風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

愛するってどういうことかな~

めちゃくちゃ難しいお題を持ってきました。

一生わからないかも(笑)

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なぜ、このようなことを書いてみる気になったかというと。

ちょっとある言葉が引っかかったからです。

「人を道具だと思ってるのでは?」って言われたこと。

 

わたしは、結婚制度に疑いを持っています。

というよりも、結婚とは、いざという時の「安心装置」としての側面があると思っています。愛とかなんとか言ってるけれども、結局は「老後寂しいから」だとか「誰も面倒見てくれないなんて怖いから」とか「夫に社会で働いてもらって、自分は働きたくないから」とか。そういう理由も「一緒に」くっついていませんか?

 

だとすれば、「愛」と「相手を何らかの理由で縛りたいと思っている」ことの境目はどこにあるのでしょうか?

 

お互いに「いなくなればいいのに」と密かに思っている夫婦もいるでしょう。

 

なのに、なのにです。

 

結婚以外のカップルにおいては、相手に対して「単に寂しいから付き合ってるというように思うことは失礼である」「貢がれたいから付き合うなんて人間としてどうなのか」と言われてしまいます。同じことしてるのにね~。

 

結婚生活は、愛がなくても、相手を「便利だから」と一緒にいても、一緒に暮らしている以上愛があると「思われて」いて、共に過ごした年月だけの「愛着」を大事にしてもいいということになっています。

例えば、音楽家が楽器を愛するように、でも、使わなくなったら手放すように、私はそれもまた「愛」だと思うのですが、人に対してそういうことをするのは「まるで人でなし」であるかのように言われてしまいますね。

 

はっきり言いますと、結婚しないカップルにおいては、ほとんどが「相手を愛している」だけでもなくて、寂しいから、クリスマスに一人は嫌だから、同性より異性といるほうが心地よいから、身体が求めるから、等々それぞれにそれぞれを「必要として」付き合ってると思うのです。

それを他人が「愛じゃないよね、相手を道具だと思ってるよね、ちょっとおかしいよ」などと突っ込む必要があるでしょうかね~

あなたは、誰一人、関わっている人を道具扱いしていないと言えますか?

 

共働きで、母親に子育てを助けてもらっている人はどうでしょう。

子どもの世話をしてくれる母親に保育料払いませんよね?ただ働きさせてますよね。

母親の自由時間を奪っても「身内だから」と平然としていることは、人を人として扱っていると言えるのだろかと。

 

そういうところを細かく見ていくと、わたしは、愛と「便利遣い」の違いがわからないのです。

 

人間であれ、無機質なものであれ、関わりができて、手をかけて一緒にいると、それなりの愛着と愛情がわくものではありませんか?たとえその関係が、誰からも認められるような「愛のカタチ」でなかったとしても。

 

世間一般は、「愛とはこうである」と勝手に規定しています。24時間テレビなどは、愛のイメージを決めつけ、押し売りしています。占いをしても、占いの言葉を見ても、同じです。「これは正しくて、これは不実である」と言い切ってるものがほとんどです。

 

その結果、源氏物語にあるような、来てくれない男性を一生思い続けるというような「愛し方」は否定されました。「そんな無意味なこと」と。そして、そういう男性を愛することも否定されています。誰かを、何かを愛することは、自由であるというのに、人は人の愛を肯定したり否定したり、裁いたりしている。ブランド物が欲しくて彼氏を切らさない女の子は否定されないけれど、精神的に満たされなくて男性と付き合おうとするとなぜか白い目で見られてしまうのは不思議なことですね。何も違わないのにね。

 

いつから、「愛」が独り歩きしたのかな~。学術的に研究したら面白いことがわかるかもしれませんね。だって、昔は、結婚なんてほんとに家と家との道具に過ぎなかったわけだし。引き裂かれて心中した人も多かったみたいですし。

 

今のように「結婚こそが真実の愛である」的な発想は、とても新しい概念だと思います。そのせいで、自分の中に生まれた「愛」を否定したり、自分の心を殺してしまったりすることも増えているように思います。素直に愛を表現することがとても難しくなっているような気がします。

 

わたしは、愛について書かれたものをたくさん読んできたのですが、どの人の書いたものにしても(高名な人であっても)、「それは主観じゃね?」とか「男だからそう思うんだろうな」とか、いまだに納得できるものは見つかっていません。ひとりひとりの心の中に(脳の中に?魂の中に?)あるものが同じわけがなかろうが!っていうことかもしれません(^_-)-☆

 

だからね、わたしは好きですよ。依存症の旦那さんと結婚している人とか、必死で面倒見てる人とか、お金を貢いでいる女性とか、すごいなあって思います。共依存だからどうこうと、昔は思ってましたけど、今は、そこにエネルギーを注いで生きることにしたんだね!って思います。

それだってもう、お互いに必要なわけで。必要は愛ではないけれど、愛は必要を含むよね。

 

なんだか、読んでもらえそうにない記事を書いてしまったけれど、マニアックな人には通じるかしら?

 

次はもっとわかりやすいこと書きますね~(ってほんまか~)

 

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料金:5000円/時

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・アドバイスはしない ・否定をしないを原則としております。

カウンセリングではなく、あなたのお話を聴くための時間になります。

何かお聞きになりたいことがあれば、遠慮なくどうぞ。

 

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