シンパを持たないということ
蒸し暑くて、子ども達が夏休みに入っているなんて思えない天気。
頭重くないですか。
涼しい画像貼っとく。
ある人に「権力者に対しての気持ちが過剰」みたいなことを言われてから
自分の中にあるのは、ほんとにそうなんだろうかと疑って確認してきた。
で。よくよく自分の行動を見ていたら、「権力者に対する問題」ではなかったのね。
それは「心の境界線を越えようとする人たちとの闘い」だったわけ。
権力者ってさ、クライアントとか、自分のシンパに対して
偉そうにふるまう。
ため口が普通になったり、何を言っても批判されないテイで話したりするよね。
お前の家族でも友達でもねえわ、って思うんだけど、そうしてくるよね、勝手に。
んで、従わないと「変な人」「かわいそうな人」というレッテルを貼るんだわ。
それが気持ち悪いと思ってた。
だから、敢えて「意見違う人もいるんですけどね」という態度を取ろうとするんだなあって。
母親から、過剰に侵入されてきた私にとって、安心できるのは、きちんと境界線を引いてくれる人。そして、境界線を引いてるからって、冷たくしない人。
外国ではそういうの、普通じゃないの?海外文学では普通だけどな。
家族であろうが恋人であろうが、自分と他人の境界線はきっちり守る。
それが私の気持ちのいい距離。
けれど、往々にしてスピリチュアルにハマる人たちってのは
親子関係に問題があって、クライアントと親子になりたがったりする。
自分が欲しかった関係性をそこで構築しようとする。
巻き込んでいく。
そして、そもそも、そういう親子関係に慣れている昔の子ども達がわんさか寄っていく。親に精神的に頼るの、楽だもんな。
わたしは、自分に問題があるとずっと思っていた。
だけど。今の時点でわかっていることは、私に対して愛情を注いでくれた父親や祖父母がいて、その愛は、私をずっと守っているということだ。
だから、誰かとつるまなくていいし、シンパを必要としていない。
いちいち、クライアントをお金や能力で集めて、家族ごっこをする必要がない。
家族ごっこに付き合いたいとも思わない。
職場でも家族ごっこをしている人がいて、「それ、仕事する姿勢ちゃうやろ」と突っ込みたくなるのを我慢していたらストレスになった(笑)
仕事は仕事やねん。
家族的心理状態はいらんねん。
家族状態を作らなくても、親しくなることはできるし、尊敬されることも可能だよ。
シンパを作る人たちが、私を見て「かわいそう」「寂しそう」と言ってるのは知ってる。でも、本当に寂しいのは、周りに自分のシンパを集めたい人のほうじゃないのかな。
寂しいという気持ちに正直なのだと思うけど、でもそれは、ちょっと違うね。
境界線を引いていれば、今の芸能界みたいな「家族的経営だから、泣いたら許しちゃう」「従わない奴は出て行け」「親的な存在の社長や上の人間はいつも許される」にはならないし、いい距離を保ったまま、いい関係性が築ける。
「家族」と「家族以外」を区別して、「家族として囲い込もうと必死になってパワハラしちゃう」のが正しい在り方かどうか。これからの日本に問われていることでもあるだろうと思う。
心の境界線を持てない人たちと関わるのはとてもしんどい。
批判されたのどうのってうるさいし、一対一で話もできない。
シンパを引き連れてる人と普通に話ができるとも思わない。
本気で対等であるのなら、その集団の中で「それ違うで」「やめときや」と、誰にでも言えるはずだし、どちらかだけが一方的に悪者になるような集団を作らないだろうと私は思うよ。
テレビで話題になってる会社を見るたびに、この型の小さいのが、あれだったりこれだったりするよな~と思う。本人たちは気づいていないだろうが、あの会社の社長的なことをやってる、めちゃくちゃ無意識に。
男性の中で、異端児として居続けた人たちの
「シンパを作らないあり方」が、わたしはとても好きだけど
女性でそういう人は見当たらない。
難しいのかなあ。
石井ゆかりさんぐらいかな。
超能力の秋山さんのYouTube見たらわかるけど
物腰柔らかで、誰に対しても失礼にならないよう、言葉を選んでいる。
山本太郎さんも、シンパがいるように見えるけど、彼は一人だよね。
周りに精神的に頼ってない。
もし、明日一人になっても俺はやる。みたいなところが見える。
ブレーン抱えていつもヨイショされていたい人たちとは違うなあと思って見てる。
私生活は知らんけど(笑)
そんなわけで
ファミリー的集団が苦手で、という話でした。
親子だったら親離れ子離れは当然あるんだけど、日本の家族的なグループは「私を尊敬したままでいて」状態だからな~。子離れも何もしないよね。
境界線を保ったまま、温かい関係性をつくりたいね。
その延長線上に、公共性とか福祉があると思うよ。