かわいそうを抜けていく時
一人遠足、奈良。
行く前のどろどろした気持ちはなくなって
すっきりさっぱりして帰ってきました。
自然の中を歩くのはよきことのようです。
観光客でいっぱいでも
春日大社の奥の山は静かで
山の薫りで満ちていました。
ここは入り口付近。
10年以上前だったか。
ここに来たときには、ほとんど人がいなくて
結婚式が行われておりました。。
その時はひとりではなかったから、土日だったと思うんだけど。
様変わりしましたね。
連休に入ってから、ほとんど家から出ずに過ごしたところ
ストレスが溜まっていたようです。
行きの電車の中で悶々としていたら、「悩まない、自己憐憫を手放す」という言葉に出会い、すぐに悩むのをやめました。
だからって、悩むなとか、悩みというのはすべて自己憐憫だとかいう
一般論にはいたしませんし、そうではありません。
昨日の私は、そうだった。
悩まずに直感で動くことを選んだ。
やっと自分自身をまるっと信じられる境地になったのだろうと思います。
何はともあれこれでよい。よくなくてもそのままでよい。
近鉄特急はとても心地よく、今まで使わなかったのが嘘みたいでした。
多少根が張りますが、昼も夜もコンビニおにぎりにしておけばいいですし
疲れが違うのでコスパはいいはず。
帰りは変なおっちゃんが後ろの席から二度ほど蹴ってきたけれど
うたた寝しながら帰ってこれました。
奈良観光の目的はもうひとつ!
のかき氷を食べること。
狭い店内はすでにいっぱいでしたが
閉店ぎりぎりということもあって
スモモのかき氷に癒されてきました。
かき氷今年初です。
ちょうどなら燈花会の開催中。
興福寺の夜間拝観にも行けました。
夕方6時でも昼のような明るさで、それなのに、博物館とか全部閉まっちゃうんだもん!!!
どうも最近、建築物が気になって仕方ないです。
萌えポイントが人から建物へ(笑)
もはやヤバい人になりつつあるのか・・・。
「何もなかったところに出現する」「出現したとたんに、周囲を変化させていく」
この不思議に魅了されています。
絵画も彫刻も同じ理由で魅了されてます。
ところで、私自身、「かわいそう」という視線があまり好きではないです。
「かわいそうだから」という理由で付き合われるのが苦手かも。
っていうか、嫌いな相手にだけは「かわいそう」と私が思うからかもしれない。
「かわいそう」から生み出されるものは何もないし
「責めたらかわいそう」は、いじめを助長する働きになってるし
なんとなく、感情の向け方が歪むのがわかる。
自分に対しても同じかもしれません。
自分をかわいそうと思ったら、思考停止になります。一歩も動けなくなる。
可哀想な時もあるけど、浸りたい時もあるけど
そればっかりもつまんないってことで!
人って情緒に流されてる時がヤバいよ。
心は熱くても、頭は冷静にならないと。
日本人は「冷静に」を「加害者の気持ちもわかる人に」って勘違いしてるから
加害者に情緒的に加担することを「客観的」と呼ぶんだけど
それは違うからね。
加害は加害だと判断すること。
被害の状況を情緒的に低く見積もらないこと。
「被害者かわいそう」→い一方的な見方をしちゃだめだ→「加害者かわいそう」→???
これ、普通にやってるから、精神世界系の人たちも。
このフィルターを取らない限り、しんどいと思う~~~~。
台風、心配ですね。
今日は買い出ししてこよう。