アドバイスという存在
わたしがアドバイスを求めるのは
参考に過ぎないのだが
アドバイスを絶対視する人が一定の割合でいるのが
不思議である。
同じ質問に対して、いくつもの違った回答を求めるのが私流で
それはなぜかというと
そこに「間違いなく共通するもの」を見出したいからである。
人間同じ脳がないのであるから
同じ質問をしても、回答はその回答者の視線によって違う。
しかし、些細な違いの中に、わずかに残る共通項があるとすれば
それこそが真の意見にもっとも近いのではないかと私は思っている。
ひとりの人間の意見をまるっと信じるやり方も否定はしない。
だけど、その意見に追従してしまった自分と
その意見を発した人間との間には、主従関係が生まれるだろうし
お互いに責任をなすりつけあうのは目に見えている。
わたしは、アダルトチルドレンという切り口から
精神世界に入った。
だから、その界隈で当たり前に行われている「自助グループ」の考え方は
今でも自分の中に指針として確立されている。
誰もアドバイスをしない。言いっぱなし聞きっぱなしというやつである。
わたしだって、仕事でも家庭でも「こうすればいいよ」と言うことは、ある。
それはある。
だけど、その先に人を導く気持ちは一ミリもない。
どんなにその人が悩んでようが苦しんでようが
私がその時に幸せであろうが不幸せであろうが
その人生に対して、「アドバイスして解決させてやろう」というのは
無責任だと思うからだ。
本気でそれをやるなら、一緒に生活してその人の面倒を一から十まで見るしかないのではないか。言葉で投げつけるだけで人を変えようなんて、まったく不可能な話だというのに。
誠実、というのであれば
アドバイスしたその人のその後を気にかけて、声をかけて、どうしてる?ぐらいの
メッセージを送るだろう。
けれど、余計なアドバイスをしたがる人たちから、そのようなフォローを観察したことは、一度もない。
それどころか、アドバイスをしたがる人たちを賛美する声だけを拾い上げて、自画自賛をしているだけのようにも見える。
実のところ、私がやってきて
一番効果のある励まし方は「聞く」ということに尽きる。
ただ「聞く」のではない。
その人が、何を話したがっているかを察知する能力がいる。
そして、話したがっている言葉を引き出す、さりげない会話をする。
そこに意図があってはならない。
わたしはこれを普通にするので
相談に行った先で、思いっきり逆に自己主張を聞かされることがたびたびある。
悩みを語られることもある。
えっと、、、わたしがお金払ってるのに、、、私の話はどこへ、、、的な(笑)
昔はそれを流せずにいた。
聞かされてしまった、という想いでいっぱいになってしまっていた。
でも今はさすがに成長したのか
話したいだけ話せばいいか、と思うようになった。
どっちがお金を払ってるとかどうでもよくなってきた。
そして、だからこそ、私も遠慮はしなくなった。
「しゃべりたいんだよ、おら!」と。
本業のカウンセラー(民間で簡単に取れるようなものじゃないやつね!)以外の場で、
相談を受けている人の大半が「私の話を聞いてね」タイプであることを
わたしたちは心して受ける必要がある。
そして、相談とは、アドバイザーに従うことだと思い込んでしまっている人、残念だと思う。相談ってそうじゃないんだわ。
そこはお互いの関係性なので、はっきりいってアドバイザーの罪である。
「私の話を聞け」というタイプの人が、クライアントの成長を促す質問をしたり、話を聞く技術があるだろうか。
自分の生い立ちを語りだしたり、自分の成功談を話し始めたり。
それで、どうやって相手を成長させるのか、はなはだ疑問である。参考図書としてはいいだろうけれど。
教会の懺悔、神社のお祈りが優れているのは
「人間が答えない」ということだと思っていて
祈りながら、願いを言いながら、自問自答をすることが
祈りや願いを叶える近道だと
さすが宗教だな!と思う。
神様は、決して自慢しないし、自分の歴史を語らない。
そういう存在に自分の悩みを打ち明けるのは
自助グループっぽい。
自分から語らなくても愛としてここにいて、
語ってもらうことで自分を肯定できるようになっていく。
人間個人の尊厳を奪ったり奪われたりしないやり方は
そこにあるような気がする。
海外の人の育て方を見ていて理想だと思うのは
たいていキリスト教的なものが根底にあって
個人の個性や人生を決して邪魔しないやり方であってそこには
人間への信頼がある。
上から言ってやる、押さえつけてやる、もしくは、私の言うことを聞かないでうまくいかないのは自己責任~みたいなの
日本的だなあと思う。
アダルトチルドレンというものが日本に入ってきたことの賛否両論はあるけれど
私は、その人たちが今、とても愛のあるメッセージを発していることに気づくたび、私がとっかかりとしてアダルトチルドレンに出会ったことに感謝する。
アファメーションなんて、20年以上前、引き寄せが流行る前から知ってたわけで。
目の前の嗜癖だけに目を向けてあーだこーだすることなく
もっと広い視野で人生を見通すことを学んだ。
自分の生活の中に答えがあるんだから、それに気づくだけでいいのかもしれないけど。