人を好きになるの話
「人を好きになるのが難しい」と↑で書いた。
その件で、思い出したことがあったのでシェアしようと思う。
当てはまる人が他にいるかどうか知らないが、もし、「わたしもそうかも!」と思う人がいれば役に立つかもしれない。
実は私、人からは「好かれるほう」だと思う。
でも、ずっとずっと嫌われる人間だと思い込んでいた。
でもそれは、全くの逆で「嫌われたかった」のだった。
最近、人から好かれることが増えた。というよりも、「私のこと、そんなに好きなの?」(謎)という現実がやってきた。
人生初のモテ期(男性除くw)なのかとも思った。
でね。好かれると居心地悪い自分に気づいてしまったのだ。
やべ~って。
人から好意を持たれると、自然と「嫌われることをする」のが私のデフォルトになっていた。わざと「これやられると嫌だろうな」ってことをするんだよ。
バカじゃん?
でも、自然にそうしてた。自分では「これが私よ」っていう突っ張った気持ちのつもりだったけど、「嫌われようとしていた」ってことに今日気付いてもう、もう、何やってんの!!!って自分に突っ込んだ。
理由はわかってる。
大人げない話だけれど、母親との関係が深く関わっているのだ。
私は、母に絶対的に信頼されていると思って育ってきた。だから、どんな時も母の役に立つように生きてしまった。
だけど、母にとって私は、4人の子どもの一人に過ぎず、思春期になって友だちのことで悩んで相談しても、私の味方になってくれることはなかった。
「あれ?おかしいな、私は好かれてると思っていたし、母親が大好きなのに、どうして私が悪者みたいに言うんだろう」ということが起きるようになってきた。
それがだんだんこじれてきて、「私は好かれることはない」「近づいてくる人は、私を利用するためじゃないか」「私を頼ってくる人ばっかりで、お互い様の友達なんて無理」→これ全部、母親のことなんだよね(笑)
というような思い込みが私の中に形成された。
とにかく友達になるのが怖い。どこで掌を返されるかわからない。いつ、嫌われるかもわからない。二度と怖い思いをしたくない。だから、適度に距離を置いて、いつでも嫌われる覚悟で過ごそうって。
私の、情熱的なところや、なんでも挑戦してしまうところを利用されることが現実に度々あった。私は、困った人や困った団体があると、すぐに手を貸してしまう。けれど、私が一人で寂しい気持ちになっていても、誰も手を差し伸べてくれない、それってすごく不公平じゃない?って私はいつも感じていた。
でも、みんな、私が困ってるなんて知らなかったんだろうと思う。
そして、誰もが自分のことで精いっぱいで、人のことなど構っていられないことも、今ではよくわかる。
どんなに好かれても、頼られても、満たされない。
それは、自分の価値がわかっていなかったから。「好かれることの素晴らしさ」よりも、「好かれたら大変!」のほうが勝ってしまったから。
それほど、自分を信じていなかったし、自分が嫌いだった。
頼られるのではなく、愛されたかった。
私の場合、頼りない自分になったら愛されなくなるという恐怖が常に無意識であったから、頼ってくる人を愛するという気持ちにはなれなかったのは当然かもしれない。
私が同じことをしたら愛されないのに、どうしてあなた達は愛されて当然だと思ってるの?って。
そういうわけで。私は好かれることが怖いし、頼られるのはもっと怖いことだったんだよね。
人を遠ざけるようなことを無意識にしてしまうのも、そのせいだったのかもしれない。
最近やっと「好かれてもいいんだ」と思えるようになった。
今の仕事は「頼られてなんぼ」である。一番得意分野で仕事をしている。
好かれて頼られて、毎日ハッピーなことが多い(仕事だからね)。
好かれる経験を積んで、プライベートでも人の好意を受け入れられるようになってきた。
いちいち、嫌われんでいいんやで~って。
昔はそれで自分を守ってるつもりやったかもしれんけど、もうええで~って。
そこは色々経験して、責任を引き受けすぎないとか、ちょっと厳しめの顔も見せるとかできるようになったからかもしれない。
舐められる顔なんかな、優しくて何でも言うこと聞いてくれそうに見られるし。だから、反撃すると「まさか、こいつに言われるなんて」って余計に嫌がられる。
それでいいんやけどね。
好かれたいけど嫌われたい。そりゃ色々こじれるわ~という話でした。
最近は、安心できる友達がひとり、またひとりと増えて、幸せです♡
たくさんの人に好かれなくていいので。
こんなジェットコースターみたいな私と付き合ってくれることが奇跡。
ありがたいです💛
仕事以外の人間関係も、怖がらずに安心できる関係性が築けるよう、少しずつ自分を緩めていこうと思ってます(#^^#)
ま、お茶でも飲んで。