風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

祈り

今日は、親友がお花見に誘ってくれました。

今年は仕事で桜をたくさん見ているからと思っていたのですが

桜の木の下で過ごす時間はとても素敵な時間になりました。

美味しい和菓子とペットボトルのお茶だけで、幸せ(*´ω`)

 

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「祈り」は、キリスト教でよく使われる言葉で、仏教は「お経を唱える」が普通なのかなと思っていました。

 

そして、祈ってる時間があったら行動したらいいのに、と思ったこともありました。

 

どちらかというと自己満足的なもの、と捉えていたような気がします。

 

ですが、今日を境に、私の中で「祈り」は最強のツールになりました。

 

体調があまり良くないこと、大きな失敗をしたこと、子どもの入学式を控えていることなどが重なって、今日の私はぐだぐだでした。

親友がお花見に誘ってくれてとても嬉しかったのですが、それでもまた、夕食後に眠くなってしまい、体調に引っ張られるような感じで、ネガティブな気持ちがぬぐえない時間を過ごしていました。

 

お布団の中でふと「写経しよう」と思い付いたのが夜の9時。

お線香を焚いて写経を始めました。

書き始めた途端、「祈り」がやってきたのです。

全く意識していなかったので自分でも驚きました。

「私に関わる人たちが幸せでありますように」と一文字書くごとに祈りました。

 

大きな失敗も、子どもたちが思うように動いてくれないことも、その他のコントロールできない様々な出来事も、「祈るしかないんだなあ」と思ったんです。

自分が動いて何とかできることなら動きます。

けれど、他人は変えられない。過去も変えられない。誰かの気分を変えることもできない。私の気持ちがそれでざわざわするのなら、私の気持ちは「祈る」という動きで変えられるのだということに気づいたのでした。

 

「何もできない歯がゆさ」「自分がどう動いても動かせない人の気持ち」「ジレンマ」「役に立たないという罪悪感」などが、祈ることです~っと消えていきました。

 

写経の後の清々しさと、小さな出来事が好転したことに驚きました。こんなに効果があるのなら、もっと祈ろうと。

昨日、ある番組で、瀬戸内寂聴さんが「恋をしなさい。恋するためには自分から愛しなさい」とおっしゃっていました。私も、常々「自分から愛すること」が基本だと思っていたので、とても心強く思ったのですが、それは「恋」に限ってのことで、子どもたちが言うことを聞かないとか、仕事で嫌なことがあったとか、そういう時に「自分から愛する」のはハードルが高いなと思っていました。

 

だけど、「祈る」ことならできるのです。

 

恋人を愛するように、子どもや職場の人を愛することは難しいけれど、祈ることならいつでもできます。

 

そして祈ることと愛することは、それほど変わらないんじゃないかと思ったのです。

 

外の世界が思うようにならない時、私たちは自分を責めたり、他人を責めたりしてしまいます。だけど、「思うようにならないこと」をそのままそっとそこに置いて、関わっている人たちの幸せを祈るだけで、責める気持ちが消えます。

するとね、「思うようにならないこと」が気にならなくなるみたいです。

 

自分を責めて生きている時、人は、他人にも反省することを求めます。

そうしないと気持ちが収まらないんです。

自分に対してネガティブな感情を抱いている限り、他人を責めてしまう、他人に反省を求めてしまう。

それをやめるために祈る。自分の気持ちに平安を取り戻し、誰も責めることなく生きていけるように。自分の中に綺麗な川が流れていくような感覚を取り戻すのです。

 

すると、現実も変わる。なぜなら、祈りの気持ちで発した言葉が変わるから、祈りの気持ちで接する態度が変わるからです。

 

平安の祈り

神様 私にお与え下さい
自分に
変えられないものを

受け入れる落ち着きを!
変えられるものは、

変えてゆく勇気を!
そして、ニつのものを

見分ける賢さを!

 

基本に戻る時に思い出します。これを、皆様にも。

 

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