わかってもらえるということ
今日は、鍼灸に行ってきました。
自分での日々のメンテナンス頑張ろうと思った次第です。
ちょっと前までは、体調なんてかまってられるか!状態でした。
それより、自分で自分をアゲアゲにもっていかないと
やってられないと思ってました。
ポジティブになるために何でもやりました。
それがままならなくなってきて、ふと気がつくと
アゲアゲにしなくても大丈夫になってました(*´ω`*)
ちょうど一年前の被災。
鍼灸師さんにざっとこの一年のことを話してみると
「それは大変でしたね」と言ってくれたんです。
わたしは、その最中でさえ、誰も同情してくれなかったし
そもそも「苦労を語るなんて迷惑かかるだけ」と思ってたんです。
っていうか、事情知ってる人であっても、私が平然と日常を送っているもんだから
ちっとも気が付かなかったと思う。
(精神状態が不安定なのを「おかしな人」だと思われてたし。あのたくさんの「やらねばならないこと」を抱えて、わたし、よく発狂しなかったなと思うよ、今は。)
思い返しても、あんなことはもうできない。二度とごめんだと思います。
よく体力が持ったと思うし、精神面でも踏ん張りました。
おかげで強くはなったけれども(笑)
身体が常に戦闘態勢であり、震災直後の緊張も取れないまま、走り続けてきたようです。
よく「わかってもらえると思うな」「期待するな」と言う人がいますよね。
でもそれで、気持ちのいい関係なんて築けるのかな。
わたしは、わかろうとしたいし、期待されてもかまわないよ。
そこは自分の判断で対応するし。
今日、この体調の悪さの理由の一端を伝えるつもりで
被災のことを話したら、誰よりもわかってもらえた感覚を得ました。
最初は、受け止められたことに驚き、じわじわと「ああ、嬉しいな」と思いました。
身体を診ている人の感性だからかな。
別に、わかってほしいと「願って」いるわけじゃなくて
「わかってくれた時の喜び」は間違いなくある。
そして、下手に「かわいそう」「何とかしてあげようか」ではなくて
普通に「ああ、大変でしたね」という受け止め方だったのもよかった。
色んな相談や話を聞く立場をしていると、「淡々と苦労話を聞く。無視しないで、軽視しないで、変に傾聴しないで、ミラーリングせずに、受け止める」ことができるようになるんだけど、けっこう上級レベルだと思うから、私はほとんど期待しないで生きてるし、でも、誰かの話はそういう風に聴く。
男の人って、勝手に女性に期待してるよね。
「話を聞いてもらえる」って。
なのに女性同士で「期待するな」説が飛び交っていて
男の話は聞いてあげなきゃ、でも、私の話は聞いてもらえると思っちゃダメとか抑圧してる気がする。
それはともかく。
私はやっと自分をねぎらうことができるようになりました。
休みの日はヨガをしてたあの頃のように、写経してたあの頃のように
時間を使うのが目標です。
そしてまた願いが叶った。小さな小さな願いが。
次のステージにあがるためのメンテナンスです。
わたしは、ひとりじゃない。
応援団が周りにいるよ!