日本のスピが窮屈な理由
最上川が氾濫したニュースに驚き。
山形は、私の幼馴染が住んでいるところです。
どうか無事でありますように。
さて。
私はかねがね、日本のスピ界ってなんだか変だなと思っておりました。
日本に限らずカルトはあるし、そういうもんかなあと納得させていたのですが
あまりにも「あなたの愛が足りないから」ですべてを終わらせるやり方に対して
「ちょっと違うくね?」と思っています。
このコロナのことがあって
日本があまりにも対策できなさすぎなのを見て
ようやくわかったんです。
日本人は、そもそも「お上」という江戸時代の感覚を引きずりながら、ずるずる生きてきたのだということが。
「自分たちで政府を作る」「政府を動かす」という意識が希薄なんですね。
そりゃそうか。幕府が仕切ってて、明治政府になったって、仕切ってた人たちが政治家だったんだもの。
「自分たちの手で」なんて夢にも思わないのが当たり前。
だから、政治に期待しない、政治が助けてくれるとも思っていない。
・虐待を受けて生きづらかったけど、自力で何とかできた。神様と自分がありがとうと唱えたおかげ。
・子どもが学校でうまくいかなかったけど、学校に期待せずに、神様に感謝したらうまくいった。
という風に、制度の不備に文句を言わず、「自分と神様」だけで人生を解決すればそれでよし、と思ってる。
だから、不満を言う他人が気に入らない。
「あなたの生き方が悪いからそうなるんじゃないですか」としか言えない人になる。
でもさ~
同じ引き寄せやコースを実践してるアメリカじゃ、みんな制度のことについて意見しあうだろうし、政府の助けも当たり前に受けてるだろうし、日本よりずっとお互いの助け合い精神もあると思うんだよね。
その背景がまったく違うところに、思想だけを持ってきた。
アメリカじゃ、自助グループはいくつもあって、教会で行われてる。
生きづらい人が、自分だけで抱えて、セミナーにお金出すことしかできないような環境ではないと思う。セラピストもたくさんいるし、カウンセリングだって盛ん。図書館に行けば助けてくれる人がいて、人生を逆転させるチャンスが転がっているかもしれない。
そういう国で生まれた引き寄せやコースなんだよ。
なんでもかんでも自己責任にして、「不満を言うな、愛だけ唱えてろ、聖霊に助けてもらえ」だけで済ます日常じゃないはずなんだよね。
聖霊に祈った上に、助けてくれそうな隣人や政府が存在する国と
祈ることしかできない、助け合えない、役所にも追い出されるかもしれない国=日本。
そこで「愛がすべてを解決する」と言われてもいやいや~としか思えないのは当たり前だと思いませんか?
国民の精神的土壌が全く違う。
村八分が当たり前で、見張りあい、縛りあい、出る杭を打ちまくってる土地で
「あなただけに原因があるんです」と言われてもね!
エイブラハムのセミナーを動画で見て思ったんです。
日本で、女性があんな風に堂々と前に出て、しゃべって
男性たちの質問に辛辣な答え方をすることがあるだろうかって。
ないよね?
どんな優秀な女性であっても、セミナーしてますっていう女性であっても
男性とあんな風に対等にやりあったりしてるところ、日本で見たことないし。
男が素直に聞いてるのにも驚きます。
そういう背景から変えていかなきゃ意味ないのにって私は思います。
結局は、日本的なものに絡めとられて
「政府は悪くない」「学校は悪くない」「うまくいかないのはあなたの責任です」というアドバイスにしかなってない。ただの斬り捨て。
都合のいい国民のできあがりです。
アメリカなら、コースを学んでようが、おかしなことがあれば、意見を言うのは空気を吸うのと同じぐらい当たり前だろうし、それを咎める人もいないと思う。
それが日本になると「政府、親、学校に文句を言うのは修行が足りない」みたいに言われるんだよ(笑)
「奇跡が起きるのは、誰にも文句も言わず、いい子にしていたご褒美です(*^^)v」みたいなさ、結局そういうものに成り下がってるわけです。
浅すぎやしないかと私は思うんですけどね。
本来の宗教は、現状の政府に対しては抵抗勢力になりえるくらいの信仰を持つものではないのかなと私は思うんですが、違うんでしょうか。
現状をただ無条件に受け入れ、自分の幸せだけに目を向けているだけのスピって・・・
飼い慣らされた犬よりひどくね?犬だって反抗しますよ、酷い飼い主には。
わたしにいいことが起きるのはわたしが素晴らしいから!という人たちに
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