見たくないもの
眼鏡を新しく作りました。
視力が落ちる眼鏡を(笑)
目の筋肉を緩める眼鏡に出会って、どんどん視力が上がっていて、今かけている眼鏡だと、また、力を入れ過ぎになっていることがわかりました。
その眼鏡をかけてスマホをしているのですが、快適です✨
新しい眼鏡の具合を確認していたところ、スタッフの方から「見る時は凄く集中してるけど、見ないと決めたら見ないですね」というようなことを言われました。
中間がない( ゚□゚)
見つめる👀〰💓がない。
いや、ほんまに。
自分の生き方そのものだなと思いましたです。
見たくないものは見ないんです。
辛いから。しんどくなるから。
私を責めるような人やモノを遮断することで生き延びてきました。
すべてに愛を注ごうとする私です。
悪気はなくとも、いろんなモノを私から取っていかれる。時間だとか誠意とか。
その度に傷つき、もう誰とも関わりたくないと思いながらも、寂しくてまた、関わってしまう。
この歳になって、やっと、与えても減らないのだとわかりましたし、与え方の問題だとわかってきました。
世界は泥棒ばかりではなく、優しいところだと。
勉強するのは自分のためであって、人目を気にしたことなどないのに、嫌みを言われる。できないことを見つけては、ほら、頭がいいだけの子だからと言われる。
勉強するためには、そんな視線を遮断しなければなりませんでした。
やりたいことを実現させようとすると、必ず横槍が入る環境だから、私はなんでもこっそり秘密にするようになりました。
周りが見えすぎるのは、不自由なものだと思いました。
余計なものを目に入れないようにしないと、情報過多でやられちゃう。
私は目からいろんなモノを取り込んでしまうからですね。
で、見たくないものは見ないように、目を使わないようにしてきたことを、今日ははっきり指摘されて、ホントにホントに驚きました(@ ̄□ ̄@;)!!
目の使い方一つのことなんですが、あー、私って世界の見え方が一般的でなかったのかもと改めて知って、罪悪感というか、何かが外れたかも。
起きた出来事の捉え方も違うものね。
ま、ちょっと、ボーッとできるようになるかな。
うん、いい感じ。
周囲に人がいても気にならない( ゚∀゚)
もう少し、視力があがるかな。
レンズが薄くなっていくのが嬉しいね。
小学生の頃から、分厚いレンズの眼鏡でね、お洒落になれなくて、悔しかったから。
人間は、こうしたい、こうなりたいと思ったように体を使っているから、体が辛い時は、その考え方や自分の在り方に無理が出てきた合図かもしれませんね。
心を変えようとすると苦しくなるけど、体を客観的に見てもらうと、すんなり腑に落ちたりするので、お勧めです。
あなたはどんな使い方してますか?