風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

女性は自分を責めなくていい

おはようございます。

家の中がクリスマスムード(って勝手にやってる(笑)

こんな気持ちで過ごす朝は久しぶりです。

 

最近、ずっと思ってることがあります。

それはね。日本ってまだ鎖国してるってこと。

気持ちの上で、常識の上で。

 

たとえば、たとえばだけど。

過去に戻ってみて。

女性は十代で親に嫁がされて、一生恋愛することも禁じられて

村の外に出られなくて、家の仕事をすることが当たり前の時代の女性に

「わたし、こういう生活がとても辛いんです。好きな人と一緒になれないし、働くこともできない。今まで自分一人で遊びに行くこともできなかった。わたしはどうしたらいいのでしょう」と相談されたとしてみ?

「あなたの女性性が未熟だからそんな風に考えるんですよ」「あなたの意識が低いからそうなるんですよ」「あなたの意識がそんな現実を創ってるんですよ」って言う???

 

今の私たちから見て、そういう社会で生きるのは女性として辛いだろうってわかると思うの。その女性の魂がどうとか、関係ないってわかるよね。

 

それと同じことが今の日本で起きてると思う。

 

上記のようなことを、その社会の中で「想える女性」がいたら、とても革新的で斬新で、その社会では理解されないけど、新しい意識の進んだ女性だと思うけれど、その社会の「男性占い師」やら相談役の人間にしたら、「とんでもない女」扱いになると思われる。

 

今の占い師が、女性性が云々と言って女性に罪悪感を植え付けてるのと同じことなんだよ。

 

どれだけ狭い心で頭で、世界を規定しているかが理解できない。だって、そこしか知らないんだもん、ってやつ。

宇宙だなんだって言っても、しょせん、あなた、この社会で生まれ育って、海外にも行ったことないじゃんって話。

 

特に、精神世界にかぶれている男性の、視野の狭さには注意したほうがいい。

 

「男、あくあるべし」と育てられ、テレビでもそういう世界しか見たことがなく、男とてのふるまいは「こうである」と思いっきり刷り込まれてる。

その刷り込みの中で、「心がどうの」「魂がどうの」なんて、ちゃんちゃらおかしくて。

 

たしかに、この社会で生きていくにはどうしたらいいか、という狭い現実を「よくする」ことはできるかもしれないが、それは魂関係ないやん。

ただ日本社会を生き抜く処方箋に詳しいだけ。

 

今の日本社会は、人間性も関係ないし、魂も女性性も無視されてるところがあると思うの、わたしは。

 

「男」という大きな括りをするのは危険だと言う人はいると思う。

だけど。「”足りない”から来る強欲さ」「”自信のなさ”からくる傲慢さ」は男のほうが根深い気がする。

降りられないんだろうなあと思って見てる。

 

女がそれを「降りろ」と言うことは無駄だしやらなくていいし、とことん気づくまでやればいいと思うけど、それで誰かを傷つけてる時は注意したいなあ。

 

時々「パートナーが働きすぎだからやめさせたい」とか「わかった風」に男を支配したがる女性が出てきて、応援されてたりするけど、なんだそれ?とずっと思ってきた。

女は女の、自分の人生を豊かにしてればいいんだよ。

そしたら、周りが勝手に感化されるんだよ。

お前が男を動かしてどうするんだよ、それを生きがいにしてどうするんだよって思うよ~。

 

自分を貫くということは、時に反発も食らうけれど

頑固ではなくて、貫いてたら、支援者も現れるし、感化される人も現れる。

それが「世界を変える」ということだと思う。

 

こんな記事を書いてても、わたしは、男性から嫌われない。

言うなりになる、何も考えない(ように見せたらモテると思ってる)女性より

ちゃんと考えてる女性が好きだという男性もけっこう多いんだよ。

 

だいたい、男性に好かれる女性を演じてる女性が好きっていう男性ほど、付き合うの難しくない?求めるだけ求めて、自分は何もしないとかさ。

だから、飾る必要ないし、自分を責めなくていい。

もっともっと自分を育てていこうよ。

 

そしたら、育った自分に見合ったものが来る。

媚びるんじゃない。決して。

 

豊かな内面があれば大丈夫(*^^)v

(20年前の私は、「私の中に愛がない、愛をもらったことないしわからない!!!」って焦ってた。嘘みたいだけど)

 

 

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今年の我が家のクリスマス。

なぜか「ちはや」いっぱい(笑 

フォースと共にあらんことを

私のスターウォーズ暦は30年以上。

エピソード7以降は興味を少しい失ってしまい、

昨日8をテレビで観ました。

 

ああ、これは!と思いました。

エピソード4~6に流れている、ルーカスが描きたかったものを受け継いだように、私には思えました。

 

スターウォーズという映画は、色々な観点から推す人がいる作品なので

私のような視点で見る人は少ないかもしれません。

が、私にとって、この映画は、精神性の進化の話でした。

 

ヨーダという魔法使い(ジェダイ)がいて、そのヨーダが伝えたかったことが受け継がれていく物語。

 

心にある光と闇の戦いは、どの人にもあるもので

闇に飲み込まれるとはどういうことか、光だからいいというものでもない、という難しいテーマをエンターテインメントで描いています。

 

エピソード8では、ルークが火をつけます。大切に守る継がれてきた教えを書いた本もすべて燃えてしまいます。

それを、魂になったヨーダが出てきて、笑って見ている。

 

ジェダイの本質は、本の中にあるのではないのだと。

 

そして、ルークは自分がやるべきことに気づき、能力を出し切って、穏やかに違う世界へと旅立つのでした。

 

精神世界に興味がある人は、全部見ればいいのに、と思いますよ。

 

エピソード8には、男性を救うために命をかける女性たちが出てきます。

めちゃくちゃカッコいいです。

男が心の葛藤と戦ってグダグダになっているのに

女性は冷静で落ち着いていて、男にかまうわけでもなく、世話を焼くこともなく

淡々と生きながら、男を救う。共に生きてる。

男はね~結局、ルークやヨーダの立ち位置がわたしは、一番素敵だと思う。

 

闇に飲まれていく男たちの大変なことったら・・・。

 

それはともかく(笑)

 

愛のために力を使うとはどういうことか。

そのひとつを見せてもらったなあと思いました。

 

一人にひとつ、誰にでもフォースはあるのです。

それを自分の心の闇に飲まれず、その力から逃げず、愛と共に生かしていく。

 

フォースと共にあらんことを。

 

私にもようやく、その覚悟が。

自分の力を恐れると、その力に飲み込まれて、自分や誰かを傷つけてしまうけれど

俯瞰してその力を眺めることができるようになった時

ようやくそれを「愛の武器」として使えるようになるみたいです。

 

「こんな力なんてないほうがよかった」「自分ばかり損をする」

そんなことを私も長い間思っていたのでした。

 

明日は冬至

かぼちゃとゆずの日、ゆず、ゆず、ゆづ~~~の日www

 

新しい季節が始まります。

 

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出会い

こんにちは。

とてもいいお天気が続いていますね。

 

昨日は、ぶらぶらと京都へ行ってきました。

 

我が家に子どものお客さんが来るということで

家にいることもないかと(笑)

 

物事は2年もすれば古くなる気がして。

そろそろパワーストーンのブレスの効力も気になったので

八坂神社近くの石屋さんに行こうと思いました。

八坂さんにも行きたいしなあということで

向かいました。

 

私のストレス発散は、ショッピングモールをうろうろすることのようで

まずは京都伊勢丹を一巡り。

夕方に四条河原町まで出ました。

 

夕暮れの八坂神社は美しく、薄暗くなるとライトアップされてまた違った雰囲気に。

 

一通りお参りしておみくじを引いて、いざ、石を見に。

 

店員さんの柔らかい接客に癒されつつ

今の自分に必要と思われるものを手に入れました。

 

それから、マルイへ。

 

ちょっとお手洗いを借りるつもりだったんですけどね。

意外といいお店がたくさんあって

びっくりしました。

 

そこで、運命の服屋さんと出会ってしまいました~~~

 

かわいくて、美しいセーターみっけ!

 

その昔、ある「視える人」から「あなたは、可愛いものが似合うのよ、たとえばツモリチサトとか」と言われたことがあったのです。

ピンクは好きだけど、この頃は顔立ちからも、髪型からも、ブラックとかキレイめなお姉さん系が似合ってきたところ。

だけど、そのお店の商品にどうしても心惹かれるものを感じたのです。

 

店員さんと話をしていると、なぜかクリムトの話になりました。

やっぱり好きなものが一緒の人が働いているお店って・・・わかるのかしら。

そして、その店は、デザインとかモノづくりをしていた人が働いている率が高いと聞いてまた、納得。

 

他では見られないデザインとかわいらしさのある服なので(可愛いけどちょっとゴスロリの店っていうのは知ってるけれど、ここは、花が咲いたみたいな清楚な雰囲気もあり)とても気に入ってしまいました。

 

神社の帰り道だったからかなあ。

こういう出会い。

嬉しいですね。

 

柔らかい、優しい雰囲気になれるといいな。

というより、それでは舐められて嫌だなあと思ってたんですけど

そろそろ、そういう雰囲気を纏っても大丈夫になったかもしれない。

 

自分への、クリスマスプレゼントにしました。

 

何かに出会うためには、違うものを切らないといけないし

その選択は時に痛みを伴います。

誰もが、すぐに正解を選べるわけではないし

正解だけを選ぼうとすれば、相手にも失礼なことになるんです。

ということを、最近経験しました。

 

条件とか、自分に何をしてくれるんだとか、そういうことを前もって聞いて上で

パートナーにできるかどうか選ぶ男性に出会い、

あまりにも失礼だろうと、お断りしたところです。

 

失敗が怖いんだろうなあと思うんですけどね。

 

人間関係なんてわからないじゃないですか。

 

リスク回避ばかり上手になってどうするんだろうね。

 

自分にふさわしいものを見つけるまでの遠回り、失敗の数ったらすごいよね。

それを避けて、自分だけは一発でいいものを手に入れたいって・・・無理だと思う・・・

 

見つける前に力尽きるかもしれないし、命も果てるかもしれない。

だけど、その見つける過程で出会ったものもまた、宝物になる。

それを信じないでどうやって生きてくんだろうと思う。

 

あちこちの集団にいっちょかみで入ってみて失敗して

いくつも痛手を負って、それでもまだ、わたしは人を信じています。

 

傷の分だけ優しくなれると思うし。

 

正解と成功だけを手に入れたくて立ち止まるよりずっと。

 

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気にしすぎなのはどっちだ

クリスマスムードが高まってきましたね。

もうくりぼっちでもなんでも来い!(笑)

 

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さて。

 

先日、まじめに職場で語ってしまいました。

男性の上司は黙ってましたけど。そして、女性にも理解していただけなかったですが。

 

学校図書館には、性教育の本もあります。

ところが、何年かに一度、その本で悪ふざけをする児童がいて

「じゃあ、本を引っ込めましょう」と言われるんですよ。

 

おかしくないですか?って言ってきました。

 

悪ふざけをすることではない。たとえ裸の絵があったとしても(性教育の本ですから、エロくはないです)、それを使って女子をからかったり、嫌な気持ちにさせるようなふざけかたをしてはいけない。

本に責任はないのです。

 

ところが、女性の大人は「指導するより本を引っ込めろ」なんですよね。

それは、自分自身が「性的な絵で男子がふざけるのは仕方ない。止められない」と本気で思ってるからです。

 

もし、本を使って暴力沙汰が起きたら、その子をきちんと指導するはずです。

ところが、セクシュアルの悪ふざけはスルーしてもよい、と思っている。

成人男性は、そういう風に育てられていて、もうどうしようもない日本ですが

成人女性までが及び腰になって「本を引っ込めます」になるっての、納得いかない。

 

本来は、成人男性がそこをきちんと指導すべきところなのは当然です。

ところが、わたしがこういう話をしても、男性上司は苦笑いのみ。

女性は「それは正論だけど・・でも・・・」以上。

 

発達障害の親の会に行ってた時もありました。

「性的な興味が出てきてどうしたらいいのか」と。

もうね、女性自身が、自分自身の性について「恥かしい」としか思ってない。

だから、子どもに歪んだ抑え方しかできない。

 

経験が足りないしね。

 

「子どもの目につくところにそんなものを」・・・じゃないんですよね。

その表現がどうなのか、ってことなのに。

 

性教育のまっとうな本すら、「男子を刺激してダメな本」と思ってしまうって

大人のほうが歪んだ視線を持ってるということだと思います。

 

ねえ。

 

自分の性を直視して、欲求を認めて、それを正直にして生きていくと

セクハラが何か、男の何が問題か、ということは明確に見えます。

だけど、自分がそこを直視できない人は、「そういうものはダメなもの」としか言えないし考えられない。考えると顔が真っ赤になったりしてしまう。

子どもか?

 

大人の女性として、本気で性について自分を見つめられないって悲しすぎませんか。

 

性を見せないことが「清いこと」と思ってる人の多いことったら。

「こんな本を置いたら子どもによくないです」と言ってる人が、一番性を意識してる。

大人の女性なら、目くじら立てないですよ。

その内容がセクハラで女性を道具扱いする内容でなければ。

で、そういう内容かどうかを吟味できるもんです、冷静に。

 

そういう発言をする女性を見るほうがずっと恥ずかしいわ。

 

堂々と「この裸は、男子を勘違いさせる意味があるような気がするのでよくないんじゃないですかね」と言ってくれたら話は分かる。

「男子が騒いで困るので」じゃないでしょ。

 

大人の小説には(賞を取ったものも含めて)官能的なシーンがあって当たり前で

それを読むための練習としての児童書であって

決して「純粋無垢で性に関心を持たず、清潔な子どもであってほしい」という意図で児童書があるわけではないでしょう。

ってか、本好きな子どもは、早いうちに官能的な文章に触れるもんです。

 

いったい何を怖がっているんだか。

 

「極端に避けること」というのは、もっとも興味のあることなんです。

だからね、私は「ああ、この人は性に興味があるな」と見ます。

 

それだけです。

 

自分を正そうと息巻いてる人は、自分の中にある間違いが許せないんだし

自分を潔癖に見せたい人は、自分の中の欲望を消したいだけだし。

それほどきつく、強く、間違いや欲望に心を持っていかれてるんでしょう。

 

弱さや間違った部分や欲望を認めて、それと共に生きるようになると

誰かを縛ることも必要ないし、正そうとすることもない。

そして、世の中のフェアでないことに対して、普通に「フェアにしようよ」と言えます。

 

今の日本に足りないのは、男性の自覚。

すぐに誰かのせいにしたがるのは、男が多いですよ。

「男は誰を責めてもいいけど、女性は自分を責めてね」みたいな心理学を名乗ってるおかしな人たち、いっぱいいますよ。

そういう男性の尻馬に乗って「一緒に女性を責めちゃえ」って責めてる女性もいたりしてね。

 

それは余談として。

 

素直に正直に生きることを自分に許してみてください。

少し戸惑ってこんがらがる時期はあるけど、それを過ぎると楽になります。

 

子どもの自分をちゃんと通り抜けないと、大人になれないよ。

 

子どものままで「私を大事にして~~~」ってなっちゃうよ。

 

男もそうだけど・・・。

 

従うだけで生きて、養ってもらえた世代だからこそ

自立はとても難しいと思うけど

人から大切にされることの意味を取り違えたら

お金儲けのカモになっちゃう。

 

それを身に染みて感じてきたのでね。

 

今更、顔を赤らめるような子どもとして

「裸の本は置かないで」とか言わないでほしいと切に願うわけです。

本に罪を擦り付けて、男の子たちの行動を免じてはだめなんですよ。

 

紳士を育てないとまずいと思うんですけど、どうですか?

 

みんな自分をほめて!

毎朝、朝焼けを見ながら出勤しています。

それだけで幸せを感じます。

 

若い時はとかく自分にダメ出しをしてしまうものです。

大人や社会は、子どもを押さえつけるのに必死で

支配するのに必死です。

 

そこから逃れるのは大変かもしれません。

 

だけど、大人になれば、それがすべて幻想だと気づけるようになります。

 

特に女性は「こうあらねば男性に好かれないぞ」という脅しを

幼少期から、父親や周囲の男たちから刷り込まれてしまうので

「女はこうなければならない」と男の視点を内面化していることが多いです。

 

だから、同じ女性に対して厳しいし、いつもいつもどこかチェックしたり

マウントを取らないと気が済まなくなる。

病気です。

 

自分が小さい頃に一緒にいた男の価値観を内面化しているだけなのに

「女がどうふるまったらいいのかは、私が一番知ってるわ」と思い込んで

誰に対しても、そのふるまいや外見を求めていくのを

わたしは見てきました。

 

常識を疑えというのはそういうことですよ。

自分が「当たり前だと思っている」「こういう女性が好かれる」という価値観や常識を疑うことなく、カウンセリングだのセラピーだのと称して広めてしまう。

その罪ったらね。カルマいっぱいじゃないでしょうかね(笑)

 

男は、そんなこと実は関係なかったりします。

勝手に女同士で格付けして、男に都合のいい女性を育て上げてくれて

さぞ楽なことだとは思うけれど

そんな自己肯定感の低い女性(顔もスタイルも服装もメイクもばっちり!な)が、アラフィフになったらどうなんでしょうか~。

 

若い頃に身に着けられるはずの、もっと違うものがあるのに。

 

家庭の中で女中扱いを許している女性もそうだけど

そうやって、自分が「普通にやってきたから」といって

そうしない女性を見下したり、嫉妬でいらんことを言うっていうのもありますね。

 

昔は、そりゃ、社長夫人が務まる女性に育ったらいいんだろうなあとか妄想したこともあるけれど、今は本気で「そんな人生じゃなくてよかった」と心から思っています。

 

人生詰んでしまう。

 

狭い世界の中で、社長である夫が浮気してないかチェックしたり、家族の中でそれこそ、かいがいしく動いたり、そうかと思えば、陰で色々采配ふるったり・・・。

しんど・・・い・・・。む・・・り・・・。

 

それよりも、会社の中で人を育てるとか、もっと広い世界で動きたいなあと私は思うのですが、それも人それぞれなのかもね。

 

いや、何が言いたいかっていうと。

 

女性の評価なんて全くアテにならないってことです。

お前の理想通りになって、お前が私の恋人になるのか?って話です。

評価した奴が助けてくれることなんて一切ありません。

 

自分の人生は自分だけで歩くもの。

女性としての自信を持つのは、誰とも比べない自分自身でしかないのです。

人と比べて頑張ってみるのもいいし、彼に合わせたくて頑張るのも青春です。

だけど、女性からのダメ出しに傷つかないでほしい。

 

お前の理想を押し付けんじゃね~ぞって言ってやってください。

 

わたしは昔、冴えない女の子でした。そうすることで身を守っていました。

目立たないコト、地味な女の子を演じることが最大の武器だったのです。

田原俊彦なんてちっとも好きじゃないのに

マッチが好きって言ったら不良に見られるから言わないとかね。

そういう細かいところから自分をだまし続けてウン十年。

 

それが今や、男性に怖気づくこともなくなり

男性からの評価は落ちないです。

 

それはたぶん、そういう自分になりたかったから。

一人の人に甘えて、何をしても許される環境にいるのが嫌だったからだとは思うのですが、一度、女性からの評価を全部捨てた。

そこからです。自分が少しずつ強くなってキリッとしたのは。

 

自分の美的感覚をとことん信じた。

そしたら、自分の美意識がハマる男性が褒めてくれる。

それだけのことです。

 

「女性からどう見られるか」をやめるだけで、生きやすくなります。

自分勝手でOKです。

 

こと、男性に対しての姿勢は、内面化されている「こうあるべき」が平安時代からこの国の女性は変化してない気がするから。

そんな中で、どんなに神様の声がどうだの、心理学がどうだの言ったって

意味ないじゃん。

 

自分の中の「その常識」を壊してからにしないとね。

 

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何が大切か

こんばんは。

夕食はシチュー。クリスマスソングをかけても違和感のない季節が好きです。

 

自分が何を求めているのかを

あまり深く考えずに突き進んできました。

 

ここにきて、少し立ち止まり

周囲を見回してみると

去年とは違う景色を見ていました。

 

人には様々な価値観と生き方があって

交わらないはずの人が目の前に出てくことがあります。

だけど、よくよく見てみると

その人と出会う理由が必ずどこかにあるもののようです。

 

とても面白いことがありました。

源氏物語を海外の方が訳して、それをまた、日本人の方が訳して出版されていることがわかりました。

それがね、なんと、クリムトの絵が表紙に使われているのです。

 

源氏物語 A・ウェイリー版1

源氏物語 A・ウェイリー版1

  • 作者:紫式部
  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2017/12/22
  • メディア: 単行本
 

 

実は私、過去、「紫式部」というあだ名をいただいたことが、それこそ一瞬だけありまして。クリムトとコラボだよ、これ、買うしかないんじゃね?みたいな話です。

 

点と点がつながっていくような

最近はそのようなことが増えました。

 

離婚してから、男女ってなんだろう、パートナーってなんだろうと

よく考えます。

紫式部の時代と今の時代、そんなに変わっていないみたい。

日本人は島国だからか、本当に世界から取り残されているような気がします。

 

男性に尽くされるのがいい女だとか

男にちやほやされるのが女性性の証だとか?

まあ、そのようなたわごとを言う若い人たちが増えてしまい

「人を愛する」という基本的なところを

磨かないままにしているのかもしれないなあと思います。

 

もちろん、わたしはフェミニストですし

男に遣われたり、男のために生きることなどいたしませんし

家事全般できる男でないと一緒にはいられません。

 

そしてそれは表面的な話であって

「人を愛する」ことと何ら抵触しないのです。

 

身の回りの世話をすることは、愛ではありません。

相手が障碍をもっていて、動けないなら、それは愛と言えるのかなあと思いますが。

だけど、健康で動ける人の仕事を奪うのは愛ではない。

 

それはともかく。

 

わたしは、ずっとその「愛」について、勘違いをしてきたんです。

相手から何かをしてもらうこと、相手から何かをもらえることを愛だと思っていた。

だけど、私にも愛があって

それは、なんだろう、一般的なマニュアルで書かれているようなことではなく

例えば成長を見る、だったり、一緒に同じ風景を見る、だったり

自分の中にある「愛と思えること」を外に現したい、と思うのです。

 

上手く言葉にできないけれど。

 

そして、それは、一人で生きていてできること。

誰かが隣にいなければできないなんてことは一切なくて

こうしてパソコンに向き合っているだけの私の中に

確実に「あるもの」だと思うのです。

 

その人が、どこで、何をしていようと。

 

私と出会ってその存在を「感じた」ということが

それだけで愛なのかもしれないなあと思うのです。

 

磁石のように誰かの横に寄って行ってしまうのを

愛だと勘違いしないでほしいと思うのです。

 

若い時はそういうこともあるけどね。

 

時間もなく距離もないもの。

だから、「ここ」にいなくても伝わるもの。

 

だから、亡くなった父からも愛を受け取れるんだろうと思います。

 

この二年ぐらいでそこんとこを、わたしはとことん鍛えられました。

一緒にいたい、寂しい、悲しい、辛い・・・を越えてきて。

「わたしが愛する」という基本に辿り着いた気がいたします。

 

これからも、迷ったり泣いたりすることだと思うけれど

それも含めて、全部全部愛だと思うから。

 

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大好きなことだから

本格的な冬到来です。

防寒してますか?

 

また、新たな発見をしました。

どんだけファザコンやねん自分、ってね。

そして、父のことをまたひとつ、理解しました。

 

寂しさを埋めるために外面を必死で保っていたんだなあとか

それを家族に埋めてもらおうとしてたけど

結局自分自身を満たせなかったんじゃないかなあとか。

 

誰かをかまうことで、自分の寂しさから目を背ける。

それもまた、ひとつではあるけれど

その「誰か」を失った時、自分がひとりで病と立ち向かう時

誰かをかまうことができなくなった自分と

どう向き合っていくのか。

とても大きな課題を置いて逝ってくれました。

 

そやって目をそらし続けている男性の多いことも。

 

さて。

 

わたしは今の職場で苦労もしたけれど

好きな仕事ではあるわけです。

愚痴言いながらも、この仕事の本質を、折に触れて一緒に働いている人に伝え続けている2年間を過ごしてきました。

 

自分がやって見せる、やってもらうように促す。

毎月出す通信も14号になりました。

 

来年度は制度が変わり、私も含めて進退を問われることとなったわけですが

どうも、誰も辞めない様子。

日数が減っても、この仕事を続けたいという気持ちを感じています。

てっきり、給料に見合わないこの仕事、人生を考えたら違う選択肢もあるよと

それも伝えたのですが。

 

それに気が付いた時、わたしはとても幸せだなと思いました。

私が配属されてきた時に比べて、みんなが成長している。

この仕事に対する意識が強く、たくましく、プロとしてできるようになっている。

辛いこともあったけど、諦めず自分を貫いてやってきて正解だったと

思わされる出来事でした。

 

わたしは、「講義する」「厳しくしつける」というようなことは一切やりません。

ただただ自分がどうやって働いてきたかを見せるだけです。

何気ない言葉の中に、仕事の本質を混ぜていく。

おしゃべりしながら、自分が楽しんでることが勝手に伝わる。

そういう感じでしょうか。

説教もしないしね。

 

わたしは、そういう生き方、上に立つ時ってこうありたいという有様を、目指してきた気がします。

黙々と共に仕事をすることで、周りを変えていくというやり方。

 

説教するのは簡単なんです。道具を使って「口先だけで」何かをした気持ちになるってのは。

 

でもそれで、誰かの人生や何かを変えることなどできないです。

「私が変えてやった」とか思ってるだけで、実は、違うところに「変わる種」があっただけだったりする。

 

私が発信することは、「光のボーガン」となってるんだなあ。(←わけがわからないと思いますが・・・)

 

何が好きで何が嫌いで、こういうやり方があって、こうして、やってみて

自分のすべてを使って伝え続けること。

それが私の生きている証。

 

「大好き」のエネルギーは時空を超えていくんでしょう。

 

この世界に種を撒きつづける。そういう生き方もあるのです。

「受け取ります」ばっかりじゃない。

お金を得るために人から何かを奪うのでなくて

種を撒いて、その種の成長を見守る生き方は

幸せの果てることがない希望を感じます。

 

誰かと一緒に生きる時にも、わたしは、その人が幸せであるようにと

その瞬間を必ず笑顔にしたいと思っていて。

その対象が、「この人でなければならない」なんてこともなくて。

 

この「今」が過去も未来も作っていくのだと決心しているのです。

 

というわけで、また。

 

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