自分≠趣味
こんばんは。。
思いつくまま綴ります。
育児が終わって何をしようかと迷っている人
会社勤めを終えて何をできるかと考えている人
どちらも同じなのですが
私のようなオタク人間は、母親やってても会社に勤めてても
好きなことは好きなこととして、消えずに存在していますし
別に探さなくても、楽しいことをしながら生きていることが
すなわち、生きることで
「何もないってどういうこと?」と思うわけです。
不倫に走る男性も同じです。
空っぽの心を女性に埋めてもらおうとしてる。
趣味のひとつなんです恋愛が。家庭をどうする気もない。
本気で好きになることができる人はまだ幸せ。
でも、単なる趣味だと軽い気持ちでやると、痛い目に遭う。
お金取られたりね。そしてそれを女性の責任にしちゃう。
お前が真剣じゃないからやろが!って思うけど、「女性に騙された」って言うんだよね。
それと同じで、趣味を探しても探しても、そこに自分自身はありません。
お金を取られるだけになりかねない(例えがえぐいか・・・)。
だって趣味って何よ?
本を読みたきゃ読めばいいし、趣味にしなくたって読めるわよ。
歌いたかったらカラオケ行ってればいいのよ、趣味にしなくても歌えるよ。
山に行きたければ電車に乗って行けばいいやんか。
他人が提供してくれるあれこれを消費することが、「自分のやりたいこと」でしょうか。
時々「趣味は何ですか」と聞かれ、同じ趣味なら話が合いますね、とか言われるけど
合うわけないやんね。
趣味というくくりで自分を表現するのは違うと思ってるし。
わたしには、たまに読んでいる本を語り、作ったご飯を写メしあう人がいるけれど
ホントに偶然出会って、そういう部分を見せれる相手ってなかなかないな~ということで、何となくつながってる。そういうもんです。
合唱団に入ったって、歌うことより友達づくりに熱心なおばさま方がいるんで
ちっとも歌った気にならないし(まだカラオケのほうがマシ)
読書会で延々と自説を述べる年配男性がいれば、そこは読書なんて関係ない会になるし。
ドライブったって自分の運転に酔いしれてる男性の横で吐くわけにいかないでしょ(笑)
やりたいことは自分の中にある。
それを掘り出してやるのが人生かもしれない。
誰かにすがって頼んで連れてってもらう世界ではないんじゃないかな。
という価値観の男性かも~ん!!!!
っていうことを書きたいんじゃなかった(笑)
そうやって、自分自身を「趣味でくくれる人」になろうとする人って
子どもに対しても「何者かになっててほしい」と思うんじゃないかなと思うのね。
人間は、「行っている何か」とか「肩書の何か」でできているのではないの。
子どものことを話すとすぐに「どんな仕事に就くか」とか「何を趣味にしてくれるか」しか言わない人がいる。
ええええ!!!!と思う。
別に、「こういう肩書の子どもができました!」みたいな完成形を求めなくても、生きてるだけでその子はその人生を思い切り表現しているよ。
人としての成長を見て欲しい。
どういう「ものになるか」じゃなくて。
自分のことも他人のことも、そういう視線でしか見てないってことだろうし、そういう世界もあるのかもしれないけれど。
極端な話、生活保護を受けようが、社長になろうが、その人はその人であり続けるんだよ。人格や性格が変わったりしないと思う。
外付けの条件で人間を観ていると、自分も苦しいだろうと思う。
何者かにならなきゃとか、逆に「どうせわたしなんてこれでいい」とか。
恋人がいるから俺はまだまだイケてるとか(爆笑)。
んなわけないやん。空っぽな人は、恋人がいても空っぽでしょ。
「わたしはわたしである」という確信だけが自分を安心させる。
そこに至るのに、道はいくつもあるけれど、それは挑戦でしか得られないのかもしれないデス。私もまだまだ道半ば。
だから、趣味や習い事で自分を埋めてもいいけど、毎日毎日の生きている時間の中で、自分自身を見つめなおす時間を持つといいんじゃないかな。
*お中元の季節だ~選ぶの大変だ~がんばろ!