自分を責めないということ
今日はいつもお世話になっている杉原鍼灸院(銀天堂)の日。
右側にかなり疲れが溜まっていて、ちょっとした鍼でも痛い。
原因を頭の中で必死で探っていたのだが
最後の最後に「仕事で苦手な人が右にいる」ことに辿り着いた。
なんだろうな。この否認の感覚。。。と我ながらおかしくなった。
自分の中で「これかもしれない」と思っていたことの可能性が消えた時
「まだ自分を責めようとしてる」と思った。
最近、SNSを整理した。
いわゆる、私の罪悪感を刺激する投稿をするものを全部やめたのだ。
刺激が減ってつまらなくなったのも事実。私は、自分を刺すことが普通だったんだなと気づいた。
人間関係で悩むたび「あなたは変わろうとしないから」「頑固だから」「いつまでもそうしたいんでしょ」「得だから嫌われようとしてるんでしょ」というどこかで聞いたセリフが頭の中でこだまする。
それに気づいた時、「わ~~~~!!!!」とバイクの上で叫んだ。
他人に言われてると思ってたけど、自分で自分に言ってるし!やばいし!って。
もうやめようと決意した。
私の中にあるこびりついた思い込みは「みんなと仲良くできなければいけない」だ。
この日本でもっとも強い呪いの言葉だ。
「かわいそうなぼっちの人を救いたい」人たちが、「なんとか仲間に入れてあげなければ」と他人を変えようとする。
「そのままじゃひとりぼっちになるよ」と脅してくる。
「どうして私は仲良くできないんだろう」「どうして私は・・・」の罠にはまっていき、「こうすればいい」と言う人の言葉が溜まっていく。
その繰り返しが今の私だった。
寂しいことは悪ではない。
ここ最近、複数の人から「ひとりになっても大丈夫」「徹底的に自分を大事にしなさい」「それでいいから」という言葉をいただいている。
その意味がやっと腑に落ちてきた。
わたしはどうやってもわたしなんだ。
家族やカップルがうらやましいと思う時、寂しいと思う時
私の体調は悪い。
世間のひな型に自分を合わせようと考え方を歪めていることがわからなくなる。
私を変えようとしているのは、私だった。
ひとりになりたくないと叫んでいる幼い頃のわたしだった。
いやもう、大丈夫やしな。
たとえひとりになったとしても。
「重大なお願いがあるねん。今日ご飯一緒に食べよう」と友達からラインが来た。
何だろうと思ったら「小説書いてるねん。誰かに読んでもらいたいと思った時、”そうや、本を読むやつおった”と思ってあなたに連絡した」とのことだった。「一緒にやらへん?」て誘われた。
余計なことを考えさせられる集団から離れた途端に。
わたしはひとりでもないみたいだ。