いつの間にか片付け上手になっていた話
冬服がしまえない今日この頃。
寒い雨の一日ですね。
今日は↑を観ました。
キャッツは、劇団四季に初めて出会った衝撃的な作品です。
中学生の頃、キャッツシアターができて、連れて行ってもらいました。
本物の舞台に触れさせてくれた親には感謝しかありません。
(いつも色々書いてるけどさw)
四季のキャッツがすでに古典になっているように思えるのに
このキャッツはとても新しい演出だと感じました。
猫の顔が、日本より猫っぽくて、これは日本のほうが好きかなあ。
いつかは本場でと思っていたものが、こうしてYouTubeで見られるようになったんですよね。すごいよね~~~~。
さて。
我が家は、結婚していた頃から、人を呼ぶために片づけを必死でやっていました。
自分の部屋はないけど、いつでも居心地のいい場所にしたくて必死。
よく「家庭訪問の前は大変」「先生を家に上げるなんて」という人たちもいますが、私は特に人が家に来ることに抵抗がなかったので
ただ綺麗にしておきたいと思っておりました。
昔は、「お前はほんとに片付けが下手だな」と言われていたので
掃除と片づけが下手な自分、というのが当たり前で
だからこそ、インテリアの雑誌を見ては研究していました。
で、いつの間にか、関係ない学校の図書館の片付けまでやってしまうという・・・wwwしかも、たいそう褒められたと。
いやこれ、どういうことでしょうか~。
あんなに「片付けでけなされて馬鹿にされてきた」人間が、いつの間にか「居心地のいい家ですね」「図書室素敵になりました」と言われるようになっていた。
私だけかもしれませんが
けなされたり、馬鹿にされてきたところに、もしかして才能があるのかも?なんです。
人は、最初から、褒められるところだけで成果を上げて一生生きていくことはないんじゃないでしょうか。そりゃまあ、美人な人が芸能界に行くことはあるかもしれないけど・・・。
本当にできないことなら、求められないし、自分でもけなされてもかまわないはずなんですよね。それが気になって何とかしたいと思うんだとしたら、そこに「何か」あるんじゃないでしょうか。
絶対に家に呼んでくれない人もいることを思うと
なんだろなあ、この違い、と考え込んでしまうこともあります。
あ、そうそう。
「他人を家に入れない人は、それだけ心の中にも人を入れたくないと思ってる」って言われたことがあって、ふと頭に浮かぶ人のことを考えた時に「なるほどな」と。
自分自身を深く見たくない人は、たいがい家にも鍵をかけてますね。
心に鍵をかけてるのと同じ状態。
そして、他人の家にばかり関心を向ける。
何してる、どうしてる、何考えてるって聞くばっかりで
自分のことを話さないね。
当たってると思いませんか?
わたしは、その辺りも昔から無防備で、私のことだけが相手に筒抜けで
相手は何も教えてくれないっていう状況がとても嫌になってしまい
自分のことを話すことを調整するようになりました。
お互いの心の交流ならいいけどさ。私の人生は、誰かを楽しませるためにあるわけじゃないから。観客はいらない(笑)
ちょっと脱線。
そういうわけで、今もインテリア雑誌は大好物ですし
ホームセンターやニ〇リに行くとわくわくします。
どういうレイアウトにしようかな~どんな感じの部屋がいいかなあ~次はどういうインテリアだと楽しいかな~っていうのは
服やメイクにわくわくするのと同じぐらい楽しいですよ!
子どもの頃の部屋は、母親の嫁入りダンスが二つもあって、
畳の和室で暗くて。その時から「こんな部屋はヤダ!自分の好きにできる部屋を持つんだ!」って決意してましたから、その夢はちゃんと叶えました。
人に言われてムカッとすることって
たぶん「わたしはそうじゃないんだよ、本当は!」という強い否定の気持ちなのだと思います。否定というとマイナスなイメージを持つかもしれませんが
そうじゃなくてね。
相手の言ってることは本当の自分ではないのだと、自分がわかっているからこそ
反発してしまうのだと思います。
言われてムカつくことを「相手の言うことは正しいんだから、そんな風に想っちゃだめよ」と諭す人がたま~にいるんですけど
そんなわけあるか~(# ゚Д゚)
自分の感覚を信じましょう。たとえそれが、「今はその人の言ってるような状態な自分」であってもです。
強い反発やムカつきってね。自分に気づくいいメッセージです。
そこに「自分の宝物」が眠っているかもしれないのです。
感情を大事にしていきましょうね♪