家族対母親
母親にとって、家族は敵になり得る。
そして、それを「敵だとみなすお前が変わればよい」とするレベルの人たちがいる。
どっちにしても、家族と自分は対立する。
対立の構図でしか、母親をとらえられないから、母親に「あなたが変わればいいよ」と言うことが責めることにつながるのである。
敵か味方かのふたつしかないのは、辛い。
自分が犠牲になってきたと思っている人に対して、「敵が味方になるんだよ」と言ったところで、殺された(と思っている)心は戻らない。
いらんわ!である。
お前が反省してこいや!である。
家族を切ればよい。切ってもよいのである。
恨みはそこからしか、癒せないこともある。
誰が変わるかなんて問題ではない。
とりあえずの生活、毎日の暮らしの生きづらさをなんとかしたいのである。
切実な思いはたったひとつ。
「私を誰か救い出して、私を癒して」であって、「変わろう」というエネルギーなどないものなのだ。
私もさんざん言われた。変わったらいいんだよって。
結局、私は変わらなかった。変わらないまま夫を切った。そして、楽になって自分自身に戻った。変わるのではなく、自分自身が「そこにいた」のだった。
頑固に変わらなかった。腹が立ってしょうがなかったから。
で、それが正解だった、わたしには。
自分自身を発見した時、私は「このままでは嫌だ」と心から祈ったのだった。
夫を切ったことも親を切ったことも、何一つ後悔していないが、家族以外の対人関係で撃沈したことが、自分を顧みるきっかけとなった。
家族の中にどっぷり浸かったまま「母親が変わればいい」なんて、マジ無理ゲーでしかない。
あなたも家族も変わる必要なんてないんだよ。
そのままでいいんだよ。
「どうしたらいいの?」の答えを、必死で探し求めている「こと」が大切なの。
答えじゃないの。
わかる?
変わればいいっていう答えを示したくて仕方のない人って世の中にたくさんいる。
答えを言ってあげることが親切だと思ってる。
どうしてその「道の途中」を応援できないのかと私は不思議に思う。
そして、きっとその人は「変らないでうじゃうじゃ言ってる人」が許せないのだと思う。自分の周囲を、自分の思うように「変えたい」んだと思う。
「変わって幸せになりました」って人だけにしたいんじゃないかな。
自由意志なんだけど、すべてが。
だから、教えてあげようとしていることも間違いではない。
いいよ、それで。ただそれは、正解でもないってこと。
私は変わらなかった。変わらずに家族との関係を変えた。家族との在り方を変えることで、関係性を変えた。そしたら、自分の中身が変化してきた、勝手に。
わかるだろうか?
結婚や家族という枠組みを変えるのもありなのだ。
心を変えるなら、まず環境から。「自分ばっかり損だ」と思うなら、「損じゃなくなる立場になるためには、どういしたらいいか」現実を変えればいい。
人ってね、変えられることが一番嫌なのよ。
人によって操作されることが大嫌いなのよ。
どんなに優しそうに聞こえるアドバイスだって、「操作されてる感じ」がしたら、アウトなのよ。それは、言う人のエネルギーによってか、聴く人の心の作用かはわからないけれど、でも、そう感じたらそうなの。
変えようとしないで人と付き合うこと。
私がこの人生で学んでいることは、それしかないかもしれない。
変わらない人を軽蔑しない、変わらないことを責めるエネルギーを出さない。
変われと念じることもしない。
本当の人付き合いってそういうもんだと思うんだけどな。
家族との関係でどうにもならないってことは、「変わらないことをお互いに学んでいる」ともいえる。
自分の何をどうしても、どうあがいても、息子も夫も何の変化もなく、イラついて、ただしんどいだけだった。その経験があるから、私は、「私が変わったら夫が優しくなりました!」という記事は、「私を除くみなさんに効くんですね」と思って読んでる。
それよりも、全然別のことで、自分の世界がぐるんと変わってしまったのだから。家族家族って「家族教」に囚われていたら、一生この世界の変化はなく、一生家族に不平不満を言ってたんじゃないかな。私の天変地異は、家族とは別次元にあった。
家族から出ればいいんだよ。文句を言ったまま、嫌ったままでいいから。
いい人にならなくていい、「家族が優しく」ならなくていい。鬱陶しい家族のままでいい。そう思っている自分のままでいい。
そこが出発点。
私の祖母なんて、田舎に嫁いで、小姑もいて、おかずも食べさせてもらえなかったんだって。祖父は浮気してたらしいし。それってさ、自分が変われば「家族に縛られていたのは私の思い込みだったってわかりました」なんていうお気楽なことができる場所ではないでしょ。
田舎の嫁にとって、家族も地域の人たちも全員敵に見えることもあると思う。
「変ればいいのに」と思うその人と会ってしゃべって一年ぐらいかけて理解してみなよ。話しはそこからだ。
変わらないものを許容すること。
「ただ、そこにいていいよ、変わらないままいていいよ、でも私は一緒に居られないよ」っていうそれだけのこと。
人生が楽になるポイントは、千差万別で人によって全く違う。
そして、自分自身でそれを探すRPGが人生なのだと思う。
自分が変わることと、家族と一緒にいて楽になるかどうかに因果関係はない。全くないんだよ。
ほんの一握りの同じ体験をした人たちだけが「母親が変わればいいのよ~」って言ってるだけで。
そうじゃないケースを切り捨ててるだけで。
「自分」「家族」「家族関係」は、全部切り離してよいよ。
絡めなくていいから~~~~。もつれちゃうから~~~~。
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立春 - 青い鳥を探して