自分をねぎらうこと
昨日の不登校カフェの折り紙です(#^^#)
メリークリスマス!
もう子どもたちにサンタさんを演出しなくて良くなったので、気楽なクリスマスです。離婚前後のクリスマスでは「私も個人で楽しみたい」と必死になっていましたが、その必要もなく、本来のクリスマスを楽しんでいる気がします。
家族行事という枠にとらわれず、けれど、一緒に暮らしてるんだから息子たちと🍰食べようぐらいの。
明日は自分を癒す予定を入れてます。ほっこりできるといいなあ。
さて。
なんだろう、成育歴を思い出すことが増えています。
昔とは全く違う感覚で思い出しています。
なので、以前も書いたけど、もう一度書こうかと。
母の話になります。
どうしてかというとね。子どもたちの育てにくさに対処している中で、ホントに色んな非難を浴びるわけです。今もなお。依存だの、愛が足りないだの。
でもそれって私だけの責任?と思うんですよ。そして、それを言われることが、私自身の幸せにつながることなのかどうか、とても疑問なのです。
私自身、ここまでよく生きてこられたと思うから。だから、子どもたちに対して、私が不足なことがあったとしても、それはそれで、子どもたちが乗り越えるべきことなんだろうと思っています。・・・という歴史を少し。
母方の祖母のことを思い出すと不思議なんです。私にとっては祖母とはこういう人である、というのが普通だったのですが、今思うと、ちょっと変わってたなと。
私は、その祖母の元でお習字を習っていましたし、母はたった一人の娘でしたから、晩御飯の時は祖母がうちに来ていました。それぐらい、親密?だったはずなのに、私は祖母と仲良くしゃべったことがないんです。
距離のある人でした。しかも、祖母と母の会話があまりかみ合っていませんでした。喧嘩しているわけでもないのに。心が通じ合う感じが全くないのでした。
兄弟の中で私が一番祖母と接していたにも関わらず、私は祖母の思い出があまりありません。表面上の付き合いみたいな感じ。この、心がガラスで覆われているような人が肉親であったという事実が、今の私を創っているのだと思うのです。
祖母と真の交流がなかった母親。その母親に育てられたわたし。
母は、もしかしたら、「母というのはどういうものであるか」を知らずに育ったのかもしれません。父親がいなくて、祖母と二人暮らし。その祖母は、働くばかりで心の交流がない。それが母の「家族」でした。
母は、小説などから「自分が理想とする家族」を思い描き、それを実践しようと試みます。けれど、自分自身が付いていかなかったんでしょう。
わたしは、生まれた直後はかわいがってもらったものの、妹が生まれることになって、一歳半で父方の祖母に預けられることになります。母は、とてもシステマチックに子育てをしていました。「手元で育てたい」「離したくない」とは思わなかったようです。「とにかく今は邪魔だから、預けたい」という気持ちです。
心の交流がないのが普通ですから、赤ん坊の私とも、動物のように「面倒を見るだけ」だったのではないでしょうか。
3歳の時には「いくちゃんは大人しいから放っておいてよかった。楽だった。レコードを聞かせていればよかった」そうです。放っておかれてたんですね。
わたしは、コミュニケーションというものがわからないまま、育ちました。
けれど、幸い私には、繊細で豊かな心がありました。本を読んで学びました。学校では友達とどうすれば心底仲良くなれるかもわからず、失敗も繰り返してきましたが、それでも、友達はいつもいてくれました。
抑えつけられることもなかったけれど、心を開いてくれる親ではなかったんです。
こうしなさい、ああしなさいとも言われなかった。それは、本音で関わることを恐れたからだと思います。
親でさえ、子どもに本音を言わない家庭。なのに、父親とけんかすれば、私に仲裁役をさせて。母親の情緒面をサポートしていたのは私でした。
母親から「愛」というものを受け取った記憶がないのです。
コミュニケーションを自力で学ぶしかなかった。
よく結婚できたと思いますが、結婚相手がやっぱり母親と同じ、コミュニケーションができない人でした。私には、そういう人を見抜くことができて、サポートしてしまう癖ができていたのでしょう。そして、その中での子育て。
親から嫌われただの、自分に自信がないだの、私なんてと思って育っただの、それすら羨ましいぐらいの寂しさが私にはあります。赤ちゃんの時に、親がそばにいなかったのですもの。養育者が目を合わせてくれてなかったかもしれない、泣いても訴えても聞いてくれてなかったかもしれないということです。
成人になって、拒食症をはじめとする様々な症状が私を襲い、最終的に鬱病にまでなりましたが、表面上はいい家族がいて、両親もそろっていて、見た目普通の幸せな育ちですからね。わからないんですよ。私自身もわかりませんでしたもの。
ずっと探し求めていました。誰かが答えを出してくれるんじゃないかって。
けれど、自分で見つけました、そのための旅でした。
ほんとにね、よく生きてこれたなあって思うんですよ。
こんな私が必死になって子育てした。まあ、こんな私に育てられたんですから、不登校にもなるわな(笑)っていうところでね。子どもを捨てなかっただけ上等じゃないかと思うぐらいのことだと。
同じ経験は誰にもできない。私だからこそ、心の闇を抱えていたにも関わらず、とりあえず子どもをここまで育てられたんじゃないかな。
わたしはこんなにかわいそうだと思ってた、いつも拗ねてばかりで、でもスピに出会って変われました!みたいな話を聴いても、「私よりましじゃん」ってね。母親と仲直りだと?って。コミュ障の母親と仲直りも何もないのよっていうのが伝わらない。
私に親はいません。実質的な親はいるし、経済的にも助けてもらいました。
けれど、親はいません。
みなさんの常識の中にあるような親はいないのです。
親を知らずに生きてきた私が、あらゆる想像力を発揮して子育てしてきたのです。
これでいいじゃないかと。
不器用ななりにやってきたことを、他人にどうこう言われたとして、それが何だというのでしょう。
私はやっと自分をねぎらうことができるようになりました。
離婚して、生活も少し落ち着いて、こうして自分を振り返る時間ができました。
いつもいつも責められるばかりだから、子育てのことはあまり相談もできずにいました。それももう、終わりです。
私が人と違うのは、人間関係を親から学ばなかったからでしょう。いつも漫画やテレビや本から学んできました。色んな人がいて、色んな育ちがあって、色んな考え方があるということが私の基本です。本が親代わりだったので(#^^#)
だから、親とも考え方が合わないし(笑)家族の中のはみ出しっこでした。
実践ですべてやってきたので、「こうあるべき」が少ないのが私の特徴です。
小説の中に出てくるあらゆるパターンが私の中に蓄積されているような感覚。
だから、私は何を聞いても驚かないし、何を聞かれても慌てません。
どうか、安心して話しに来てください。
青い鳥セッション
料金:5000円/時間
場所:大阪の北のほう。梅田でのカフェセッションも可能です。
お申し込みは、こちら→ mikamisan12@gmail.com
ただ話を聞くだけです。
・アドバイスはしない ・否定をしないを原則としております。
けれど何か気づきがあると思います。自分で気づいてくる不思議な感覚を体験してみてください。
それからコチラ↓
・不登校カフェ
不登校カフェは、毎月第4土曜日午後二時から
大阪府茨木市主原町で開催しております。
次回1月27日です。
子どもが学校に行かない、行けない、ぐずぐずする。
先生から母親責められる、カウンセリングの時間なんてちょっとしかない。
友達にも相談できない。相談してもわかってもらえない。
そんなこんなを安心して話していただける場所です。
社会福祉協議会の事業でもありますので、個人が何かを売ったり、セミナーやったりすることは一切ありません。
折り紙もしています。美しく繊細な折り紙です。
おいしいお茶とお菓子をご用意して、参加費200円でお待ちしております。
どうぞ、お越しくださいね。コメントやメッセージよりお申し込みください。
こちらでも→mikamisan12@gmail.com
茨木市の社会福祉協議会にお問い合わせいただいても大丈夫です。