風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

不思議な話が大好きなので

なかなか、地球の自転に身体が合わせられません(笑)

 

そろそろ、不思議系の話を増やしていくつもりですが

ここで書いてていいかどうかを思案中。

 

「自分がやりたいことをやる」「今までできないと思っていたことをする」ということを考えた時に、いつも「不思議系のことだけはできない」と思っている自分がいました。

 

たくさんの占いや霊能者と言ってる人たちに出会ったこともありますし

小学生の頃はスプーン曲げやUFOを呼べる人がいて、でも私にはその力がないとわかってがっかりした経験があるからです。

 

能力がないことと興味があることは全然違うんだなあと

この年齢になってやっと認めることができました(笑)

 

ピアノが弾けなくても、音楽に詳しい人はいる。

それと同じなのかもしれません。

 

私を、目に見えない世界にいざなってくれたのは「孤独」でした。

わたしは、あまり言葉が話せなかったのです。

「レコードをかけてたら大人しくしてくれる」と親は思っていて

100曲ほどの童謡のレコードを小学生になる前にすべて覚えてしまったぐらい

黙って聞いていましたし、誰かに「話しかける」ということがなくて、たいてい脳内で自分と会話をしているような感覚で生きていたのではないかと思います。

 

本が読めるようになると、それこそそこに浸りきることができました。

 

一番好きだったのは、松谷みよ子さんの物語です。

モモちゃんとあかねちゃん、は、今読んでも不思議な話ですよね。

また、二人のイーダという原爆を題材にした幻想的な物語もあります。

松谷みよ子さんは民話の採集もされていて、様々な地方の伝説や、不思議体験をした人の話を集めて書き記していらっしゃいます。

 

そういうものが私の原体験としてあるので

「目に見えないものを信じない」ほうが不思議なのです。

そして、最近よくある「副業としての占い」をしている人たちは、意外とそういうのを知らないし、心から信じているわけでもないのかなと思われる人もちらほら見受けられます。

 

ファンタジーを単なるおとぎ話としか思えない人は、私の中ではスピリチュアルな人とは認定していません。

わたしは、SF小説も大好きで、星新一さん、新井素子さん、筒井康隆さんなど、読んできましたが、今の状況を見ると「予言のよう」にも思えます。

だから、私から見ると、SFを読んでいた人は、なんとなく現状の予習をしていたのかもしれないという風に見えます、私もそうです。

 

私にとって、ファンタジーもSFも心霊話も民話伝説も、すべて「同じこの世界にある」ものです。

現実と切り離して考えることなどできないというのは、当たり前すぎて信じる以前の問題です。

 

その前提で日常を生きながら、様々な種類のスピリチュアルなものを体験しようとしてきましたし、誰がどんな風に何を言っているのかを知りたくて学んできました。

 

幼稚園は仏教系でしたので、毎朝、本堂で仏さまに手を合わせることから一日が始まりました。

3~5歳まで毎日。そして卒園時には西本願寺でお剃刀をしていただいて、名前もいただきました。

小学生の時は、なぜかキリスト教系の話に心が惹かれていたのは、児童文学の影響もあるのかもしれませんが、修道院に憧れました。

中学生の時にシュタイナー思想に出会います。大人になってちゃんと勉強しようと思ったら難しくて断念(本だけ持ってるw)。翻訳が難しかっただけかもしれない・・。

 

そうこうするうちに、引き寄せだの成功哲学だのというものが世に出てき始めます。

こっくりさんで満足していた層が、チャネリングというものを始めた時期でもあります。

 

私は自分のことを「母親との間に問題がある人」と中学生の時にわかったんですけど。そこからアダルトチルドレンについて調べ始めて、そこからハイヤーセルフという言葉に出会います。

アダルトチルドレンという概念がアメリカ発祥(依存症というものも)じゃなかったかしら。そして、依存症を回復させる自助グループは、教会で行われることが多かったんですよね。そこで用いられる12ステップというのが、今、スピリチュアルなことを仕事にしている人のある種の考え方にとても近いんですよ。

 

だけど、今の若いスピな人って「依存症お断り」って平気で言ってて、いやちょっと待ってって思いますよね。依存症の回復のために用いられているシステムを利用しているんだよ?って。私が20年ほど前、最初にハイヤーセルフという言葉を知ったのは、精神疾患で悩む人たちを救う場所でしたよ。決して宗教関係ではなかったです。

 

そんな中、「本当に視えるってどんな感じなんだろ」という純粋な興味から、視える人に相談したり、相談しなければならないことが続いたりしたのだと思います。

 

で、いつも思うのです。

視える人、占える人だけがスピリチュアルな人ではないし

そうやって狭いところにいるんじゃなくて

もっと世界に出て、いろんな職業の中に入り込んで、

本気で世界を変化させていけばいいのにと。

わたしは、そうでありたいのです。

 

お坊さんが、お寺に引っ込んで、お金のことばかり考えたり

その安全な場所で瞑想したりするのもいいけど

(昔のお寺はもっと権力と密接だったけれどもw)

普通の暮らしの中で、(「ここに来た人にだけ教えてやる」んじゃなくてさ)

会社で、隣の人と話しているとなんだか不思議な感覚にさせてしまうとか

その人と働くと嬉しくなっちゃうとか、空気が変わるとか

そういう感じになったほうが面白くないですか?

学校の先生になって、いつの間にか学校の雰囲気が良くなった!とか。

宗教家の行き着く先は、どうしたって「社会を変えるための枠づくり」になりますものね。自分が満たされたあとは。

 

私は昔からそれを望んでいて、精神世界で自分を理解した人が

いかにこの社会で何をして生きていくのかを見たかったし

それを自分で体感してみたいと思って生きてきたのだと

なんとなくわかってきました。

 

だから、職業としての占い師になりたいと思えなかったのかな。なんか「そこじゃない」感があって。宇宙人には会ってみたいけど!

 

だって、生きていくことってそういうことでしょう?

 

最先端の研究をしている人や、最新の技術を開発している人たちは

誰よりもスピリチュアルな才能に基づいてひらめきを使っていらっしゃると私は思いますし、地球を救っていますよ。

そういう人たちに支えられて生活している私たちが「祈ることもできる」というわけです。

 

なんだか壮大な話になってしまって支離滅裂ですね。

下書きと思ってくだされば幸いです。

まとめないと。

 

不思議系の話、これからも書いていきますね。

 

現実現実ばかりに囚われるのではなく

すこ~し上から色んな物事を見ることができるようになると

窮屈に視える現実に穴が開いて、生きやすくなると思うので。

 

では!

 

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