ばけたんを手に入れた
意外と小さかったばけたん。
とりあえず、我が家は大丈夫(笑)
息子に「面白いもの買ったで」と報告すると
「へ~」と乾いた返事をいただきました!
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毎日、池のほとりをバイクで通過する。
なぜなら、夕陽が開けて見えるから。
空が広い。
そして、最後は山に向かって走る。
大阪市内で働いていると、人とビルに埋もれてしまう。
職場の近くには、緑もたくさんあるはずなのに
帰り道の夕陽を見るために、少し遠回りする。
とんでもない事件が立て続けに起きて
これ、20年前ならもっと大騒ぎのはずだが
Twitterで見ている限り、冷静な意見も増えており
しかし、あまりにもこういうニュースに慣れすぎかと思う。
私の子ども達は、あまり学校に行っていない。
不登校、という名前にするのはあまり好きではなかった。
「ひきこもり」というネーミングも好きではない。
どうして人は、人を、カテゴライズしたがるのだろう。
誰もが自分の名前だけで生きていければいいのに。
先日、既婚男性と話をする機会があったのだが
話の中身がほぼ「○○は何々」という決めつけによる会話であった。
あまりにもくだらないなあと思いつつ
仕方がないので相槌を打っていた。
独身女性がかわいそうの決めつけに始まり
自分の息子がオタクであることを嘆き
金持ちばかりと恋愛する女性をディスっていた。
女性管理職というものを見たことがないようだった。図書館なんて半分以上女性館長だが。
そうやって、世界を限定し、世界の中身を自分で勝手に創り上げ
それ以外の人間を「異質なもの」として、からかっていいものとし、自分がまともだと思う人間とだけ付き合う。
それを何十年も続けているわけだ。
それが、ある種の田舎の男なのだろう。
何不自由なく育ち、男というだけで家を継ぐ。
誰にも追い出される心配がなく、結婚しているというだけで安心し
安心感の中で女性を探している。つまんない男だ。
日本が落ちていくのがここに証明されているのではないかと
私は思うよ。
こんなに様々な価値観が示されている世界にいるのに
井の中の蛙の脳のまま生きていられる。
困ったこともないから、自分を顧みることもない。
おぼっちゃまの日本。
それが今の事件の奥深くに潜んでいる気がしてならない。
ひきこもりの息子であろうが、介護している親であろうが
困ったからと殺してしまうのはいつも男だ。
子どもを殺す父親、自分の親を殺す息子。
そして、世間から同情を得るのも男だ。
ばけたんで探すのは、視えないモノだけど
怖いのは現実の、決して幻想の外に出ない男たちの見ている世界である。
だから、私は自分の好みの男性だけを探すことにした。
女性は皆、そうすればいい。
ターゲットは絞ったほうがいい。
女性がどんどんふるい落とせばいい。
「男に好かれるノウハウ」など放り出して、もっときれいにパワフルに生きよう。
いつか、命を粗末にするような男たちが、表舞台から消えることを祈っている。
ひっそりと生きてお互いに殺しあえばいいのに。
無力な女子供をターゲットにするのはやめてもらいたい。
切実に祈ってる。
そして、誰もカテゴライズされない存在であることを共有していきたい。
「わたしはわたしそのものである」
誰からも規定される必要などない。
相手を「おんな」と馬鹿にするから、馬鹿にされる「おとこ」であり続けるのだし
「オタクはダメ」と言うから、自分自身をいつまでも「オタクでないことを証明し続けるために」生きていくのだろう。
世間が描く「異端な人間ではない」ことを必死で証明するために、多くの人は生きている。結婚してるから、学校に通っているから、仕事してるから、会社員だから、社長だから、コンサルだから、占い師だから・・・そうやって、自分を「はみ出し者ではありません、だから、受け入れてください」と懇願しながら生きているのであろう。
みんな、ばけたんで探される霊になってしまえ。