風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

伝え下手

今日は断捨離をしていた。

去年、おせちばっかり作っていて、片づけをしなかったことに気づいた。

というよりも、まだ、この家をどうすべきか悩んでいたのだった。

 

引っ越すべきか、留まるべきか、子どもたちはどうするのか。

すべてのことが朦朧としていた去年。

様々な経験を経て、今思うことは、この家をすっきりさせよう!なのだ。

 

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素敵な画像をみなさんと♡

 

で。

 

わたしは、伝え下手である。

息子たちにもさりげなく確認したところ、そうらしいことがわかった。

職場で伝わらないことが何度もあった。

結局のところ「わたしの頭の回転を遅くするしかないのかもしれない」と思っている。

自慢でもなんでもなく、私は直感で物事を進めるきらいがある。「せっかち」とも言われる。思ったらすぐに動いてしまう。止まったらやらない。

そして、相手の考えていることがふと、わかったような気持ちになるコトがある。

 

なので、「こうしたいんですけど」と伝えながらも、その理由が自分でもはっきりしていことが多いのだ。いつも理由が後付けになっている。

だから、相手には何がなんやら・・・(・・?

 

実行している時、わたしは確信している。しかし、説明を求められると答えられないし、うまく伝えないものだから「何をやっているんだ」「説明してからにしろ」「あなたの頭の中を整理してからやって」と言われる羽目になる。

人間関係も同じだ。その時亀裂が入っても、それがこうなってああなって、その人のためになるように私は今日も動いた・・・のに、周りから見ると「何やってるんだ、やめとけ!」と叱られてしまう。

 

私の感じていることや、考えで浮かんできたことに、たいてい間違いはないし、間違わないようになっているし、何とかなるものである。

しかしながら、普通の人たちは、熟考し、シミュレーションし、うまくいく確信を持って初めて動くものらしい。

今までそんなことすら気が付いていなかった。どうして私だけ違うんだろうと思ってただけだった。

 

実家と疎遠になったことにしても、まあ、普通はやらないのだろう、こんなこと。

将来を考えてたら怖くてできないに違いない。

だけど、人生に悲観的になって、「考えたつもりでやってみないだけ」の人生は、私には似合わない。結果はやってみないとわからないのだから。

「やらなかったこと」にほっとして「よかった、やらなくて」と思う人生など楽しくもなんともない。ただ維持するだけの人生には、新しいことは起きない。

 

どうしてこうなったかを考えてみると、わたしは幼少期に「公文式」をやっていたことに行き着く。小学校に入学する前に、たまたま幼稚園でやっていて、母は育児が少しでも楽になるという理由で、そこに私を預けた。

 

まだ有名になる前の公文式。おそらく、フラッシュカード的なこともあったのだろう。小学校入学時点で、私はクラスメイトと何かが違っていたのではないだろうか。

哲学的な考え方をしたり、スピリチュアルなものに普通に入っていけたり、直感で物事を進めていけるのは、その時の教育があったからに違いないと思っている。

 

おかげで友達はできなかった。あまりにも世界が違っていた。私の頭にある世界は、誰とも共有できない気がしていた。普通の子どもとしての幼さもあり、寂しさもあり、アンバランスな部分が私を孤独にさせたのだと思う。

 

ありがたいことに、大人になるにつれ話の分かる人が増えてきて、寂しさも減っていった。処世術も身に着いた。友達もできて、恋もした。結婚はうまくいかなかったけれど、それも人生の学びになった。

 

色んなことをすっ飛ばして結論を言ってしまっている(らしい)のだが、私の中では全くそんなこともなく、すべてがつながっていて、理論立っているのに理解されない苛立ちはこれからも続くだろう。

 

長く自分を責めてきた。なんで私だけがと思ってあらゆる方面から見直しもした。この年齢になってやっと「頭の回転が違うのだ」「観ている景色が違うのだ」と思えた。そう思うことが自慢や偉そうにして、と見られたところで何も怖くない。

何を見て、物事を進めているのか。どこを見ているのか、同じ景色を見ている人がいないというその違いは自分の立ち位置さえ不安にさせることだったと今では思う。

 

みんなと同じになりたかった。一番の願いがそこにあった。でもそれは不可能で、もっともっと違いを際立たせていけと神様は言う。

私にしかできないことをする。それが私の存在する意味なのだろう。

 

ひとりぼっちになりたくないと泣いていた私はもういない。劣等感にさいなまれていた私はもういない。両親とも心が通い合わず、言葉ももらえず、宇宙のみなしごのような気持ちで生きてきたからこそ、わかることがたくさんある。

 

友達がいなくても、ひとりぼっちな気持ちになっても、ここには、私がいる。

何の才能もなく、ただ誰とも分かち合えることのない世界を生きてきた私がいる。

だから、安心して話をしに来てもらいたいと思う。

どんな過去も、どんな出来事も、わたしは、おかしいと思うことはない。

 

集団が苦手な人ほど来てもらいたい。FBでコメント欄のやり取りにうんざりする人、家族だの恋人だので浮かれてる世間が嫌な人にも。どんな人も、いずれ一人になるのだが、「いずれ」が来ない限り、わからない人にはわからないのだから。

 

孤独は人を強くする。だからあなたも大丈夫。

 

青い鳥セッション
  

料金:5000円/時間

 

場所:大阪の北のほう。梅田でのカフェセッションも可能です。

 

お申し込みは、こちら→ mikamisan12@gmail.com

ただ話を聞くだけです。

・アドバイスはしない ・否定をしないを原則としております。

けれど何か気づきがあると思います。自分で気づいてくる不思議な感覚を体験してみてください。

 

 

それからコチラ↓

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不登校カフェ

不登校カフェは、毎月第4土曜日午後二時から

大阪府茨木市主原町で開催しております。
次回1月27日です。
子どもが学校に行かない、行けない、ぐずぐずする。
先生から母親責められる、カウンセリングの時間なんてちょっとしかない。
友達にも相談できない。相談してもわかってもらえない。

そんなこんなを安心して話していただける場所です。
社会福祉協議会の事業でもありますので、個人が何かを売ったり、セミナーやったりすることは一切ありません。
折り紙もしています。美しく繊細な折り紙です。
おいしいお茶とお菓子をご用意して、参加費200円でお待ちしております。

どうぞ、お越しくださいね。コメントやメッセージよりお申し込みください。
こちらでも→mikamisan12@gmail.com
茨木市社会福祉協議会にお問い合わせいただいても大丈夫です。

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