息を吸おう
朝、雪が降っていました。
とても美しい雪でした。
最近の親子関係、どうなのかなとふと気になります。
なぜかというと、若い人たちの間では「状況が悪くなるのは自分のせい」という言動が強まっている気がするからです。
人のせいにするな、自分が現実を創ってるんだ、と人に教え諭す風の人たちがとても増えています。
では、そういうことを考えるのは何歳からでしょうか。
小さい子どもに「お前はなんでも人のせいにして」と叱って効果があると思いますか?
なんとなくですけど、中途半端な成功哲学的な、ちょっと成長できる風なことを、小さい子ども達に言い聞かせようとしている親が増えている気がするんですよね。
数年前に図書館でそういう親子を見たことがあるんです。大きな都市でもないのに。
子どもは環境に依存して生きています。
当たり前です。
何もひとりではできません。
養育するのが親の仕事であり、環境を整えるのも親の仕事です。
子どもは泣いたりわめいたりするのが仕事です。
なのに、「子どものわがままを聴いていられない」大人が増えてる。
それは、友人の愚痴であろうが、誰かの相談であろうが「それはあなたの自己責任」と切り捨てて、「いい話以外聞きたくないわ」と思う感覚と似ています。
自分が大人になってから得た知識を、無理やり子どもに嵌めようとする。
教師も、低学年の子どもなのに、ものすごく理屈っぽく「意味が通らないような」言い聞かせ方をしているのを見かけます。
ほんとに、なんとなく。なんとなく。なんですけど。
感覚だから『証拠を出せ」と言われたら困るんですけど。
イレギュラーなことや、失敗談や、綺麗なことじゃない話を
ものすごく嫌がる人たちが増えてるんじゃないだろうかと思うんですよね。
「場を乱す奴は出て行け」的な。
怒ったり、反論することを極端に嫌がる。
それって怖いなとわたしは思います。
ラベリングをしてすぐに「じゃあ、支援な」と自分は受け入れず、「そういうところへ
どうぞ」をする。「あなたはここじゃなくて、違うとこでどうぞ」とやんわり追い出す。
広くて自由な世界を創っていくはずの人たちが
小さな狭い世界を大切にするあまり、排除を始める。
そのような世界を生きてきた人たちが、家庭の中で、子ども達を「自分たちの望むような、親のせいにしない、いい子」にしようとしてるのかなとふと、思いました。
息を思いっきり吸える世界がいいよね。
言葉を制限されない世界がいいよね。
「不満ばっかり言いやがって」とか言われない世界がいいよね。
自分たちが、制限する言葉じゃなくて、いつも幸せになれる表情で、楽しく生きていれば、いちいち子どもたちの、隣の人の不平不満を「変えよう」としなくていいよね。
「もう、何言ってんのよ~」と明るく笑い飛ばせたら、それでよくない?
深刻な顔して「それはね、あなたが他人のせいにしてるからよ」なんて言わんでいいのにね。
「気が付かないと、あなた、とんでもないことになるよ」とか脅されたらたまらんでしょ。
人生の中で「とんでもないこと」なんて起こらないし、とんでもない震災があったって、生きて行かなきゃならないんだから、ちょっと性格が集団と合わないぐらいで「とんでもないこと」になんてならないから。
ハグと笑いで生きていこうよ。
凹んでもいいやん。嫌なことあってもいいやん。
人生に正解なんてない。気づかなきゃダメなことなんてない。
もっと気楽に、楽しく。そしたら、人に嫌なことなんて言わなくて済むようになる。
世界は広い。日本の中にも、あなたが知らない世界はたくさんある。
村社会から出たつもりでも、新しく所属した社会も同じぐらい狭いよ。
飛び出して。息を吸おう。