WINーWINで
洗濯機を3回回し(二人暮らしですけどなにかwオシャレ着、毛布、通常の3回です)、スイートポテトを焼き、おいしい昼ご飯を食べたらこの時間。
最近の私の変化は
「人間関係が続くようになった」です。
どこにいても「ここじゃない」感があり、溶け込めなくて苦労しました。
だから、ひとりでいることも多かったし、一人遊びも上手になりました。
でもそれは、今思うと、自分が「つながりたい人」に会える環境ではなかったからかもしれません。そして、自分に自信がなかったことも大きな原因でした。
→これね、さっきあるインスタliveで「ひとりでいられる強さを愛して」という言葉を聴いたよ!すっごいね。
進学校に行っても、ピアノが弾けても、なにができても、
認めてもらえない・・・という気持ちを抱えたまま生きていました。
お情けでここにいさせてもらってる・・・という感覚が抜けませんでした。
私の気性の激しさや、気分の浮き沈みの激しさを見せてしまうと
途端に人が去っていくのを何度も経験したせいかもしれません。
しかし、社会人になり、子どもを3人産んでも仕事をし続けたおかげで
図書館の仕事に自信を持てるようになりました。
専業主婦をやめてからアルバイトで勤めた図書館で評価され始めたあたりから
ようやく自信というものが芽生えてきたようです。
しかし、それもまた「何かができても」の続きでしかありませんでした。
決定的に自分を肯定できたある事件が起きたのは、ちょうど二年前の秋。
この仕事をはじめる直前です。
あまりにも失礼な20代男性の同僚に、思いっきり怒りました。
直属の上司は、それが就業時間を越えていたことや、そのために他の人を巻き込んでしまったことに腹を立てて私を叱りました。ここでもまた、わたしは、そこだけ見て私を判断されたことに悲しくなりました。
ところが、その職場を辞める時、もうひとつ上の女性上司が言ってくれたんです。
「とても丁寧な接客をしてくれていたと思う。また、いつか一緒に働きたい」と。
私はその女性に憧れていたこともあって、悲しかったこと全部がチャラになったんです。信頼されていたことがはっきり伝わったからでした。
派遣会社の上の人ですから、何人も人を見てきたはず。その人にそう言われて嬉しくないわけがないんです。
その時の安堵感は今も忘れられません。
わたしは、理不尽なことには本気で怒ります。
けれど、普段はすべてにおいてWINWINです。
自分も相手も利益になるためにはどうしたらいいかを瞬時に考えて行動しています。
私が我慢しすぎることもないし、相手に過剰に仕事をさせることもないです。
だから、今の職場でも、直接一緒に仕事をしている人たちとは信頼関係で結ばれています。学校からも信頼されるようになってきています。
私生活で悲しいことがあっても、仕事で私を嫌いな人がいて、嫌がらせされても
次第にどうでもよくなってきました。
「家族がいなければ~」とか「集団でうまくやらなければ~」で疲弊しているよりずっと、私は今の人間関係が好きです。
自分が落ち着いていると、例えば、気になる人から連絡がなくても平気になりますし、今までならすぐに切れたかな?と思える人が、逆につながっていたいという気持ちを現してくれるようにもなりました。
自分の価値が「どこにあるか」がはっきりすると、価値ではないところで嫌われようがなにされようが、もう問題でなく、価値を見だしてくれた人とゆるゆるとつながっていれば、それでよいのだと思います。
私がWINWINできるのは、実は実家のおかげで
母親がよく寝込んでいたため、小さい頃から弟や妹を守るのは私だと思っていまして
常に全体を観るようになったんです。何がこの場の最善か(自分や強い人たちだけがいい思いをするのではなくて、全員が幸せになるために)をよく考えていたと思います。
強い人にこびへつらったら、弱い妹や弟が守れないと思い、両親とよくケンカしてました。それを、「権力者に対するひねくれた考えの人」と思ってる自称占い師さんとかいるんですが、笑えない話ですよね。今から思うと妹も弟も弱くないけれども( ´∀` )
人生、どの経験が役に立つのか、死ぬまでわからないです。
日本人はやたらと同族意識が強くて、同じ職場だの、同じ家庭だのに固執するけれど、一番大切にしなければならないのは、自分自身です。
自分が自分の居場所になっていることが一番大切。
まずはそこから。
愛する職場の人たちや、私生活でつながっている人たちは、みな、独立心が強くて媚びなくて、「普通」におさまってないなあ。そういう人たちに私が守られてる気がしてなりません。
合わない人に好かれないって便利。