風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

すべては揺れるためにある

毎日、何かしら起きている。

以前なら「私が何か悪いことをしたから」とか「どうしてこんなことが」とか「なんとかしなくては」と思って焦っていたところだと思う。

今も、焦っていないわけではない。

 

だけど、ふと我に返った時に思うことは

「すべてが自分の学び」だということ。

自分が今まで見なかったこと、見ることができなかったこと、考え付かなかったこと、できなかったこと・・・

問題が起きなければわからなかったことだらけだ。

 

ただ、これがわかるようになったのは

やっと自分のことを認められるようになったからで

「ダメな自分は許せない」とか「間違う自分は最低だ」と思っている自分のままでは無理だったこともわかる。

 

それは「いじめに遭っていることを認めてしまったら惨めすぎて死にたくなる」気持ちと同じなのだと思う。

 

見下げられ、笑われている自分をそのまま認めたら、生きている価値がゼロだと自分で思い込んでしまう。そういう人間に、いくら欠点を指摘したって「わかりたくない」んだよね。

それよりも「どんなあなたでも生きていてほしい」と自分で自分に思えるようになった時、人はやっと自分自身のすべてを見ることができるのだと思う。

 

どういう形であれ、色々な人から「あなたは間違っていない」「あなたが大切」と言っていただいたことの総量が、それまで否定してきた総量を上回ったからこそ(自分自身を認めるワークもしたけれど)の今がある。

 

ヘルプを求めてスマホの連絡先を眺めていた。

たくさんの人との思い出がそこにあった。

 

こうして、たくさんの人たちに助けられてきたことを思い出すために

事件が起きたような気もしている。

閉じた世界に住んでいると、「助けを求めること」がとても難しい。

助けを求める姿(お手本)を見たことがないまま大人になったから

助ける側になることはできても、「助けて」と言えない大人になった。

「あんな奴は助けてやらない」と人を裁く大人の元で育つと、助けてもらうのに資格がいるのではと思って、声を挙げられなくなる。

 

今の私が助けてもらえるのは、立派だからでもないし、正しいからでもない。

みなの優しさと愛に支えられてのことなのだ。

 

私の親には愛が足りないだけだった。

愛情に条件を付けて、条件をつけれるだけの自分の地位を見せつけたかったのだろう。

 

私は先日、Facebookに書いた。

「これからの子育てに必要なのは、”困った親子を寄ってたかって助けることだ”」と。

寄ってたかって批判するのは簡単だけど。困った人を見て、わらわらと助けの手を差し伸べる社会のほうがずっと生きやすいに違いない。

日本にはまだそれがない。

 

地震の後も、心が弱っていたことなども相まって色々なトラブルが起きた。

そのたびに、人の優しさと冷たさを学んだ。

今日は優しい警察官と話ができて、運転免許証が見つかった。

思い切って人の懐に飛び込んでみると、失敗することもあるけれど、とても温かいものに触れることもできる。

失敗を恐れていたら、温かさに触れることも減る。

 

私はずっと怖かったのだろう。たったひとりの、信頼できる人を探していた。

世の中は、自分の親と同じような冷たい感性の持ち主がいて、私を裁きに来ると信じてやまなかった。

その呪縛が外れてきたのは、数々のトラブルの賜物だと私は思う。

 

小さな価値観で塗り固められたムラを出れば、様々な人に出会うことができる。

私はそのために、あちこち彷徨っているのかもしれない。

自分を縛らないために。

 

これからもたくさんの人に会いに行こう。

たくさんの人としゃべろう。

恐れずに、揺れるために。

 

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