自分と一緒に
秋のお月様があまりにも美しく
それだけで幸せを感じられる日々です。
今になって、震災当時のことを思い出すことがあります。
あれを乗り切れた馬鹿力はどこから来たのだろうかと。
友達にはじめて涙を見せながらも、着々と水分をたっぷり含んだお布団やカーペットを処分したこと。
子ども達に指示し、休憩のおやつを用意し、ご飯を食べさせて、ひたすらに。
そう、本日、そのすべてが終わりました。
もうあの家にはなにもなくなりました。
私が足を踏み入れることもなくなりました。
ずっと「あの家にいるとしんどいなあ」と思っていました。
だけどそれは勘違いということで、「子ども達との関係性を変えてみよう」というアドバイスをいただいたのですが、あの家にいる限り、身動きが取れないのも事実でした。
子ども達と一緒に暮らす道を断って、「あなた達は連れて行けないから頑張って」と言った時から、未来への時計が進み始めたのだと思います。
あの家に住んでいた時よりも、毎日大変です。
トラブルも抱えているし、通勤時間も長くなりました。
だけど、心が平和なのです。
夢見ていた暮らしができているのです。
小さな住まい、不便な場所・・・だけど。
心が穏やかで幸せを感じる瞬間が明らかに増えました。
一人暮らしを始めた息子の顔を見ると
わが息子ながらいい顔してるんですよね。(そもそもイケメンですけど)
独立したら顔変わるんだ!って思いました。
そして、大きな出来事を抱えたおかげで、私は色んな男性をお仕事を通して知り合うことができました。
図書館に勤めていると、女性率が高くてね。
まるで学生時代のような会話ができたり。っていうか、学生の時は男性には近づかなかった私です(笑)
シングルだからか、隣に男性の影がないせいか、ひとりの人間として相対してくれているのがよくわかります。主婦の時って、どうしても「付属の人扱い」でした。どんなに頑張ってても、いざとなると、夫のほうしか見ないし、夫に向かって確認することが一般的ですものね。
仕事も、「雇われ」ではありますが、自由に好きなようにやっていて、つながりたい人とつながることができます。自分の得意を教えたり、教わったりしながら、また、校長先生と親しくなって、学校巡りの途中の道で手を振ってもらったり。
永遠のつながりではないけれど、今日、この瞬間に「つながってる」人がいるということが、どれほど「一人の時間」を豊かにしてくれるかがわかります。
毎日一緒にいることだけが「人とのつながり」ではないのだなとしみじみ思います。
私にとって「快適な人との距離」がわかるようになり、べったり人とくっつきたがる人たちをお手本にする必要などなかったこともわかりました。
友達、恋人、家族・・・との距離は、人それぞれです。
寂しいからか、仕事仲間なのに、えこひいきをしてべったりパワハラまがいのことをしてしまう人もいますよね。
でもそういう人ほど「こうすれば友達できるのに」「私みたいになれば仕事がやりやすいのに」とか思ってるんじゃないかな。その人をとても苦手に想っている人がいても、気付けないだけなんだけどね。
私が遠くから憧れている人たちは、みな、つるまない人たちです。
家族関係もあっさりしてるし、友だちと盛り上がってる形跡もない。
SNSも商売のことだけ。
それが私には気持ちよくていいんです。
いちいち、友達との会話をみんなに見せる必要ないって思ってるし。
話が逸れてきました。
今は、自分自身と一緒に楽しんで暮らしています。
寂しかったちょっと前の自分が信じられないぐらいです。
また、寂しさを感じることもあるかもですが、それはそれだなあ。
10月から、新しい人生の幕開けになりそうです!