風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

現実を見ないってどうなの

梅雨の晴れ間でしょうか!

シーツを洗濯できるのが嬉しいです。

 

先日、道路をカメが渡っているのに遭遇しました。

運転席から顔を出して亀を発見したのですが

じっと見ると、首を引っ込めました(#^^#)

そして、無事に渡りきったようだったので安心してドライブしました。

 

けっこう車が多い道なんですけど

何台もの車が、ちゃんと亀を避けて、止まっていたのが

微笑ましかったです。

 

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わたしは、色んなことを極めようとするところがあって

宗教的なことを言う人にたくさん会ってきたのですが

その中で、一番疑問に思っていることが

「世界は良くなってるんだから」「昔より飢え死にしている人も殺人も減ってるんだから」と言う人がとても多いことです。

 

それってどういう意味なんだろうかと思いますよね。

 

減ってるからって痛い思いをしている個人は間違いなく

今もいるんです。

 

数の問題じゃないのになあって。

 

ある集会で「今の日本では飢え死にすることはない」と言い切った自称魔女の人がいて、その場で「僕はホームレスを経験しました」という男性がいらっしゃいました。

そして、その男性に対して、きちんとその言葉に対して向き合わなかったことが私には引っかかり、後日、その自称魔女から私も傷つけられたことから、その人の正体を見たような気がしたことがあります。

 

日本の教育がそうなのか、今のこの国の雰囲気がそうなのかわからないけど

「良くなってる」と思うことで、悲惨さを心の中に入れたくないという気持ちがあるのかな。

そしてまた、日本じゃない国のことを評価することで、まるで日本には問題がないかのようなことを言う人もいるけれど、

そうやって足元を見ない宗教というのは、なんなんだろうなと思うのです。

 

今日もまた、どこかで虐待されてる子どもがいる。女性がいる。子ども食堂に来る子どもも大人もいるし、フードストレージを頑張ってる(ということは必要があるからですよね)人もいる。

その現実を語らずに「いや、日本は良くなってるんだ」「世界は平和に向かってるんだ」と断定するその心はどこにあるのか。

私は、ちょっとよくわからないのですよ。

 

別に「今も大変なことがあって、それに向けて知恵を絞る時期だよね」という話にしても何一つ困らないと思うんです。

 

なぜか、現実の日本の話になると、うやむやな言葉になり、はっきりと政治のことを語らない、語りたがらないという風になる。

まるで言質を取られたくないかのようです。

 

そのくせ、外国の政治家の名前は具体的に出すっていう・・・。

 

日本で日本の政治家の名前を出さない、自分の政治的立場を明らかにしない、そのくせ、海外の大統領や政治家の名前は出して色々言うスピな人って多いんですよ。

 

韓国がどうとか、アメリカはどうとかね。

自分の国のことは言わんのか、そうか、明らかにしたらファンが減るのか、自分の立場が危うくなるのか。的な。

それって危険な国じゃないですか?

 

シュタイナーはヒトラーと対立していたという話を聞いたことがあるし

キリストだって当時の政権から睨まれました。

つまり、宗教というものは、現実の政治を変える、脅かすほどの影響力を持ってなんぼじゃないのかということです。

 

なのに、日本の宗教家は、政治を批判しないことが魂の成長であるかのような言動をたまにやりますね。

 

許すことってそういうことじゃない気がする。

 

私は、親ともう会ってませんけど、親を許す=親と和解して仲良くするという風に持っていく人がいて、いやそれは違うだろうと。

 

結局、現象が正しくないとだめということになってしまう。

 

亡き父親とは、わたしはすっかり和解していますけど、それは生きている時にはできなかったです。

それでも全然後悔してないです。

 

「わたしはこういう方向が好きです、嫌いです、こうしたいです」というはっきりとした物言いが嫌われる傾向が加速しています。

 

もやっとして気持ち悪くて消化不良だわ。

 

エイブラハムなんかはけっこうはっきりと言ってますよね。

だから好きなんだろうな、わたし。

 

自分の周りの世界が良くなっていることや、自分が生きやすくて、それは昔の日本とは違うところだ!と言いたいことはわかるけど

それと、今の日本で悲惨なことが「少なくなっていて誰もが暮らしやすいはずだ」という言い方は全然違うよね。

 

勘違いを誘発するようなことを、宗教に関わる人が言っていいのかな?

 

神様に関わっていて、なんだか神様にいいことを教わってる自分だから、何言っても間違ってないと思ってるんかな。

 

そうだ、わたしはわたしの神様にそこは、聞いてみよう。

 

また、何かわかったらここに書きます。

 

わたしは、息子たちは独立しているとはいえ、心配しようと思えばいくらでもできる状態にあります。とてもじゃないけど「今の日本は恵まれてるから心配ない」なんて全く思えない。心配はしてないけど、いざとなったら彼らを守る気でいます。

たぶん、自分の子どもがブラック企業で死にそうになったとかいう経験でもしなければ、わからないんだと思う。

 

私が20代の頃よりは確実に子どもたちは貧しいよ。

 

それが私の実感です。

 

どうしてそれを言わないのかな、見えないのかな?