風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

強さ

おはようございます。

すっかり春になりました。

 

昨日、車の中でコブクロの「信呼吸」が流れていて

それが外の空気感とあまりにもマッチしていることに感動。

音楽と季節のコラボレーションを発見した時の喜びは

自分だけの喜びで、何にも変えられないなあと思ったことでした。

 

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たまたまテレビを着けたら

アンミカさんがパリコレに出るモデルさんを選ぶ番組をやっていました。

特に気にしていないのに、ホントにテレビをつけることも少ないのに

観てしまう。きっと意味がある。

 

で。

 

昨日はパリコレに行けなかった人たちへの卒業式として

ひとりひとりに言葉をかけていらっしゃったのですが

その時に「繊細な心」があるゆえに泣いてしまう人に対して

「強くなってください」というようなことをおっしゃってたんです。

昔なら、「それは無理だろ」とわたしは思ったはず。

 

でも、昨日は違いました。

繊細さを、否定した言葉ではなかったから。

そしてね。やっとわかったんです。

どんな扱いをされようが、その人自身が、自分に自信を持っていれば

強く凛としてそこに居られる、ということが。

 

私は繊細です。すぐ泣くし、すぐに傷つく。

いつかそれは私の個性となり、自分はこういう人間だと思うひとつの指標となりました。

 

ただ、繊細さと「自信を持つ」ことの両立が無理だと思っていたことに

私の未熟さがありました。

 

繊細さと、強さは、両立できる。

 

ダンス教室で、女性を見定めている男性の心の中は、きっと「俺も選ばれたい」のだと思ったのですよ。すごく小さな男。そんなことを微塵も思っていない男性たちの堂々としたふるまいに比べて、見劣りしている。

わたしは、自分が失礼な視線に晒されていることだけに集中してしまい、そういう視点を持てなかったなあと思ったのです。

 

長所も欠点もありのまま見ることができる「自信」を持てばいいのだと

テレビを見てすっと理解できました。

神様、すごいよね。こういうこと、やってくれるんだからね。

 

というわけで、誰にも削られない自分自身でいたいと思う2月末。

今日も楽しく生きましょう!

 

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サクラ色

今年は世間はピンク推しなのか

ひなまつりにかこつけて?イチゴブームを仕掛けて?

なんでもいいけど。桃色のお店が増えて嬉しいです(*^^)v

 

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朝の通勤で、電車から見える朝日がとても美しい時があって

写真に撮れないのが残念なのですが

これは写メした一枚

 

家族を解散して半年。(子どもを手放してからという意味)

すっかり自分自身だけを見つめられる日々というのは、こんなにも成長できるのだと実感しています。

面倒を見たり、心配したり、が当たり前の生活をしていると、どこか自分がおろそかになってしまう。

そして、たとえ家族が離れても、その習慣が当たり前になってしまい、自分自身がなくなっていくように周囲を整えてしまうことはよくあることです。

 

「家族あっての自分」のままでいると、「家族から評価されるわたし」「家族の代わりに自分を評価してくれる他人」との関わりを求めてしまいがち。

そこに「あなた」はいるのかい?と私は自分に問いかけました。

 

「わたし」がいかに多面体でできているかがわかった時

わたしは、自分自身を演出することをやめました。

結婚前の「真面目で堅物な自分」は、今やすっかりどこかへ行ってしまいましたし

けれど、そういう部分を前面に出すことで、自分を守れる場面もあって

「相手によってどこを見せるか」を選べるようになったことがとても自分を楽にしました。

 

最近、社交ダンスをどうするかでずいぶん悩んでいたのです。

先生との相性や、踊っていて楽しくない時間も増えてきたことや、先生から言われた一言に傷ついてしまったことで、二週間ほど離れていました。

今までの自分ならこっそりやめていたかもしれないし、電話で傷ついたことを伝えて辞めたかもしれない。

だけど、今回は、もう一度足を運んでみたのです。

 

傷ついた気持ちを抱えて踊っていたのに、先生はたぶん、何かを感じていたと思うのに、とても誠実にただ踊ることだけに集中させてくれました。

私の気持ちが楽になるように言葉を選び、レッスン内容をその場で考えて対処してくださったんですよね。

私が今まで出会ってきた「あなたがそんなんだから、わたしはやる気がなくなるんだよ!」などと言った人たちとは全然違う。そこに、プロの姿を見ました。

 

そして、自分がそこまでして、ここに足を運びたい気持ちも見えてきました。

 

必ずネイルを褒めてくれる先生や、必ず名前を読んで笑いかけてくれる先生がいて、でも、女性を選定しているような人も混じっていて、混とんとしているんですよ。

私自身、それほどダンスに夢中になれない中、自分を保っていないと気持ちが凹んでしまうところです。

 

「ひとり」でいることを試される場所。

 

自分にひっついている過去も未来も問われない、聞かれない、評価されない場所の心地よさに浸っているのかもしれず、そしてまた、そこで違った自分自身を見つけたいのかもしれません。

 

わたしには精神的な親がいなかったのが幸いして

「親だけに精神的基盤を求めない」ことができるようになり

自分自身が理想とする人たちとの出会いを、自分自身で獲得してきたところがあります。

 

今では、あらゆる出会いが師になり、間違った出会いも勉強になります。

 

人との出会いは、ひとつの宇宙との出会い。

その人の生きてきた背景や、今生きている世界との出会い。

わたしはそれが楽しくて、たくさんの人と会いたいと思う。

そしてそこに、思いがけない師匠との出会いがあり

自分自身に影響を与えてもらえることがたまらなくうれしいのです。

 

日々、悩んだり傷ついたり喜んだり楽しんだり。寂しくて落ち込む日もあれば、勝手に楽しい日々もある。

たまらんよね!

 

神様のやることは、全くわからない。明日が見えないのが素敵だと思う。

 

桜色のショッピングモールへお出かけしましょう。

明日は友達と会えたらいいな!

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満月

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友達と大いに食べて喋ってスッキリした満月夜に。

1人でも理解者がいるだけで世界は明るくなると思う。

なんでそうなってるんだろう、どうしてあんなことになるんだろうということを突き詰めず、ただ、フワッとした感覚で、許したらいいとか、なんだか嫌だとか言ってても何もならない。

最近、立て続けに、「後輩に厳しくして、クレームがきたけれども、自分では覚えてないし、笑い話にしてしまう」(ざっくりだけど要約してみるとこんなこと)という人達の話を聞いたり、見たりした。

中には、自分のできていないことまで、後輩には厳しく当たったというのもあった。

私の中の常識は。
上に立つ人は、自分が習得して出来るようになったこと、あるいは、できるかできないかの見極めが出来ることが必須であって、自分ができないことを後輩に「やれ」と言うのは未熟である。
というもの。

だから、ずっと、パワハラまがいのことを何故するのか、そういう人のことがわからなかってし、怒ってもいた。


けど、そういう人は、実は、治らないしわからないんだな!ということがわかったのだ!

もともとそういう人で、そのまんま歳をとっていくだけで、いつか気づくはず、という期待をしても仕方ないようなのだ。

私は、親や教師を常に観察していて、わかってる人なのか、虚勢を張ってる人なのかを見ていた。
目標としていたのは、謙虚で知ってることをわかりやすく教えるタイプの師匠であり、押さえつけたり厳しく指導することは、私の選択肢にはなかった。

けれど、世の中には、支配するされる、指導するされるのパターンしか持たない人たちがいて、それはもう動かせるものでは無いらしいのだった。

そして、そのような人達が、大人になり、支配し指導する側になっていくのは仕方なく、後輩からどんなにクレームされても、チクッと嫌味を言われても、自分がおかしかったなどと思わず、「私は自分ができないことを認めたくなかった」「できないと言えなかった」としか思わない。


そういう思想、発想にしかならないのだから、何を言っても無駄なのだなと、やっと思えた。


いつでも自分は教える側で、ちょっと知識を得ただけで、ちょっといいことがあったくらいで、他人を上から目線で見下してしまう。
それがその人たちの生き方なんだと思ったら、もう、今までの諸々が溶けてなくなるような気になった。


見下しは、単なる癖であり、その人の個性のひとつに過ぎない。だから、見下されたようなことを言われても、私の価値は何一つ変わらないし劣ってもいないのだ。

悔しい。個人の癖に振り回されてたなんてね。

場の中心にいたい人、アドバイスしたがる人、いちいち評価して回る人、自分の経験だけで人をジャッジする人、みんなみんな、個性なんだね。
私とは違う個性。理解できない個性。
正解でもなければ愛でもない。
だから、信じる必要も無い。

ホントのことはそこにはない。

私は、あなた達の見ていない世界に生きてるからもういいの。
別世界でお互いに頑張りましょうね。

そんな感じ。

誰もが自分の好みの世界で生きれたらいいよね!

歪んだ認知の者同士、お互いに治しあっても平行線。声の大きい方、立場が強い方の認知が正しいとされてしまうだけ。

誰も正される必要なんてない。

毒として生きる

暖かくなったと思ったら花粉症。

生まれて初めてかもしれない。

引っ越し先の環境だよきっと、くやし~。

 

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昼ごはんのサンドイッチ。

生ハムとチーズとりんごをマヨネーズ、黒コショウ、ワサビで。

 

食に対する興味は昔からあったけれども

こうして、「家族のためじゃない食事」を作って食べる醍醐味ったらたまりませんね。

これで大いに実験しながら美味しさを追求できるというものです。

しかも、そういうことを語れる人が居ればなおさら。

 

さて。

 

今日のおみくじ(スマホでぽちっとできるやつ)に

スサノオ」と出ました。

わたしは、昔から、神様と言えばスサノオとの縁が深いと勝手に信じています。

一番最初にスピった時、言われたのが「シバ神」からのメッセージだったりして

どうも「戦いの神様」とご縁が深い様子。

大人しくないんですよね、結局のところ。

 

長い間、多くの人を観察してきて思うことは

虐待を受けて育った人たちがあまりにも多く

自分が怒りを出すことを極端に恐れるあまり、他人が理不尽なことに声を挙げることをも咎めてしまう傾向があるということです。

自分が怒られたから、怒りたくないから、「どんなことにも怒らないこと」が愛だとか精神性が高いという風潮が生まれた。

これって、完全に支配者の思うがままですよね。

何をされても怒らない人たちを創った。すげ~~~。

 

戦わないコトは美しいかもしれないけれど、戦う前に力でねじ伏せられて、暴力で抑えられて口を封じられることは美しいことですか?

 

学校ってね、家庭ってね、そういうことを教えてる。

 

逆らうな、意見を言うな、と。それをイコール「怒らないコト」「腹を立てないコト」という風に定義しちゃったんじゃないかな。

 

力を持っている人たちは、「自分が気に入るような意見」にしか耳を貸さないんだよ。

自分の耳に心地よい言葉を言ってくれる人の言葉を「愛」だと思う。

それだけのことだと思うんです。

 

なので。

その場にさざ波を起こすことや、場を乱すようなことを嫌うのは

決して愛じゃないし、気高いわけでもなく、現状維持が好きな人たちってことだとわたしは解釈しています。

 

平和平和と言うけれど、戦国時代は、人を斬ることで平和が保たれていて

人を斬りたくない人たちは、神様にもなれなかった。

一族を守るために人を殺すことが正義だった。愛の証だった。だから兜に「愛」って。

その時代と今と、何が違うんだろうね。

 

「自由とわがままは違う」と言う人がいるけど、そのジャッジメントは誰がしてるの?あなただよね?神様じゃないよね?ひとりの人間の意見でしかないよね?とわたしは思うんだけどって言ったら、スピな人は悲しそうな、否定されたかのような傷ついた顔になる。

 

美しい自分を否定されるのが何より嫌いなスピな人たちを見て、わたしがそっち側に行けない理由がわかった気がしたの。

 

わがままに、誇り高く、自由に生きていく。

それは、今の「わたしって悟ってて美しくていいこと言ってる!」でお金を得ている人たちとは全く違う道。

私の前に道はない。

 

「自分」というブランドを背負って生きていけばいい。

世の中の「毒」として存在するってわくわくしない?わたしだけ?

 

美しくない、面白い話をいっぱいしよう。

傷だらけの、それでも笑える話をしよう。

欲望の真ん中で愛を叫ぼう。

 

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知らんけど(笑)

息子に教えてもらった「何でも言うことを聞いてくれるアカネチャン」

地味に好きです。

興味ある人、ググってみてね。

「しらんけ~ど~~~~(^^♪」

 

PMSにより盛大に落ち込んで、やっと復活です。

ほんま、めんどくさいやつですねwww

 

今日はポケモンのイベントがあり、スマホとにらめっこしていました。

めちゃくちゃポケモンに詳しい人とお友達になりまして

一度やめていたのですが、これも復活。昔のデータが取り戻せず新規で始めたので、ダッシュです。以前より必死。詳しい人がいると色々聞けるのでいいですね。

廃人にならないようがんばります!

 

ボランティアも、ゲームも、ボカロも、あるいは読書もコブクロも。

私の中では同じレベルで存在していて、どれも大事。

思想じゃないんだよね、趣味、すべてが趣味。

恋愛も結婚も子育てもたぶん、同じ。

 

だから、いちいちお涙頂戴にできないし、感動ポルノにもしないし

成長物語でもないっていうのが世間の人たちと違うところです。

どんな趣味でも人間の成長はあるから、別に子育てだけが偉いわけでもない。

結婚生活が続いたからってそれがどうした?みたいな感じです。

 

自分自身の中にある、この世界と関わる恐れや、この世界に馴染めない自分を責めていることについて、ここ一年ずっと観察してきました。

感情が揺れるたびに、その感情を見続けて、否定しない練習をしました。

 

余計なものが剥がれていってる中で、今、わかってきたことは

ほんまにわたしって個性的やね~ということと

「自分自身が傷つけられて抗議してきたこと」を「人を非難したらだめ」という意味に取り違えられて、それが辛かったな~ということ。

嫌なことに声をあげるのが、この国では難しい。

「言い方を考えろ」ってすぐ言われるし、言い方が悪いからと、傷すらなかったことにされてしまう。

理不尽なことに怒ることと、無闇に悪口を言うことは違うんだよ。

その区別がわからない人がとても多いし、だから、「とにかく口をつぐむ」「ポジティブなことしか受け付けない」ということになるんだろうと思う。

 

夫の暴力には黙って従ってるけど、子どもが言うこと聞かないと許せないというのはその典型だと思う。

 

直接強い人に抗議するよりも、怒りを受け止めてくれる人に「正当な理由で」怒りをぶつけるのが、「批判されないやり方」として認知されてるから、

わたしのように、夫にはやり返すけど子どもには手を出さない、という風にやると「夫を理解してない」「夫に優しくない」「素直じゃない」「愛がない」と言われる。

対等な大人に対して気を遣って、子どもにはやりたい放題ってそっちのほうが愛がないだろ?違う?

 

ほんと、私にしてみれば、変だお!

 

その違いがやっと私の中で腑に落ちたので、これ以上、自分を責めることはないし、理不尽なことには罪悪感を持たずにきちんと対処していけるようになりました。

 

違う考えの人たちを説得する気ももうない(最初からない)し、何を言われようが、わたしはおかしくないと思ってるし、これが「違いを認め合う」ということになるんだなと。無駄に腹を立てても仕方ないし、お互いに理解できないわけだから、そういうものとして付き合うしかない。わたしは、わたしで!

 

それにしても「悲しみの大元」がわかると、とても楽になる。

なんでみんな、こんな簡単なことがわからないんだろうって怒ってたよね、ずっと。

怒るべき相手に怒らないで、八つ当たりできるところに八つ当たりすることがどうして許されてるんだろうとか、そういうことをする人が、「愛がわかりました」とか何言ってるんだろうとかね。

 

そこはもう、全然違う世界で生きてきたわけだから。

 

お疲れ様です!お互いに!っていう感覚です。

 

ある人が「孤高だけど孤立してないでしょ」と言ってくれて。

それがとても心の支えになってます。

仲間仲間っていうのまじで無理だから。けど。孤立は怖いよね。

だから、セイフティネットをあちこちに作ってる。

 

自分の好きなものを通して友達を増やしていくのが、これからの目標。

ポケモンフレンドとか(笑)

まちライブラリーのボランティアもそのひとつ。

 

軽やかに、あちこちに出没して、楽しめたらいいな。

話題はいくらでもあるんだし(≧◇≦)

 

誰のことも、し~ら~ん~け~ど~www

 

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最強の「栗餡バターぱん」たまらんおいしさ!

 

改めて家族ってな~

洗濯ものを干した途端曇る・・・

わたしあるあるですw

 

毛布も洗濯したいのに~~~

 

今の私のお気に入りは、ロイホのデザートです。

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やばいぐらい美味しくて、はじめて「食べたくて」リピートしました。

二回目も感動。

 

毎日食べても飽きないと思う。

期間限定だからまた行かねば!

 

******

 

お年寄りになって、病院行って

「家族が誰もお見舞いに来ない、かわいそう、何があったの、健康は戻っても人間関係なかったら気の毒ね」という話が普通にありませんか。

 

わたしも、昔は何気に聞いてましたけど。

おかしくないですか?

 

ひとりで生きてても、セイフティネットがある社会のほうが大切だよ。

家族に好かれる嫌われるが命の基準になるなんて変じゃない?

 

だから、浮気をしようがDVをしようが「女が許してくれて、夫婦仲良くしてたら老後が安心」になるんですよ。

どんなに酷い目に遭いながらも別れないんは、「独り身で病院で寂しい」が嫌だからでしょう。

 

医者も看護師もなんなら福祉の人も「家族関係が円満でなければ死に際が気の毒」という価値観を棄てられずにいますよね。

 

元夫の父親は、元夫を虐待したし、地域でも嫌われてたし、私に対する悪口をノートに書き散らかして死んだんですけど、家族に囲まれて死にましたよ。

ええ、幸せそうに。あなたに虐待されて大人になって、まともに子育てできなかった子ども(元夫)も駆けつけてくれて。

 

男にとって、家族って我慢させればいいもので、死に際を看取ってもらえればいいので。

家族には何をしても許されるというのが、長い間この国にはあった。

だから、虐待が止まらないし、何が悪いのか男性自身に自覚が全くないのです。

 

で、「女が男を気持ちよくさせる婚活」というものが生み出され

男には一切反省もカウンセリングも促さず、女性だけに「男性を育てさせるシステム」を延々と説いている。

 

「モテない俺がかわいそう」「女性はこういう役割だから、男を受け入れてあげて」・・・その見返りが、寂しくない老後であり、寂しくならない入院。

 

浮気は見つからなきゃいいし、DVさせない女がいい女だしってことになってる。

 

「家族主義前提」の国だから、家族の中での暴力は大目に見られる。

学校も職場も大きな家族だから、同様に、上から下への暴力は許容される。

なので、みんな、先生になりたがるし、自分の組織を持ちたがる。

 

本来なら、上の立場に立つほど、求められるものが多くて厳しいはずなのに

一番甘やかされる(そりゃ仕事は大変だろうけど、「俺の苦労をわかってくれる部下になってくれ」だからな)立場だと勘違いしてしまう。親も同じね。最近「毒親って言わないで、親も大変なんだから」という本が出たらしい(という噂)し、まさに、大人がそういう勘違いをし始めている。

 

家族主義、家族制度はそろそろ終わらんと無理がある。

 

虐待をなくすのは当然だけど、今のままでは、なくならない。

それは、救う側も「家族主義」を心に深く刻んでいるからで、それ以外の選択肢を持たないからだと思う。

 

「思い込みを外そう」だの「常識を疑え」だの

威勢のいいこと言ってる人ほど、根深いものを抱えていて手放さない。

不登校の子ども達も、お母さんも、家族で抱えるからしんどい。

お母さんが変わればいいんです、とか言われるからしんどい。

母親だけがその子に関わるわけじゃない。他の大人が救えることだってある。

なんで親だけに説教するんだ?

 

子どもは、「その家庭だけの子ども」ではない。

虐待親が変わるより、子どもを違う環境に、違う養育者に。

「生みの親信仰」をやめれば解決する道も見つかるんじゃないかといつも思っている。

 

わたしは、親以外の大人に育ててもらった。

今も、誰かしらの影響を受けてバージョンアップしている最中だ。

 

人間関係ってね、究極「私の家族関係」同士のせめぎあい。

家族を握りしめてる人と私がうまくいかないのは当たり前。

だって、あなたの家族になりたくないもん。

 

親扱いされたり、子ども扱いされたりね。

そうじゃなくて、せめて兄妹がいいよね。

それならいけるかも(笑)

 

今日はとても静か。

自分の中の何かが出てくる昼間。

 

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イチゴ大好き

バレンタインデーでした♡

息子に和柄のチョコをプレゼントしたのと

職場の方にラッピングの美しいチョコをあげたぐらいですけれど

やっぱり楽しいですね。

 

昔は、男性に対するチョコの日だったのが

今やみんながチョコを楽しむ日になりましたね。

いいことです!

 

今年は、阪神百貨店のこれ↓

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ひとりで遊びに行きました。

わたし、めっちゃイチゴ好きなんです。

 

このイベントの面白かったのは

各地のイチゴが食べれること。

仕事帰りに訪れたので時間がなくて残念でしたが

食べ比べしたかった~。

 

イチゴパフェ

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佐賀県の「いちごさん」おいしかったです(*^^)v

 

岐阜県「華かがり」を使ったどら焼き

香川県「さぬきひめ」を使ったイチゴサンド

もいただきました。

 

なんだろうね~この楽しさ。

「こ・れ・が・楽・し・い」

 

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自分はいったい何をするのが楽しいのか?に悩むより

「ちょっと行ってみよ」で行ったらいい。

最近、心に引っかかるものがない「楽しいこと」が増えてきました。

幸せな時間が増えました。

そうすると、違和感の時間もすぐにわかるようになってきました。

我慢が難しくなってしまったという話なんだけどね。

 

イチゴ好きなんだよ、それだけなんだよ。

 

今年のバレンタイン、いいね~~~