばいいと私は思う。
自分のやり方や考え方に固執するのはいいけれど、それを押し付けられるのはたまらない。
それでも、私の周りには、超が付くほどまじめな人たちが集まってくる。
ネットやゲームを否定してるし、子どもの不登校も他人事だから許せても、自分ちのことになると許せないとか。
だからって、友達ではないかというと、そうではなくて。
普通に常識人の人が周りにいてくれるから、私は自由でいられるのかもしれないなと思ったりする。
決めつけない世界を私は生きていく。
私の表現する道ってそれだけなのかもしれない。
子どもにはこうしたほうがいい、こうするのが当たり前、男と女はこういうもの、パートナーとはこうあるべき、そういう様々なものをぶち破って生きていこうと思う。
勝間和代さん 同性の恋人公表 | 2018/5/28(月) - Yahoo!ニュース https://t.co/vlZbu3RI6t @YahooNewsTopics
— いく (@pikake0102) 2018年5月28日
今日、これが一番素敵なニュースだった。
希望という言葉がぴったり。
自分が落ち着くところを見つけていくのが人生なんだね(*^^)v