急に幸せな気持ちに
今日は少し調子が悪いのでした。
もしかしたら、また揺れる?と思うぐらいに。
同じような人がいるみたいなのですが、強い地震が来る時に体調悪くなるんです。
なんとも言えない落ち込みがあったので、友だちに話を聞いてもらいました。
また、Facebookのほうでもメッセージのやり取りをしてくださる方が見つかって
とても助かりました。
ボランティアがやっと動き出したようで、我が家も頼もうかなと思ったのですが
私に今必要なのは、少し話を聞いてくれることでした。
身体が動けば片づけは何とかなるんです。でも、心理的な辛さは、分かち合えないんですよね。それを黙って聞いてくれる人の存在が必要だなと強く思った次第です。
災害の大変さとは、実際の破損もそうですが、それに対応する人のそっけない態度や、軽く扱われることへのがっかり感のほうが堪えます。
別に、ずっと特別扱いしてほしいと思ってるわけではないのですが、経験者でなければこの感覚は理解されないのかもしれませんね。
災害よりも、心労による二次災害のほうが実は大きいのではないかなあ。
ということで、優しい花たちの写真を探してきました。
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こちらから写真をいただくことが多いです。
素敵なんですよ。
今日はぐずぐずと弱っているそのままに居ると
子ども達がとても優しくしてくれて
だんだん癒されてきました。
新しい家はとてもコンパクトにまとまっていて(小さいってことですw)
次男がカレーを仕込んでくれている近くで、テレビを見て寛いでいました。
まるで旅行だね~って言いながら。
ああ、こういう幸せをやってみたかったんだなって思ったんです。
なんだかずっと気を張って生きてきたみたいでした。
いつも緊張していて、誰かに怒られるような気がしていて
子どもの様子に気を遣い、夫の感情を察知しようとした自分が視えました。
これは実家の暮らしの癖で、母親に何かあったら私が代わらなければと思っていたことと、自分がぶきっちょのせいですぐにミスをすると思っていて、父親から急に怒られたりすることがあり、全く気が抜けなかったんですよね。
常にあらゆるところに気を配り、ミスがないよう、誰にも怒られないようにしてました。(まあ、それでも怒られて、嫌われるんで、どんなにやっても自分が満たされないんです)
そのおかげで、全体を見ることは普通になり、人が見えない部分にも気を配れる人間になったことはありがたかったですが、そういう生き方はもうキツいんだなと。
今日の夕食からの自分は、とても新しい自分になっていました。
今は何もしなくていいんだ、何にも気を配らなくていいんだ・・・
これがみんな普通なのかな・・・気持ちいいなあ・・・。
例えていうなら、日本のおやじ?(笑)
結婚して妻が料理してくれている間にテレビ見て寛いでるっていうの。
息子は料理するだけですしw家事を仕切ってるのはまだ私なので、おやじとは違いますけれど。
その幸せの感覚が今もずっと続いています。
どんなにこの先が厳しかろうが、大丈夫な気がしてきました。
最近、私の周囲は、私のことを認めてくれる人と認めない人との差がどんどん開いてきています。ということは、めっちゃ好きになってくれる人がもっともっと増えるってこと?と思っています。
好きでも嫌いでもない、という人物ではなくて
好き嫌いがはっきりわかれるのが、私という人間だというのは、薄々気づいていますし
もうそれでいくしかないと開き直ってるつもりなので(#^^#)
私と似たような人、いると思うんです。
「もっと頼ればいいのに」
「鎧を脱げばいいのに」
「楽に生きればいいのに」
なんて他人からあれこれ言われて、でも、どうしようもなくて、傷ばかり増えていくタイプ。
私は頼れないままに、ここまで来て。でも幸せを感じられるようになってきました。
それはね、自分を否定しないようになったからだと思います。
人に頼れない自分、強がってしまう自分が愛おしいんです。
いつか体験記として書く時がくるといいのですが
感情を味わっている自分を「外から見る」というのを色んなバージョンで試していて、今日もちょっとしくしく( ;∀;)泣いている自分を上から見つめてみました。
あ~泣いてるね~もう~かわいいんだから~ってもう一人の自分が言ってました。
それだけでいいんだなって思うんです。
変わることもない。変わらされることもない。そのままで楽に生きていけるかもしれないって。
弱い自分を丸ごと認めちゃえばいいやんって。
震災でお疲れの出ている人も多いかと思います。
お風呂に入れずにストレスの方も。
どうか、頼れるところに頼ってみてください。
断られても得るものが必ずあります。
ひとりで抱えないことです。
一緒に生きていきましょう。
今日も読んでくれてありがとう。