再びカヌレが
バスを降りたら、電線から雨が落ちてきた。
久しぶりにバス通勤したから、坂道を歩くのは少し辛い。
だけど、やっと魚の目の処置をして、痛くない足で歩くのは気持ちがいい。
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テレビで「カヌレ」を観て、息子は「食べたことない」と言った。
一度食べたのは、何年前のことだったのだろう。
スマホで調べて阪神百貨店で購入したカヌレは、上品な味がした。
歯にくっつくようなあの、カラメルを巻き付けたかのような表面も
もっちりとした生地も、甘すぎて濃い紅茶が欲しくなるのも
少し異国の雰囲気がする。
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今日は、過激すぎると注意されて通信を書き直し
無難なものを提出したらすんなり通った。
それぐらいは簡単なことだ。
仕事、どうしようかなと最近迷っている。
衝撃な事実が私を貫いたので
自分と同じような人がいる職場があるのかどうかもわからなくなった。
それは、「人は、知らないことでも、まるで経験したかのように言うのがデフォルトだ」という発見であった。
わたしは、本を読みすぎたせいか、常に検証したい人である。
自分で経験しなければ断定するのは難しいとさえ思っている。
なので、今の職場に配属になり、いわゆる部下的な立場の人が
誤ったことを周囲に言いふらしていることに「ダメ出し」をしたのだが
私のほうが叱られてしまった。
そういう人でも周囲は受け入れてるんだから、あなたが怒る必要はないよ、というお叱りだった。
それに長い間納得いかなかったのだが、いよいよ今日、驚くことがあった。
出産も子育ても経験していない女性たちが、出産した同僚を見舞った話をしていて
それがまるで「私の時はこうだったのよ」という勢いなのだった。
「今は赤ちゃん産んでもすぐに元気になるみたいなのよね」だとか「病気じゃないのに立派な設備なのはきっとこういう理由なんだろうね」とか。
その人たちは、仕事もそこそこできるし、アラフォーアラフィフ以上の人も混じっている。なのに、出産を経験した人なら決して言わないであろう推論を「正しいこと」のように語っていて、私や経験者はその話題に入らず、「なんだか不快だな」と思っていた。不快だったのはわたしだけかもしれないが。
特に、そこに集まっていた人たちが、管理職的な立場の女性たちだったことも影響していたのであろう。彼女たちは、知らないことでも確信をもって言ってしまう癖があるのだろうと思った。それが部下に対する威厳なのかもしれない・・・どうだろう・・・。
わからない。
メディアを鵜呑みにして、それを事実であるかのように思い込む人たちが増えたと思っていたけれど、私のように鵜呑みにしないほうがマイノリティだったのか!と衝撃を受けた。
もしかしたら、今の職場が変なのだろうか。
子育て中も、みな、まるで十人ほど子育てしてきたかのように
アドバイスするのが普通で
「いやそれは、違うこともあるのでは・・・」と思って躊躇した私は常に
その輪に入れないのであった。
ママ友などできるはずもない。
私には知識と海外も含めての事例を知りすぎて、日本の子育てが「普通で当然」という話題にはとてもついていけなかっただけなのだが、まあ異端であった。
自分が経験して納得したことと、世界は広くて自分の見聞きしたことだけが事実ではないということがわかっているというのは、なかなかにキツイものがある。
なので、これからは、
自分の好きなことについてだけ、語っていたい。
好きなことを必死でしゃべる男性の顔をずっと見ていたい。
子どものことや離婚のことを聞いてきては、私の態度について、いちいち評論して喜ぶような人と時間を共にする余裕などどこにもない気がしてきた。
自分の頭と心の中を、誰かが「肯定して」と必死で突っ込んでマウントしてくる言葉でいっぱいにしたくないという気持ちが高まってきたのです。
好きなこと、好きな言葉、好きな映像、きれいなもの、美しい男、目指す山の頂、自分を奮い立たせてくれる推し、音楽または無音、、、
そういうもので満たしていけたら幸せだろうな。
そして、今、この社会を少しずつ変化させようとしている素敵な女性たちとは語り合ってみたいと思う。
明日はゆっくり眠ろう。